それが真実だったとき


 フリーワンライお題『本当は知ってた』



 おい、あの森を見ろよ。

 故郷を思い出すだろう?

 おい、あの空を見ろよ。

 生家の屋根まで続いているだろう?

 おい、あの海を見ろよ。

 まるで透き通った天鵝絨みたいだろう?

 俺は、海が好きだ。

 故郷は懐かしい。空を飛べばいつか辿り着ける。

 でもこの塩辛い水は、俺の故郷には無かった。

 たくさんのものを抱いて育む。ただの塩辛い水じゃあない。渓流を流れる青とも、貫く事も出来ない空とも違う。

 俺は、ここへ来て良かった。

 俺は、海が見られて良かった。

 俺は、貴様等に会えてよかった。

 さぁ、戦おう。あの艦に乗ろう。

 この青を汚す赤を、一滴たりとも流さない


 そんな世界にしよう。


 前を向いて、視界を巡らせば。

 お前がいつでも『見ろ』と言っていた言葉を思い出す。

 俺達は、艦に乗った。誰しも覚悟は同じだった。

 上官すらも、お前の言葉に心撃たれた。だから、俺達は終わらせるはずだった。静かに、お前が紡いだような言の葉を心に抱いて、敵の手を握り、背を真っ直ぐに伸ばし、帽子を取り、会釈をするつもりだった。


 俺達が祖国の表代として、例え戻れば首を刎ねられようとも。誰も血を流さない故郷が造れるとするならば、この声を大にして「我々はこの戦、我々の敗北を以て決する」と叫んだだろう。


 俺達は艦に乗った。赤のない白い旗を掲げて。

 全員が甲板に並んだ。ひとり残らずだ。

 お前が好きだと言った目下の青を見る時は、この頭を下げた時と決めていた。


 お前の好きな透き通る青が、段々と暮れる日に染まってきた。発つ前に駐屯していた平和な島。そこから毎日少ない酒を一口ずつ呑みながら見た、あの大きな太陽。水平線に沈むその姿、中央には敵の巨大な艦の影。橙に染まった海が凪ぎ、何度波音が聞こえても、昼間から見えていたその影は近付かなかった。きっちりと着込んだ軍服、帽子の影から汗が流れた。


 日が沈み、空は黒くなった。背後にあるはずの山も、船底を揺らす波も全てが黒い。真っ黒だ。真っ黒な世界、涼んで来た風すらも黒い。



 お前が見ろと言ったものは、そこには無かった。


 俺が、一瞬疑ったからだろうか。

「果たしてこれは、成せるのか」と。


 目の前で、閃光が弾けた。

 敵の艦が破裂したのかと思った。爆音が耳奥を抉り、それ以降の音は聞こえなかった。

 感じられるのは振動のみ、敵艦から放たれた未知の兵器は我々を穿っては曲がりまた誰かを穿っては歪んだ。船上で舞う無数の蛍。俺にはそう見えた。何人かの肉を致命的に奪ったそれが、艦の尖端に集積した。何故か無傷だった俺をめがけて、その光が穿たれた。



 気付いた時には、砂浜に打ち上げられていた。

 お前が突いた左腕が、焼けるように痛かった。

 何人か同じく砂浜に打ち上げられていたが、起き上がって周囲を見ると、朝焼けに照らされた人影が何人も上がってきた。

 体は、塩辛い水が『侵された』もので溶けていた。


 青い海は死を抱き、絶望を育むものに変わり果てた。


 本当は知っていた。

 俺達のしようとしていたことに、意味は一つしかなかった。



 それは多くの命を守れなかった俺達の、逃げ場所だった。

 お前は恥じる事は無いと鼓舞してくれただけだった。だから誰よりも己を恥じただろう。


 無力なまま最前線を任された俺達が、郎党まとめて死にゆく事が、この戦いの真の集結。誰も死ねとは言わなかった、本土の上官共は誰もあの未知の兵器の存在すら知らなかった。


 血なんて流れない。量子ごと抉られ肉体ごと消え去る兵器。眩い、目も眩む戦慄の中で俺達が死ぬ事で、祖国の歪んだ骨を折ることが俺達の最後の使命だった。


 なのに、俺は死ななかった。

 怪我すらもしなかった。

 この国が俺達と同じ白旗をあげたのは、後に『黄昏』と呼ばれる最初で最後、あの兵器が使われた夜が明けた翌日だった。


 俺は、結局何も出来なかったではないか。

 何故、あの時、お前は、俺を、助けた?

 左肩のえぐれたお前と死にゆく仲間が脳裏から離れない。もう、10年が過ぎるのに、左腕はまだ軋む。



 本当は知っていた。

 痛いほど知っていた。

 よみがえった鼓膜を殴る波音が憎い。

 本当は知っていたんだ。



 みんな知っていたんだ。


 一日中海を見ながら、繰り返し噛み締める。


 俺達の集団自決。

 国から讃えられることは無かった。

 想うもの、知るもの、頭をよぎる。



 知っていたから、なんだと言うんだ。


 黒くなった海を見ながら、俺は黒い空気を吸って、腰を上げた。




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