クロネコは嗤う

 ワンライお題『黒猫』



 雑踏の切れ間、どこに繋がるか解らない路地裏、歩んでいく黒猫の躍る尻尾が見えた。そんな所に、道があった?足を止めてそちらを注視する。猫はどんどん路地を奥へと進んで行く。

 黒猫か。この辺りでは珍しい。気が付くと彼は、その長い尻尾が手招きする方へ駆け出していた。



 薄暗い路地裏で猫を見失った。いや、目の前にある木製の扉。金属部分が錆びている。その足元に小動物が通れそうな押戸があって、やはり取り付けに使われた錆びた金属がキィキィと鳴っていた。この家の飼い猫か。押戸が揺れるのを見届けた後去ろうと踵を返しかけた時、扉が内側に開いた。中から木乃伊のようにやせ細った指が見えた。そして、手首から垂れた手を前後に揺する。

 手招きされている。あの猫の尻尾と同じように。そう捉えた彼は、その指の異様な痩せ方に悪寒を覚えながら、薄く開いた扉を押し開けた。

 痩せこけた指の持ち主は、入ってすぐ、扉の傍に居た。頭は禿げたというよりむしり取られたように傷ついた坊主頭、肉が無いせいで申し訳ばかりの瞼の下で恨みがましそうな目の玉がこぼれそうに彼を見上げていた。腰を曲げている。老人?服装は半裸に近い。体に巻きついた布は、色の判別すら難しい。唯一解るのは、ガリガリの体が男だと言うことだ。こんな薄気味悪い生き物が目の前に。夢か。そう思いながらしばらくその不気味な様相に呆気に取られ木乃伊男と睨み合っていると、扉から奥に通じる廊下の一番奥から声が飛んできた。


「お客ですかねィ?」


 途端、木乃伊男の目の色が変わる。何かを急かしているようにも見えるし、怒っているようにも見える。お客、と言う事は此処は店なのか。男は飛んできた若い男の声が、これがちゃんと現実だと教えてくれた。彼は不気味な木乃伊男から逃れるように、小さくお辞儀すると、声がした方へと小走りに駆けた。木乃伊男が追ってくる様子はない。




 やァやァ、やっぱりお客さんかィ。やつがれの話を聞きに来なすった?え?違う?猫?あァ、皆言いますワ、この店めっける前に黒ォい猫を見たってねェ。え?訛ってる?そりゃァそうでしょうよ、やつがれはこの国に来てまァだ日が浅いもんでねェ。それでも身ィひとつでできる仕事ですからねェ、ほら、極東の国から来たんですけどねィ?なんか形のあるモンを売るよりかは、極東贔屓な方達にゃ珍しィ、その国の話を花々ーっと咲かせて日銭を稼いでますのサァ。向こうじゃァ、話をするってんでェ、噺家とか呼ばれてましたけどねィ。どうです?おニィさんもひとつ、やつがれの話を買ってみやせんか?何ならそうですねィ、うちの目玉のクロネコの話をしやすよ。えぇ、クロネコですとも。聞いて損は無いとォ、思いますがねェ。…そゥですか、聞いてやってもいと。お代は大した事は無いでサァ。まァ、口が鈍らねえ相手でもしてやってくだせェ。訛ってるのに鈍ってねェってね。面白くない?こりゃァ失敬、では、参りましょうか。



 極東の島国、その更に東の方にね、都があったんですよ。その都でおっかあ、母親と住んでいる若い男がおりまして。この男、手先器用で器量良し、気は働くしおまけに優しい。まぁ、名も轟くほど誠実で。身分もそこそこ申し分無い。しかしまぁ、ちゃんと大工って職もあって、生活程度の金なら困らない。都の女子はみんなこの男に嫁ぐのが夢だった。

 その男の親友から聞いた話なんですがね。この男が齢二十五を超えた頃ですわ。なんだかおかしくなっちまったんですと。


「お前さん、最近羽振りがいいな?」


 男に誘われて飲みに行くのは珍しくないが、親友は最近の男の金遣いに呆れていた。身内はもちろん、大工の師匠やお得意さん、みんな連れちゃあ毎夜のように飲み歩く。おっかあは放っといて良いのかと聞けば、おっかあの世話をしてくれる奉公人を雇ったと。まぁ、一介の大工に何処からそんな金が入ってくるんだぃ?そう尋ねれば金など温泉のように湧いて出る、と言う。


「俺はクロネコに惚れられたのさ」


 猫に懐かれると金が湧くのか?まぁ、極東ではね?黒猫ってのは珍しくて、幸運を運ぶと言われてんです。よく、『黒猫が目の前を通り過ぎると不幸になる』なんて言いますが、そりゃあ『幸運にそっぽ向かれる』って意味でさぁ。黒猫が不幸の象徴じゃあ無いんですよ。

 それでもおかしな話です。猫が小判を運んでくれるのかい、と尋ねれば、真顔で頷いてそうだ、と言う。なにやら訳が分からないが、親友にはひとつだけ猫に思い当たることがあった。


「お前さん、もしかして寝子に貢いでもらってんのかい?」


 親友が尋ねると、男は下世話なニタリ顔をした。寝子ってぇのは、まぁ、この都でお上に身売りを認められた遊女のことですわ。こっちじゃ娼婦って言うんですかね。向こうじゃ、舞もする、楽器も引く、酌もする、寝床も共にってね。だから、遊女のことは寝子って書いてネコとも言うんですね。この寝子がまた、人気の花形になると買うのも高いし何人もの男が貢ぐわけですよ。それを自分が惚れた男に貢ぐわけで。その男がその寝子だけ贔屓にするかってぇとそうでもないので、金が回るわけですよ。男が羽振りが良くなった、みたいにねぇ。


「金が湧くほどの寝子って言ったら何処の花魁太夫だい?」

「それは、秘密だね」


 親友は首を捻ったね。男はこんなに金遣いが荒くなる前は真面目一直、仕事を休んだ事も無い。それが、金を持ったが故か人脈は広がる、仕事は増える、夜は賭場で大儲け、奉公人のおかげで伏せりがちだったおっかあも外に出られるまでになった。だけど男はそんな幸運にあぐらをかいてね、坂道を転がるように働きもしない駄目男に転落して行った。


 そんでまぁ、三月ほど経った時、ピタリと男の幸運が止んだ。


 そりゃもう、それまでの幸運が掌を返したように不幸に変わっていったんだってさ。手始めに、いっちょ前に宵越しの金は持たないなんて気取ってたのが、ピタリと止んだ。そして勿論、棟梁に愛想尽かされて仕事は無くなった。おかげで奉公人に給金は払えねぇ、人に借金を始める、博打は当たらねぇからまた借金、そんで高利貸しに手を出して世間様から逃げ惑う。


 終いには、奉公人が元賊でねぇ、給金出ないと知っておっかあを殺して金目のモンやへそくり全部盗んで家を燃やして逃げやった。


 家が燃える様を呆然と見ていた男がね、親友が最後に見た姿だった。その時呟いた言葉が一言。


『あれは、クロネコは…』





 さてねェ、何でしたっけねェ?とぼけるなって?いやいや、こいつァちょっとネタをばらしてからですねェ。結局ね、この男に金やらみせかけの幸運を与えていたのはネェ、単なる寝子じゃァ無かったんですよ。男はね、一度も寝子なんて抱いた事は無かった。と言うか、向こうじゃァ、女郎とか言いますしねェ。男が金と幸運を貰ってたのはまさしく寝子。男の寝室に男の望む姿で現れて、気まぐれな幸運を与えては生き地獄へ突き落とす。漢字で書くなら『黒寝子』。言い得て妙ですネェ。


 おや、顔が青いですョ、神父さん?西洋にもそんな妖怪…いやァ、悪魔?ですか?が居るんですかネェ?あァ、でもその黒寝子もねェ、一人きり人間をたぶらかすのにも飽きたらしくてネェ。海を渡った先で、街をひとつ、手玉に取っているそうてすョ。なんせ寝子は貢がれるモノ。誰かに貢ぐのは搾取した後でも遅くは無いですからねェ。…ところで、そのクロネコ、定形は無いそうで。それを見た人間が一番好む容姿で現れるそゥですョ。


 さァて、神父さん。あんたにゃァ、『やつがれがどう見える』?それはねェ、見せちゃァいけない、見せられないあんたの性癖ですよォ。ここを出たらァ、ぜェんぶ忘れて、夜な夜なクロネコの夢を見る。



 あんたも転がり落ちなさいナ。





 気の抜けた男は、入ってきた扉に向かいながら白昼夢を見ているような気分だった。フワフワする足元。脳裏をよぎって消えていく恐ろしい予言。最近、この町の人は皆、老若男女幸福だと聞いた。だから、教会に来る人間も減った。

 扉を潜るのが恐ろしいのに、体の動きは止まらなかった。ドアノブに手をかけた瞬間、脇からあの木乃伊男が姿を現す。ふと目をやると、またあの枯れ木のような手首を曲げて、ふらふらと揺らしている。その目は、可哀想なものを見る、後悔の色をしていた。



 嗚呼、この男は、『手招き』ではなく『追い払って』いたのだ。極東で転がり落ちた自分の二の舞を増やさぬよう。


 扉を出た後、彼は何もかも覚えてはいなかった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る