文字書き60分真剣勝負倉庫

戮藤イツル

静火による業火、その末路

 ワンライ105回目『火と炎』


 大地を舐めつくし這い回る炎。例えるならば紅蜥蜴の様相。燃え盛りながら、のたのたと、時折上がる何かを燃やした火花が、金色の瞳孔の如く閃く。のろのろとでありながらそれは歩を進め、向かう先にあるありとあらゆるものを飲み込んで行く。己より空に何かが舞えば、瞬間長い舌を伸ばすようにそれすらも腹に収める。大地、それは今その炎から逃れようと叫び喚く人間が数千に膨れ上がってなお曖昧な『境界』から向こう全てが燃えていた。巨大な真紅、否、高温に達しオレンジ、赤、紅、様々の入り交じった巨大過ぎる爬虫類は、一息ごとに大量の酸素を貪り、逃げ惑う人の脳を眩ませた。血液が錆びた赤に変わり果てた人間は、声も出ず足元おぼつかず、意識を手放し、炎の餌になって行く。まさに煉獄が現世に現れた、罪を焼く炎、肉体ごと逃げ惑う人間の『罪』を贖わせる卑劣な醜態。


『罪』。言うなれば過ち。原となる罪ならば原罪。それはかくも当然の裁きのもとに置かれた者が、世界を覆そうとした結果、本来の正義の代わりに文字通り蔓延った欺瞞。

 始まりは、一本のマッチ棒だった。


『汝に罪が無ければ、この灯火が燃え広がり、汝の身体を灰に変えることはなかろう』


 クソ喰らえだ。男は心の中で吐き捨てた。

 腐れた聖職者が、いや、魔女狩りの教本を片手にした善人気取りのクソ野郎。木の棒を括った十字に磔にされながら頭や身体中、殴り蹴られ斬られ割られ折られた全身の痛みと流れる血で朦朧とする視界とは正反対に、心は澄み切ったほどの憎悪と呆れに満ちていた。足元に山と積まれた薪、間には石炭や自分と妻の似顔絵が描かれた手配書、燃えるためだけのモノが悪意を込めて埋め込まれている。


 男の妻は、『魔女』として裁かれ、同じ文句で同じ男が神聖なものを扱う様に擦ったマッチの炎で焚き付けられた炎に焼かれて死んだ。殺された。彼女の罪状は、『人にあらざるものとと通じた事』。貞淑で心優しい妻が、獣の欲に負け、己を裏切り人にあらざるものと通じたと。


 クソ喰らえだ。

 彼はその時もその口で吐き捨てた。

 妻が、自分以外を愛するわけが無い。だったら、その腐れた人外は俺の事だ。被害者だった男は迷うこと無く加害者になる事を選んだ。自分が、妻を惑わせ毎晩貪ってやったと。淡々と、説明と折り合いのついた話を流暢に他国語を話すように自分を慰めに来た街人の『聖なるお脳』に叩きつけてやった。

 男がその場で袋叩きにされて、牢にぶち込まれたのは言うまでもなかった。

 それから形だけの裁判が翌日の午前中に終わり、前日妻が火刑にされた広場に引っ立てられる頃にはこの悪意の火種は当たり前のように完成していた。


 赤と黒に染まる視界の中で、これで彼女の罪は、冤罪は削がれるのかと思った。だが、違う。自分に刺さる無数の視線、その侮蔑に満ちた最低の視線は、罪無き者を炙り殺した、その過去は清算されていた。


 嗚呼。男は、妻のように神に救いを乞う気にはなれなかった。頬を濡らすのは涙ではなく己の血だ。お前が生きたまま灰に変わるのを涙腺が裂けて血の涙を流しながら、歯を食いしばり口の端から血を流し、見ているしかできなかった己。石畳をつかみ取り剥げた爪、痛みは感じなかった。


 常套句を吐いた髭面の男は、マッチを構え、擦った。その先端に灯る小さな小さな火。息を吹きかければ消えてしまうそんな頼りない灯火。

 もう暴行で暗闇に消えかけていた男の視界に、鮮烈にその火が浮かび上がる。



『あなたののぞみは?』


 小さな火が問い掛けてきた。ように思えた。優しい声、妻の声だ。慈愛に満ちた天使のような、凛として柔らかい声。


「俺の、望み……」


 男は応えた。腫れ上がった顔、その奥に埋もれた光を失いかけた細い双眸。その瞳が、力を振り絞るように、瞼が裏返りそうなほど見開かれた。

 男の目は、青白かった。マッチの持ち主がその様子に怯んだ。その瞬間、マッチが、地に落ちた。

 引かれてもいない導火線に、消えかけた火が揺らいで点火した。男に導かれるように火は止める間もなく疾った。


「燃やし尽くせ!!俺が望むまま、俺達の罪を!!罪を与えたゴミ共を!!」



 かくして炎は、男が剥いたその瞳と同じ、高温で色すら失くす高みを目指して燃え上がる。随分と大きくなれた。これは素晴らしい力だ。あの男に目をつけて正解だった。這い回る、街をほぼ隅から隅まで焦土にした紅蜥蜴は、醜く裂けた口端をにたりと持ち上げた。瞬間、目の前に最後の餌を見つけた。真っ青な顔の髭面の男。足がすくみ、もう、逃げるのも諦めた、絶望の顔。

 炎はその眼前に迫り、一瞬ゆらりと揺れた後、その顔を巨大な顎で食いちぎった。



「やれやれ…魔女狩りってのは本当に滑稽だな。オトコも女も関係ない、とにかく人が人を殺したいだけだ。しかも、『俺達』を使って」

「ははは、そうだな。あの方が俺達を人間なんぞに叡智として与えてくださったからだ」


 舌なめずりをした男の背後に、燃える様な赤い髪の男が立った。どこから現れたのか。毛先はチリチリと燃え上がり、炎そのものである。でろりと長い舌を嬉しそうに歪ませた口から垂らした男は縦に開いた金色の瞳孔を細めた。


「サラマンダーも悪くない」



 人にあらざるものは、何に、誰に宿るのか。

 何処から罠で、どこから罪か?貴方が知る史実とは何が違う?焚書、それすらも行ったのは『彼等』なのかも知れないのに?




 さぁ、よく考えてください。これは昔々の、本当かも知れないお話です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る