木苺
四方を夜に囲まれた森の中、ルチアナは地面にへたり込んでいた。
時折、森の動物たちの鳴き声が、遠くに近くに聞こえてくる。それでもルチアナは動けない。
片足はひねってしまい、うまく歩けない。彼女がいつも着用している死に装束のドレスの裾も、藪に引きちぎられ、穴だらけになってしまっている。
こんなことならば、思い立たなければよかった。ルチアナは腕の中のバスケットを抱きしめた。
雷を思わせる低い唸り声が森に響いたのはその時だ。
唸り声は見る見るうちに近付き、鎌首をもたげた巨龍が少女の目の前に姿を現した。
龍は牙を剥き、低く唸っていた。
ニブ様、とルチアナが震えた声で呼ぼうとした刹那、巨龍ニブ・デマホブは少女ルチアナを高く放り投げ、自分の背の上に乱暴に乗せた。
「きゃあっ」
少女が悲鳴を上げるのにも構わず、巨龍は今来た道を猛烈な勢いで戻り始めた。
黒い森が前から後ろへと流れていく。巨龍は木々をなぎ倒して進んでいるのかと思いきや、木々の方が巨龍に道を譲るように自然と避けているようだった。
ほんの数分も経たずに、巨龍は彼らの住処へと辿りついた。
巨龍はいささか乱暴にルチアナを背から引きずりおろすと、怒気を隠さない口調で彼女に問うた。
「逃げ出そうとしたのか」
全身の鱗は逆立ち、盲いているはずの両目はぎらぎらとルチアナを睨みつけていた。苛立たしげに振るわれた尾が大木をなぎ倒す。ルチアナは慌てて弁明した。
「っ! いいえ! 私はただ……」
ルチアナは目を伏せ、言葉を詰まらせた。
「ただ……」
木苺が詰まったバスケットを抱きしめる。アナタに喜んでもらいたくて、夢中で集めてしまった木苺たち。でもそのせいで森で迷子になって、怪我をして、ニブ様の手を煩わせてしまった。
巨龍の体から怒気が失せる。その代わりに巨龍はルチアナの足に顔を寄せると、小さく呟いた。
「怪我をしている」
巨龍はルチアナの足にそっと触れた。不思議とそれだけで足の痛みは消え失せた。
「あの、ごめんなさい! 私のせいでニブ様にご迷惑を……」
「もういい」
巨龍は平坦な声でそう言うと、人型を取り、ルチアナの目を覆い隠した。
「もう、眠るといい」
夜が濃くなって、ルチアナの瞼を閉じさせる。
嫌われた。どうしよう。
意識が途切れる間際に思ったのはそんなこと。
目を覚ますと、ルチアナはベッドに寝かされていた。寝間着に着替えさせられ、丁寧にシーツもかけられている。ルチアナはしばらくの間ぼんやりと陽の光が差し込むのを見つめていたが、不意に昨夜の出来事を思い出し、勢いよく身を起こした。
慌てて寝間着から着替えて外に飛び出すと、巨龍は家のすぐそばの岩の上でまどろんでいるところだった。巨龍を起こさないように後ろ手でそっとドアを閉じたとき、ルチアナは見覚えのない低木が、庭の片隅に植えられているのに気がついた。
「木苺の木……どうして……」
岩の上でまどろんでいる巨龍を見やると、今はもうほとんど使われることのない細い彼の腕には、木の葉と泥がついていた。気持ちよさそうに息を吐き出すその鼻面にも、泥の跡がしっかりと残っている。
ルチアナはぱちりと瞠目すると、無性にうれしくなって顔を覆った。もし目の前に鏡があれば、己の頬が上気していることに彼女は気付いたことだろう。
ルチアナは音をたてないようにそっと、白いエプロンをつけて、バンダナを巻いた。
旦那様が私に贈ってくれた、可愛らしいサプライズに報いるために。
「今日は木苺のパイを焼きましょう。アナタのお口に合うとよいのですが」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます