あなたを忘れない

目からピザ太郎

高瀬さんのこと

 高瀬さんが『消失』したのは、日曜日のことだったそうだ。


 週明けの月曜日。気怠い朝のホームルームで、担任は高瀬さんの『消失』を告げた。まるで今日の授業の範囲を述べるかのように、ごく自然に明らかにされた高瀬さんの件はものの20秒で終わり、話は今週の避難訓練の注意事項に移っていく。

 学級委員の伊東が手を挙げる。

「先生、保健委員はどうしますか」

 そうだ、高瀬さんはこのクラスの保健委員だった。担任も言われて初めて気がついたように、

「ああ、そうだったな。誰か代わりにやってくれるやつはいるか」

 とクラスを見渡す。

 係や委員を受け持っていない生徒は何人もいたはずだが、敢えて名乗り出る者はいなかった。結局、担任が名簿を眺め、適当な生徒に代役を押しつけて、それで今度こそ高瀬さんの話は終わった。


 『消失』は統計上10代に比較的多いといわれているが、全ての年齢で起こりうる。『消失』する人間に明確な共通点はみられず、発生頻度は多い年で年間数百万件、少ない年では数千件と幅がある。『消失』を予測したり防ぐことはできないが、いなくなった人間がただの失踪なのか『消失』なのかを見分けることはほぼ100%の精度で可能だとされている。ただ、その方法は公にはされていない。『消失』を偽装した誘拐や殺人を防止するためだという。

 ひとり人数を減らして始まった1日も、普段となんら変わることなく過ぎていく。誰もがそれが当然だというように、いつも通り授業を受け、話し、笑う。主のいない高瀬さんの席は病欠しただけのようにも見えるが、病欠と唯一違うのは、高瀬さんがもう二度と学校に来ることはないとわかっていることだ。それが『消失』というものだった。


 僕が初めて『消失』に直面したのは小学校5年生のとき、クラスの曽根君という男の子だった。小学生ながら銀縁の眼鏡がよく似合う知的な子で、図書室をよく利用するという共通点があり、時々読んだ本の感想を言い合ったりしてそれなりに仲が良かった。

 あの時も担任の女性教師は、朝の会できわめて事務的に彼の『消失』を報告した。高校生になった今ではそんなことはないが、当時僕たちはまだ子どもで、クラスの何人かは大声で教師に曽根君の『消失』について質問をしたり、戸惑って泣き出したりする子もいた。彼らはすぐに別室に連れて行かれた。おそらくはそこでお説教を受けたり、あるいは『消失』とはどういうことかを諭されたりしたのだろう。『消失』が起こったとき、ことさらに感情的になったり、必要以上に言及したりすることは、社会通念上好ましくないとされている。小学生に「社会通念」なんてものはまだまだ理解できないかもしれないが、例えば「葬式では騒いではいけない」ことを誰からともなく自然に学ぶように、僕たちは『消失』との付き合い方をいつの間にか身に付けている。


 授業を終えて部活動へ向かう。僕は吹奏楽部に所属していて、この日は個人練習をすることになっていた。僕たちのパートは体育館の裏のスペースを練習場所として割り当てられている。楽器と楽譜を手に、部室棟の脇を抜けて体育館の方へ向かう途中、目立たない校舎の陰で数人の女子生徒が肩を寄せ合っているのが視界に入った。その中に、幼馴染の松尾美佳の顔を見つけて、僕は立ち止まる。

 別にじろじろ眺めていたわけではないが、彼女たちが泣いていることはすぐに気が付いた。そしてその涙の意味にも。たしか美佳は、高瀬さんと特に親しかったはずだ。


 社会は『消失』した者を「はじめからいなかった」かのように扱う。どこかの誰かが『消失』したとて、何も感じないし、何も変わらない。事務的に彼または彼女が抜けた穴を埋めて、いつも通りの日常に戻っていくだけだ。せいぜい、万一『消失』したときにスムーズに穴埋めができる体制を作っておくことだけが、具体的な対応だった。どこかの誰かが『消失』しても、何も感じない。何も言ってはいけない。雨が降ったり風が吹いたりするのと同じように、当たり前で抗いようのないものとして、『消失』はそこにある。

 けれど、親しい人、大切な人が『消失』してしまったとき、僕たちは本当に何も感じないのだろうか。僕はその答えを知っている。僕は今でも曽根君のことを忘れてはいない。あの物知りで冒険小説が好きな眼鏡の似合う曽根君がこの世から消えても、彼の記憶は『消失』してはくれない。その記憶を抱いて、僕は何事もなかったかのような顔で毎日を生きていく。

 僕は美佳たちに気付かれない様にそっとその場を立ち去った。彼女たちもまた、高瀬さんのことを忘れはしないだろう。

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