第34話「東雲美空」

 母さんがコーヒーを入れたマグカップを俺の机の上に二つ置いた後、ちょっと待ってねと言って下に降りていった。その間俺は母さんが淹れてくれたコーヒーを飲んで待つ。そして戻ってきた母さんはアルバムを一冊持ってきた。

「お待たせ玲。ちょっと一息つかせてね」

 母さんはそういうと座布団に正座して座ってからアルバムを脇に置いて、コーヒーを一口飲む。そして、マグカップを机に置きなおすと軽く目を瞑って俺の顔を見てきた。

「ひとまず先に謝らないといけないんだけど。この子転校したの玲が小学5年生の冬の時だったわ。あの時酔ってたから間違えちゃってた。ごめんね」

「いいよ、大丈夫」

 正直俺はあの頃の記憶がほとんどないから、母さんの言うことが本当の記憶として信じるしかなかった。

「ありがと。でね、このアルバムなんだけど」

 母さんはそう言うと、さっき持ってきたアルバムを机の上に載せ、ゆっくりと開いていく。そこには俺がまだ赤ちゃんの頃の写真がはさまっていた。

「玲が持っているアルバムより前の写真がはさまってるアルバムなんだけど……ほらこれ!この子が東雲美空ちゃん!」

 母さんはゆっくりとアルバムを捲っていくと、とある写真を見つけ、少し興奮気味に指をさす。俺は母さんが指さした子を見ると、じんわりとその頃の記憶が戻ってくる。

「あ、ああ…なんか少しずつ思い出してきた…気がする…」

「本当?この子と玲が初めて会ったのは確か…幼稚園の頃ね。あの頃の玲はよくこの子と遊んでたわねえ…。で、幼稚園卒業と共に転校しちゃったんだけど、小学校4年生の時にこの町に帰ってきたのよね。覚えてない?」

 俺は思い出そうとしたのだが、その子の記憶はなく美花と遊んでいた記憶しかなかった。なんでなのかは俺にもわからなかった。

「思い出せ…ない。どうしてなんだろう」

「そう…。ごめんね、その理由はお母さんもわからないの。でも、昔の玲は、正直美花ちゃんよりもこの子との方が仲良かったように感じたけどね。幼稚園の頃なんか、東雲さんのお母さんと『この二人もしかしたら結婚するんじゃないの?』なんて言ってたぐらいだし」

「そうなんだ…そんなに仲良かった子がいたんだね…」

「そうなのよ、だからなんで思い出せないのかわからないのよね…」

 そう言いながら母さんがアルバムを捲っていると、俺は一つの写真に目が留まった。

「その写真…覚えてる…気がする」

「え、どれどれ!?」

「これ」

 俺が指さしたその写真には、俺と東雲美空さんが隣に並んで一緒に写ってて、美空さんの手にはぬいぐるみと手紙を持っていた。これは確か幼稚園の卒園が近くて、俺があげたやつ…のはず…。

「あーこれ、確か東雲さん家が引っ越ししちゃうのが決まって、最後に二人で撮ったやつね!この時確か、玲ったら泣いちゃったのよねー。しかも『僕も美空ちゃんと一緒に行く!』とか言ってさ。あの時の玲を引っぺがすの大変だったんだから」

 母さんは昔を懐かしみ、笑いながら俺をからかうように言ってきた。

「俺そんなこと言ってたの?」

「言ってた、言ってた!そういえば美花ちゃんが引っ越すの決まった時も泣いてたわよねー…。この頃の玲は泣き虫だったわね」

「べ、別にいいじゃん!昔は昔だよ」

「まあ、そうねえ…。玲っていつからか泣かなくなったわよね…」

「そう…だね」

 昔を懐かしんでいた母さんは少しだけ考える仕草をし始めた。

 確かに母さんの言う通り俺は昔は泣き虫だったかもしれない。でも、あの日、美雪と父さんが亡くなった日。あの時期、俺は数週間家から出られなかったけど、立ち直る時に自分の中で決めたことがあった。その中の一つに、俺はこれからちょっとやそっとじゃ泣かないぐらい強くなる。っと決めたことがあった。だから母さんがそう思ったのだろう…っと思った。

 母さんは考えることを諦めたのか、またアルバムの写真を見始めた。

「そういえば母さん。美空さんってどんな子だったの?」

「あー美空ちゃんねー。美空ちゃんは幼稚園の頃は気弱で、お姉ちゃんっ子で、いつもお姉ちゃんの後ろに隠れてるような子だったんだけど、玲と遊ぶようになってからはお姉ちゃんと同じくらい玲にべったりだったわね。特にお姉ちゃんがいなくなってからはいつも二人一緒で、その頃は玲がお兄さんみたいだったわね…。それぐらい美空ちゃんは気弱で人見知りで、何かあると物陰に隠れちゃうような子だったわね」

「なるほどね~…。深雪とはまた違うね」

 俺は母さんの言葉を聞いて、本当の妹である深雪と重ねてみたのだが、聞いた限りだと深雪とはちょっと違った。深雪はそこまでべったりではなかったからだ。

 母さんは深雪という単語を聞いて、顔が柔らかくなる。

「そうねえ…深雪はもっとやんちゃだったわね。もう少し大人しかったら可愛げもあったろうに…」

「まあ、深雪は父さん似だったから」

「そうね…深雪はお父さんの方に似ていたわね。あの子何かあるたびにお父さんとどっか遊びに行っちゃうんですもの。私はもう深雪の身体が大きくなってからはついていけなくなっちゃったわ」

「そうだね。深雪が小学生になる頃には母さん手がつけられなくなってたね」

「ほんとよー!まあ、元気がいいことが悪いってわけじゃあないんだけどね…。って、そういえば美空ちゃんの話よね、ごめんごめん」

「いいよ。ちょっと昔の深雪の話もできたし」

「ありがと。それで小学生の頃の美空ちゃんだけどね、幼稚園の時とは少しだけ雰囲気が変わっててね、ちょっと明るくなったっていうのが最初の印象かしらね。人見知りな部分は変わらないんだけど、陰に隠れなくなったのよねあの頃。しかも堂々と歩くようになってたわねえ…。なんかイメージで言うと、幼稚園の頃は後ろをついていく子だったんだけど、小学生になったら玲の隣を歩くような子になってたのよね。あの時驚いたのを今でも覚えてるわ」

 母さんは昔を懐かしみアルバムに目を落としながら、そう言ってきた。

 ただ俺はそんなことを言われても誰だかわからない時点で比較が出来なかったので、他人の話を聞いているかのようであまり実感がなかった。

「そういえば、あの頃の東雲さんのお母さんとお話ししたことがあったんだけど、どうも引っ越しをしてから変わったみたいでね…。なんか玲と離れたことによって自立心が芽生えたみたいでね、少しずつ行動に変化が起こっていったって言ってた気がするわ。なんか懐かしいわね」

「そんなことがあったんだね」

「そうなのよー。ここまで言っても思い出せない?」

「うーーーん…なんかすごく気持ち悪い感じ。記憶の奥底の方には残ってるんだけど、それを思い出そうとすると途中で思い出せなくなっちゃうというか…。思い出せそうで思い出せない感じなんだよね…」

「そう…。まあそれならしょうがないわよね。いずれ思い出していくかもしれないし」

「そうだね。今はこの話が聞けただけでも十分だよ」

「ならよかったわ。あ、この写真懐かしいわね」

「え?どれどれ?」

 母さんが指さした写真を覗き込むと、そこにはまだ二人がいた頃の家族写真がはさまっていた。

「あーこれ、深雪がまだやんちゃじゃなかった頃だね」

「そうそう、まだ玲の後ろに引っ付いてた頃よねー」

 俺と母さんはその後、所々にはさまっていた家族写真に懐かしみながら、昔話に花を咲かせた。


 そして、話を始めて数時間後。母さんがそろそろ日付が回りそうな時間に差し掛かったことに気が付き、今日はお開きとなった。

「一応このアルバム置いとこうか?」

「うん。もしかするとなんか思い出すかもしれないから、置いといて欲しいな」

「わかったわ」

 母さんはそう言うとアルバムを閉じて俺の方に差し出した。俺はそれを受け取る。

「何か思い出したり、聞きたいことが出来たらまた声をかけてね」

「うん、わかった」

 母さんはマグカップに残っていた冷めたコーヒーを飲み干し、座布団から立ち上がる。

「じゃあ、母さんは先に寝るわね。夜更かししないでちゃんと早めに寝なさいよ」

「わーかってるって。後で洗い物はしにいくけどね」

「あー今日は玲の担当だったっけ。ごめんね、時間延ばしちゃった」

「大丈夫大丈夫。むしろ話が出来て良かったよ」

「そう、それならよかった」

 母さんが俺の部屋を出ていこうとドアノブに手をかけた瞬間、何かを思い出したかのように、俺の方をを振り返る。

「あーそういえば言い忘れてたけど、前に美空ちゃんについて話した後、東雲さん家のお母さんと連絡取り合ったんだけど、どうやら美空ちゃんは今、お姉さんと一緒に暮らしてるみたいね。なんか去年お姉さんがこっちで一人暮らしを始めたみたいで、今は親元を離れてそこに一緒に住んでるみたい。それとなんか最近まで入院してたみたいだけど、無事退院したみたいで、ゴールデンウィーク明けから学校に通うみたいよ。もしかしたら町のどこかですれ違うかもねー。じゃ、おやすみなさーい」

「え、ちょ…母さん…!」

 母さんは俺の呼び止めには応じず、そのままドアを開けて下に降りて行ってしまった。俺は閉められたドアを見ることしか出来ず、母さんを追うことはしなかった。反射的に答えただけで、呼び止めたところで何を聞くこともなかった。ただ動揺していたが故に、母さんと少し話して心の整理がしたかったんだと思った。

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