第8話 【第二章】かりん隊誕生

【第二章】 かりん隊誕生


◇矢倉周人


「だいたい。たかだか官公庁の『すぐやる課』『何でもやる課』をつくるのに、大げさなのよ。この訓練は」

 鬼頭蓉子が昼食のときに行った。

 周人の入ったグループは、食堂で、よく一緒に座る。


「ええ? 統合特殊新課題解決隊って、すぐやる課、何でもやる課だったのか?!」

「言ってみればそうでしょう」

 なんだかがっかりしたような、愕然としたような、周人は不思議な感覚だった。

そこへ大内さくらが

「そこでね。この組織に命名することにしたの。何でもやるか、臨機応変に、の文字をとって『かりん隊』」

あきれてものが言えないうちに鬼頭が賛成した。

「それ、いい! かりん隊って、かわいい」

文也がそれを聞いて笑っている。問題はないらしい。

 

 結局、この組織の名前にはならないが、周人たちは自分たちで自分たちのチームを『かりん隊』と呼ぶようになった。


 フィジカル訓練は、格闘技系、一般スポーツ、文化系スポーツの三部門に分かれている。初期のころは格闘技訓練がメインだった。剣道、柔道、合気道、レスリング、棒術などだ。

 訓練は、最初に分けられた数人を一単位として行われるが、よりによって周人のグループには体格的にも体力的にも劣ったものばかりがいる。周人のグループは、言ってみれば、落ちこぼれグループだ。


 他のグループでは、これらの訓練が充分に成り立っているが想像できた。入れ替え時間ですれ違う時の、他のメンバーの湯気の立った身体や汗の汚れぐあいは、周人になじみのあるものだった。

 だが、周人のグループは練習がモノ足りない。というか、成り立たない。真剣にやっているように見えるのは、周人と訓練を施すコーチだけみたいなものだ。のこりの連中は、野蛮人を見つめるように眉をひそめて、いやいやながら取り組んでいる。


 格闘技系フィジカル訓練では、各段階の最後の仕上げに誰かがコーチと一戦交わして勝たなければ過程は終了しない。幸いなことにグループの誰が出てもよい。

結局、毎回必ず全ての種類の試合で、周人が代表として過程終了試合をすることになった。

 格闘技訓練の初期集中訓練時期が終わるころになると。みな少しは様になってきたが、実践で役立つほどではないだろう。

 文也は

「水泳なら、何時間でも何キロでもできるのに」と言う。


 何でも文也の通った坊ちゃん校は「七つの海を制した大英帝国のパブリックスクールのリーダー育成像」に習って、小学校と中学校でそれぞれ徹底的に水泳を教えられるらしい。それぞれ遠泳10キロ、30キロを合格し、着衣水泳3時間及び水難救助訓練を一定の水準まで達しなければ、体育科目全体の成績がつかなかったという。

「だから水泳なら全種目できるよ。シンクロもね」

 確かに、後に水中訓練と呼ばれるトレーニングに入ると、文也の言うことは本当だったと分かった。


 だが水泳以外は、他の一般スポーツや文化系スポーツもほぼ同じ状況で、だからこの時点で周人のグループは周人ひとりに頼る状態だった。


 ところが。


 フィジカル訓練が一通り最初の段階を終了し、あとは水準維持訓練段階に入ると、道場に入るのは週に一回程度、夕方少しずつになる。単発や新しい種目のスポーツが始まるたびに体育館やその他の場所に行くことになるが、それでも一日中身体を動かしてるわけはない。

 そのかわり、別の訓練のプログラムが、朝から晩まで入ってきた。そしてそのころになると、今度は周人が眉をひそめる番だ。


 官公庁の仕事をするのに一体どうしてこんな事が必要なのだ、というトレーニングがいくつもでてきた。


 例えば『視覚訓練』の中の『2次元識別』とされる訓練。通称『写真観察』

 いくつもの写真が数秒間でフラッシュのように映される。その顔の人物を、後で群衆写真の中からいくつも探し出す。

 或いは、百枚の人間の顔写真と、その小さいころの写真を対照して繋げてセットにする。或いは、何百枚もの顔写真から、親子の写真を探し出す。

 または、ひと塊りにくくられた多くの顔写真を見て、それが何のグループか推定する。ある上場会社の社員、おなじ有名店に出入りする常連客、どこかの宗教団体の会員、ある町の住民、等々。この「所属及び帰属グループ推定訓練」と呼ばれるモノだけは、周人も得意だった。だがそれだけだ。


 この訓練で、萩原白秋は百発百中だ。

 目の前の人間と、顔どころか目も合わせないヤツが、どうして写真の人間の顔を見分けるのだろう。

「以前、北朝鮮のスパイ養成機関のことをテレビで見ていて。その時にそんな訓練があることを知ってちょっと練習したんだ」と、目を合わしさえしなければ饒舌になる白秋は、言った。

 練習していた? どうして? どうやって? 第一、なんで練習しようと思った?


 後半になるとどうして『顔識別訓練』としなかったのかが分かった。人物以外の

写真が入るようになってきたのだ。

 動物、建物、工芸品、風景写真。とにかくあらゆるものを、写真で観察し、写真から識別し、写真から判断していく。

同じ動物の写真で、1週間前に撮ったものはどれだ?

定点撮影の風景写真で、どちらが去年でどちらが今年か?

建物写真の一部から、全体像を復元せよ。等々。

これらの訓練はおもしろかったが、周人は人生初めての授業科目に驚いていた。


 さらに後になって『2次元』と名付けた意味が分かった。『3次元識別』という別の訓練が加わったからだ。ビデオや動画、アニメなどを使った訓練だ。

 動体視力が得意な周人は、これには多少の優位性があった。が、それでも難しい。

 

 まるで冷戦時代のスパイ養成学校みたいな訓練は、これだけではなかった。

他にも、音を聞く訓練があった。『聴覚訓練』の中の『音声識別認識訓練』。

グループの全員が、普通に『音訓練』と呼んだトレーニングだ。

新幹線のブレーキ、何とか系電車のブレーキ、あらゆる電車のブレーキを何度も聞いて覚えさせられ、後で再現されたブレーキ音がなんであるかを当てる。

 もちろん人間の声も自然の音も、聞いて覚えてテストする。例えば各地の滝の流れる音、様々な鳥の鳴き声、動物園のアライグマの生まれた時から死ぬまでの鳴き声の変遷、等々。何百人もの写真の人物とその声を一致させる訓練。


 何の役に立つのだ?という訓練だ。

 当然、二倍速、三倍速にした話を聞く取る訓練もあった。これは、意外にも何度かやっていれば慣れる。三倍速はともかく、二倍速は結構訓練しだいで聞きとれるようになるのだ。

 難しいのは、いくつもの音源の音を聞き分ける訓練だ。

鳥の声、イノシシの鳴き声、滝の音、車のブレーキの音…、一斉に聞こえる音を聞き分ける。数秒間の音源を、それより少し時間をかけて書き出していく。


 これはまだいい。周人が最も閉口したのは、人間の話声編だ。

 録音されたスピーチが、三つから五つ同時に聞こえる。一つの音源は誰かの会話だったり、一つは物語の朗読だったり、一つは車内アナウンスだったり、もう一つは国会の討論だったりする。それを後で全部再現するのだ。

 周人の再現ノートは、空白が目立つ。小学校の作文以来の文字数の少なさだ。一つの音源ラインが書けたら、他の2つの音源ラインは全く空白になる。あたりまえだ。これが普通だ。できるわけない。


 ……しかし、できるやつがいた。

 吹浦サトコ。

 女性なのに眉の手入れもお化粧もしないナチュラル美人が、それなのに耳の手入れだけはしているのか、ほぼ完璧に再現できる。小さな音も、遠くの音も聞き分ける。


「一体どうなっているんだ、あの女」

「磨けば絶対綺麗になるタイプよ」

 訓練の後の食堂で、周人のつぶやきに見当違いの答えをしたのは、大内さくらだ。

「あの頬骨の高さは、間違いなく美人タイプよ」


 さくらは、人間の骨格が得意だ。顔写真と手の写真とを結びつける訓練では、白秋より時間もかからずに結びつける。顔写真と声の録音とを結びつける訓練では、誰にも真似できないスピードでコツを掴み、正確に答えを出した。

「この顔だったら、この手よね」とか「あの骨格だったら、この声でしょう」と、いとも簡単に楽しそうに答える。周人が小さいころ自転車で事故に遭って折れたことも、レントゲン写真を見たわけではないのに、当てた。今では完全に修復しているのに。


「美しいものが好きなのよ。偽物の美しさには我慢ならないの。不自然な形成の美や、統合のとれない美とか、二流の美しさも、ゆるしがたいわ」

さくらは笑いながら言って、付けくわえた

「こんな特技が役に立つのかしら。整形美人を当てる以外に」

 

 これらの訓練では周人が皆について行くのが必死だった。

 訓練には、数十種類ものトレーニングがあった。三日で終わるものもあれば、何カ月も続けるものもある。

 養成期間中、毎日5分ずつ続けるものもあった。語学だ。


 朝、訳の分からない言語の夢を見た。そう思って起きると、訓練で寝泊まりしている部屋ベッドの枕に仕込まれたスピーカーから、そのわけの分からない言語が小さい音で流れている。5分間ずつ何十種類の言語がエンドレスに繋がって録音されているらしく、中国語で起きる時もあればちょうどロシア語が流れている時に目を覚ます時もある。起床時間のどのくらい前から流れているのか知らない。


「ばかね。寝た時から始まって夜中じゅうよ。あれでよく眠れるわね」

鬼頭蓉子が言った。

「まさか、夜中じゅう?」

驚いて聞き返した周人に、吹浦サトコが答える。

「枕が就寝を感知してスイッチが入るの。最初は全く聞き取れないほどの音で。4時間変えて聞こえる程度の音まで上がって、最後の二時間はちゃんと聞こえる音。私はここについて二日目からは、電源切っている。うるさくて眠れないから」

「うるさい?」

 周人には、それほど大きな音には聞こえない。何しろ気づいたのが最近だ。


「レム睡眠とノンレム睡眠の間を縫って語学教育をしようという、小賢しい考えよ」

鬼頭が、鼻で笑って続けた。

「きっとどこかのバカが、日本にも秘密諜報機関が必要だと説いて、ただの総合特殊課題解決隊員の養成訓練で、躍起になってスパイ養成機関のような訓練を施そうとしているのよ」

 鬼頭は陰謀論者が大嫌いなようで、よく宿舎での飲み会でも酔うと批難していた。家庭教育のスタンダードが高いらしく、何しろ知識が豊富だ。当然、法律もよく知っている。


 鬼頭はその知識量と関係しているのかは分からないが、文書解読の訓練では、他のメンバーとスピードのケタが違う。

「読んでいるのか、眺めているのか?」

「読んでいるわよ」

 何語であろうと、文章であればほぼ内容を推測できる。

 一度、周人にはヒエログリフにしか見えないどこかの言語で書かれた文書が出た。


「この文字、見たことないわね」と鬼頭は楽しそうに言いながらスラスラと解読して言った。結局、『文書解析』『文字言語文章内容推測訓練』では誰よりも早く正確に答えを出す。

「わたし卒論は『マーキュリーにおけるコード・アルゴリズムの効用とその限界~文字言語暗号の情報解析について』なの」

「……?」


「マーキュリーは喝破したのよ。コードつまり暗号は言語と同じだ、って。その違いは、最初から伝えるために発達したのが言語で、分かる人だけに伝えようとして発達するのが暗号だって。だって、暗号って解かれなきゃ意味を成さないでしょ」

鬼頭は目を輝かせながら続けた。


「分かってほしい人に分かるように、分かってほしくない人には分からないように発する言語が暗号だ、と。それで、暗号の作成者は分かってほしい人だけに分かるような暗号を考え出すけど、そのアルゴリズムは作成者の文化および言語と密接に関わっているの」


「まさか実は君自身が陰謀論者なのか?そうでなきゃ、そんなの卒論にしないよな」

周人の冗談に、真顔で怒った。

「私を陰謀論者と一緒にしないでちょうだい。いい? 暗号は、言語が発達したものにすぎないのよ。人間の社会や世界は、全て言葉から始まっているのよ」

それから真剣に続ける。


「言葉がなければ思考もない、言葉がなければ人間関係も人間社会も生まれない。言葉こそ人類とサルを分けた分岐点よ。だから言語は大事よ。私の一生を、言葉を読むだけに使ってもいいと思っているわ」

 彼女に言わせると、どんな無味乾燥な文書でもページをめくると立体になって浮かび上がるらしい。


 訓練で、暗号のような訳のわからない文字の文章を見せられて、鬼頭は嬉々として解いて行く。

「文字言語は重複で成り立っているのよ。解析には、まず最も頻出する一つの文字を特定する。それから母音を推定して当てはめてみる。そうやって行くと、どんな文字だっていつかは解明できるわよ。暗号だってね」

 それこそ、今聞いている鬼頭のはなしこそ、訳の分からない音声言語だった。


 そして円城寺文也だ。


 基本的に文也は、全ての訓練においてほぼ優秀だった。

 それぞれの分野では誰かが飛びぬけて一番だが、同じく一番かギリギリ二番目に来るのはだいたいが文也だった。総合的で、あらゆる分野を網羅していて、おまけに博識だ。学術、芸術という高尚な分野から、芸能ネタまで抑えている。しかも彼は、それら全ての分野にわたった知識や知恵を統合するのが得意だった。


 そして生まれながらに参謀型だった。誰かが出した知恵や知識、情報を統合し、瞬時にまとめ上げる。グループで何やら困ったことや教官に提案したことがあると、皆が口々に何か言いブレーンストーミング状態になる。それを文也が整理しまとめる。


 そして文也は、彼より把握しているとは思えない周人に言う。

「こっちの案ともう一つの案、どっちがいい?」

二つの案は、どれも的確に整理されている。周人は必死に考えて、答える。文也は満足してその通りに実行する。

 一度、文也に

「お前が考えたんだ。お前が決めろよ」と言った。

すると

「このグループのリーダーは君だろう」という。

 ええ? どう考えても文也がリーダーだ。

 そう思うので、その通りに言った。すると文也は腕を組んで、

「ぼくねえ。最高に優れた判断はできるんだ。でも決断は、わずかに、君ほどは最適にはできない」

 そう言って周人を見た。


「決断するのがリーダーだ。情報収集や提案作成、そして判断はブレーンでも参謀でもメンバーでもできる。決断だけはリーダーになるものがしかできない。だからこのグループのリーダーは君だよ」

それから笑いながら付けくわえた。

「ま、牛耳っているのは僕だけどね」

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