会話
「え……?」
少女の問いかけに、哲也は困惑する。
悩みがあるのは確かだが、今の短いやりとりの内に気づかれるほどに、表に出ていたということなのだろうか……?
「いえ、このくらいの時間にスーツを着たまま、こんなところにいる方なんて、大体、仕事をさぼっているか──悩みを抱えている方だったりしますので」
「ああ、そういうこと……」
実際、自分も仕事を休み、神頼みなんてことを思いついてここにやって来たわけで、まあ、どちらも当てはまっているというわけだ。
「よければ私が、お話し、聞きますよ?」
大人びた穏やかな表情で、少女は言う。
「え?」
「もちろん、いち女子高生の私なんかじゃ、適切なアドバイスはできないと思います。けど、誰でもいいから愚痴ってみる。これ、悩みの解決法のひとつですよね?」
「いや、けど……」
「これでも神に仕える身ですから。他の人に話したりなんてしませんよ」
人差し指を唇に当てて、微笑む狐子。
どうやらその口ぶりからして、今までも悩み相談に乗ってきたことがあるようだ。
「いや、まあ……他人に言えるような悩みじゃあ……」
思わずそんな返事をすると。
「恋ですかっ!」
狐子はキラキラとした目で言葉を重ねてくる。
それは思春期の少女特有の好奇心とでもいうのか、それとも相手から悩み事を引き出すためのテクニックなのか。
哲也は、はは、と、苦笑いを浮かべて。
「流石にさ。色恋沙汰に悩むほど、若くはないよ」
「いえいえいえ、哲也さん、まだお若いでしょう? それにモテそうだし!」
嬉しそうに語尾をあげる狐子。
苦笑いを続けながらも、哲也は思い出す。
哲也には付き合っていた恋人がいた。
バイト先で知り合い、打ち上げの席で意気投合し、デートを重ねた。
少し強気ではあったものの性格は良く、自分にはもったいないと思うほどに器量もよかった。
しかし大学を卒業して、お互い会社勤めを始めた頃に、別れることになる。
それは──かなり衝撃的な別れ方であって。
今でも抱えこんでいる悩み事のひとつではあるが、流石に人に言える話ではない。
ため息を吐きそうになるのを堪え、哲也は笑顔を作る。
「ま、恋人はいないし、今のところ作るつもりもないよ」
先ほど目の前の少女に対して抱いた想いを、わずかに気にしながら。
「独りの方が、気楽だからね」
つぶやくように、そんな言葉を足した。
「ふうん……大人、ですねえ」
さも納得がいかないといった風に返しながら。
「恋わずらいじゃない。なら仕事のこと……それとも……」
ぶつぶつとつぶやき、思案顔を浮かべる少女。
そんなにも他人の悩み事に関わろうするあたり、どうやらおせっかい焼きな性格らしい。そういったところは、どうにも付き合っていた恋人とよく似ていて、彼女のことを思い出してしまう。
それはさておき、この場はどうしたものか。
つい悩みがあるといった感じで話してしまった以上、無下に断るのも悪いだろうし、と。
「いやあ、まあ、何というか、奇妙な話というか……」
哲也は適当に言葉を濁す。
「あれ、ミステリー的な話ですか?」
「いや、どちらかというと……オカルトとでもいうのかな……」
「えっ!」
少女はその目を大きく見開くと。
「得意分野ですっ!」
今日出会ってから一番の、満面の笑顔を浮かべて、そう言い放った。
いち女子高生がそんなに嬉しそうに、オカルトを得意分野と主張するのはどうなのかと思ったものの、神職の子であることを考えれば、まあミスマッチということもないのかも知れない。
しかし……と、哲也は改めて狐子の顔を見つめる。
ぱっと見、大人びていて、それでも可愛らしさを残す黒髪の美少女。
けれど今、その整った顔つきには「好奇心があふれ出ている!」と、そんな感じの、いかにもワクワクとした様子が浮かびあがっていて……
これは……確実に追い込まれた気がする……
「まいったな……」
哲也は頭を掻きながら、わざとらしく息を吐くと、さっきまで座っていたベンチに腰をかけた。
「そうだね、じゃあ……聞いてもらおうかな」
せっかくだし──と、確かに丁度いい機会だったのかも知れない。
悩み事をひとり抱え込むのが自分の悪い癖だと、哲也自身もよくわかっている。
さっきこの少女が言っていた通り、たとえ解決法が見つからないとしても、他人に話してみることで、自分の中で気持ちの整理ができるかも知れない。そしてそれは、懺悔室や占い師よろしく、自分の日常にかかわらない人物であれば、なおさら後腐れがなくて良いのだろう。
「はい、是非聞かせてください」
さっきの表情はどこへやら、穏やかな顔つきで言う狐子。
両手でカバンを持ち、哲也の正面に立つと、じっとその目を見つめてくる。
流石に話しづらいので、哲也は少女を自分の横に座らせた。
「まあ、本当にバカバカしい話でさ。夢の話というか──」
哲也は話を始める。
人間的に合わない上司のせいで、会社に行くのが辛くなっていたこと。
親戚からもらった夢見の良くなる薬で、明晰夢のような体験ができたこと。
夢の中、顔も知らぬ少女と一緒に時間を過ごすだけで──現実を忘れ、それがストレス解消につながっていたこと。
しかし昨晩、その少女が自分に向かって話しかけてきて──
などと。
口に出してみると、本当に馬鹿馬鹿しい話であることに改めて気づく。
オカルトというのはとっさに出てきた言葉だったが、客観的に見直してみると、あながち間違っているわけでもなく、まさにオカルト話といった内容だろう。
それに、そういった言葉で置きかえることで、自分が真剣に悩んでいるということを誤魔化せるような気がして、そのすべてを素直に話すことができていた。
所詮、夢の話だ、笑い飛ばしてくれ、と。
そんな言葉で、哲也は話を締めたのだが。
「──別に、バカバカしい話だとは思いませんよ」
すうっと微笑むように、それでも真面目な目つきで、狐子は言った。
「昔からあるじゃないですか。良い夢を見て、現実でも幸せになろうって」
「え?」
意外な返しに、哲也は戸惑う。
「初夢、ですよ。新年の夜に良い夢を見ると、その年が良い年になるって」
「ああ、なるほど。言われてみれば確かに」
一富士、二鷹、三ナスビというやつだ。
もちろん、哲也の話した夢の話とは意味合いは異なるが、文字面だけ見れば同じようなことと言えるかも知れない。
「七福神の乗った宝船が描かれた紙を、枕の下に置いて寝ると良い夢が見られる──江戸時代のお正月は、宝船の絵を売る商人が風物詩になっていたそうですし、良い夢を見たいという気持ちは、昔から共通のものだと思いますよ」
「ふむ」
「それに、悪夢を食べてくれるバクの伝承も中国から伝わったとされていますし、確かアメリカ先住民に古くから伝わる、良い夢を見るためのお守り、なんてものもあるそうですよ。だから日本だけの話でもないですよね」
ふふ、と、狐子は嬉しそうに目を細めた。
学校のテストには出題されないだろうそんな内容が、すらすらと出てくることに、哲也は素直に感心する。
「すごいね。オカルトが得意分野だと自称するだけある」
「あ、いえいえ」
わずかに頬を赤らめながら。
「単に好きなんです。ほら、こういう家柄ですし、よく友達から『狐子に神頼み~』とか、何かあるたびに祈られたりしたりして……そういうときに占いとか、おまじないとかを教えてあげるために、色々と勉強したりして……」
照れているのか、それともオカルト好きだと自称したことが今さらながら恥ずかしかったのか、もじもじと言い訳のように言葉を紡ぎだす。
いや、何か悪いことを言ってしまったかな……と。
「そういえば……夢の世界の神様なんてのもいたっけ」
哲也は話を広げてみることにした。
「ギリシャ神話だっけ。眠りの神ヒュプノスの兄弟だか息子かだかで、確かオネイロスっていう夢を司る神がいて……夢の世界から人間の世界にやって来るための門が2つあって、片方からやって来た場合は人間に正しい未来を夢見させて、もう片方からやって来た場合は、偽りだらけの夢を見せるとか──」
哲也は、大学生のときに一般教養系の授業で聴いた話を思い出しながら、そんな話をする。知識自慢をしたいわけではなかったが、女子高生の手前、少しくらいカッコつけたいと、そんな気持ちがあったのは確かだった。
「ふむ、ふむ」
その当人である狐子は、さも初耳だとばかりに頷きながら聴いてくれているが、顔つきからすると、おそらく既知の内容だろうなと哲也は察していた。
別にそれで気を悪くするほど野暮ではないし、むしろ話しやすくさえ感じる。
それはさっき悩み事を話しているときにも感じたことで、この女子高生が聞き上手であるのは確かだった。
それにこうやって他愛もない雑談をするという時間を、社会人になってから過ごした覚えがなく、学生時代に友人や──それこそ彼女と、一緒にワイワイと楽しんでいた時間と、つい重ねてしまっていた。
「──まあ、神様なんてものの話はともかく」
思うがままに話をした後、つい我に返ったかのように、哲也はそんな言葉で話を締めようとする。
「あら、神様を祭る場所でそんな言い方をしますか? 哲也さん」
周りをぐるりと見回しながら、意地の悪い口調で言う狐子。
淡い橙色に染まり始めた空の下、入口の赤い鳥居がここからでもよく見える。
「はは、ごめん。けど……ああ、そうだ。日本にも夢の世界を支配する神様なんてものがいたりするのかな」
哲也は知的好奇心から──いや、ただ単にこの少女と話を続けたいという気持ちから、そんなことを訊いてみる。
それこそ、この子の得意分野のハズだろうし、と。
「そうですね……そもそも日本神話に夢の世界なんて存在は……」
うーん、と、首をひねった後。
「あ、そういえば」
ポンと、わずかに嬉しそうな表情を見せながら、狐子は手を叩いた。
「ええと、さっきも出てきましたけど七福神、その中に大黒天っていますよね」
「ん? ああ、うん、大黒様か」
打ち出の小槌を持った福の神みたいな神様だ。
「そうです。その大黒天はもともとは仏教系の神様なんですけど、民間で広まっていくうちに、神道の神様である
「大国主命?」
「ええ、因幡の白兎の話にも登場していて、兎を助けたとされる神様です」
「ふうん」
その童話自体はもちろん知っていたが、神様の名前までは覚えていなかった。
「ほら、大国という漢字は『ダイコク』とも読めるでしょう? それが徐々に混同していって、いつの間にか同じ神様として扱われるようになったらしいです」
「なんか適当だね……神様なのに」
「古くから神道と仏教が混在していた日本では、そういったケースは多いですよ。昔はもちろん口伝ですからね」
「へえ」
「それでその大国主命は、その名の通り国の主となった神様で、混沌としていた日本国土に呪術や医療を広めることで、国としての形を造りあげました。しかしその国の支配権を
「かくりよ……?」
それこそ漫画とかオカルト的な映画とかで、聞いた覚えのある言葉である。
イメージ的には死霊の住処といった感じで……
「幽世って、あの世のことじゃないの?」
哲也はそう尋ねる。
「ええ。一般的には死後の世界を指す場合が多いです。けれど言葉としては『現世』の反対語と言いますか、この世とは異なる世界という意味ですので、神様が住む世界と解釈されることもありますし、はたまた海の彼方にある理想郷とされることもあったり、『常夜』とも言われ、永久に夜が続く世界のことを言ったりと……」
なぜか狐子は、そこで言葉を濁す。
理想郷、夜が続く世界──それは、つまり。
「……夢の世界と解釈することもできる、と?」
哲也がそんな言葉を挟むと。
「そんな風にも言えるのかなぁ、というのが、あくまで私の主張です」
頬を掻き、何か気まずそうに笑う少女。
「ええと、『日本書紀』の中に、当時の天皇が眠っていたとき、その夢の中に
「なるほど。そういった逸話も含めて、大国主命が夢の世界を支配する神様だということか」
「ええ、まあ、そんな感じの答えでいかがでしょう……?」
狐子が妙に照れくさそうなのは、それが自分勝手な意見でしかないと認識しているからだろう。しかし逆に言えばそれは、何かの受け売りではなく、神話や伝承を結び付けて自分なりの考えを導き出したということに他ならない。
そういった頭の回転も、またその知識の量についても、改めて関心する。
「──そもそも古くから、人間が見る夢というものは、神様からのお告げであるとか、胡蝶の夢しかり霊魂であるとか、そういった神秘的なものと結び付けて捉えられてきたんです。先ほどのオネイロスの話も、まさにそのひとつでしょう」
一転、自信にあふれた様子で、少女は話を続ける。
哲也が質問をしたせいで話がそれてしまっていたが、本来、彼女がしたかったのは、この話だったのだろう。
「そのことを踏まえて、こう考えることはできませんか?」
哲也の顔をじっと見つめて、穏やかに微笑みながら。
「すなわち、夢とは──自分ひとりで見るものではなく、どこかに存在する夢の世界を覗き見るもの。そこは神様の世界かも知れないし、死後の世界かも知れないし、理想郷かも知れない、と」
少女はそう言った。
「……ふむ、とても面白い解釈だけど、だいぶファンタジーな話だよね、それ」
オカルトなんて言葉をきっかけに話を始めたとはいえ、現実的な悩み事がずいぶんと神秘的な話に帰結したものだと、哲也は思わず苦笑いを浮かべていた。
「けど、哲哉さん」
狐子は、ぴっと人差し指を立てながら首を傾げ、哲也の顔を覗きこむようにする。
「ええと、四元素論ってご存知ですか?」
「ん?」
「科学技術が発達していない頃の仮説です。すべての物質は、火、水、土、そして空気の4つの元素から構成されているという」
「ああ、うん。ゲームとかでもよく見る設定だよね」
「もちろんそれは否定されていて、現在では、すべての物質は原子から構成されていて、その原子は陽子や中性子、電子によって、さらに細かく分けるならクォークなどの素粒子で構成されていると、そう言われているわけです」
「そうだね」
「哲也さん自身は四元素論を否定できますか?」
「……え?」
急な問いかけに哲也は戸惑う。
「哲也さんは、原子やクォークの存在を、自分の目で確認したことはありますか?」
「ないね」
「なら否定できませんよね。四元素論」
ふふんと、その細い指で前髪をかき上げながら、意地悪く笑う少女。
哲也は呆れたように。
「……それを言ったら、逆に、ほとんどの科学技術を正しいものとして肯定できなくなってしまうんだけど」
「かも知れませんね」
「ふむ、じゃあ、強いて言うなら……」
少し考えてから。
「四元素論とは間違っていると、そう教科書に載っているから、以上。狐子ちゃんもこういう思考ができないと、テストで良い点は取れないよ」
「大人の言い分ですね。テストで良い点を取るためだけに、私は生きてませんよ」
狐子は、いかにもわざとらしくニヤニヤとしながら、そう答えた。
まあ、こういう返しがくるだろうことは、哲也にはわかっていた。
これだけ想定した通りに──思い通りになると、少女と気持ちが通じあったようで……いやまあ、その表現はともかく、何だか嬉しい気分になる。
「ごめんなさい。もちろん冗談です。けど」
少女は優しく微笑む。
「科学技術が発達して、人間の脳がどのような仕組みで、なぜ夢を見るかは大体わかっている。だから昔ながらの伝承なんてファンタジーだと──そんな風に決めつけなくても良いんじゃないですか? それこそテストに出るわけじゃないんですから」
すうっと、穏やかな表情で。
「人間には元来そういう力がある。すなわち眠っているときに、神様の世界とつながったり、理想郷に迷い込んだりできる力。けれどそれは違う世界であるから──必ずしも自分の思い通りにはならないのだと」
何か宣託でも告げるかのように、少女はそう言った。
「……なるほど、そういう解釈もできるのか」
「だから、解釈だなんで言わないでくださいよ」
ふふふ、と、狐子は子供のように笑う。
静かな境内。そのすべてが夕焼けに染まり輝いて見える。
「──哲也さんの夢に現れるという女の子は、きっと神様なんですよ」
少女は首を傾げ、優しく微笑みながら。
「たぶん彼女は、日常に疲れたビジネスマンの心を癒してくれる優しい神様です。いつもは黙っていて大人しいですけど、その人に話しかけてしまう場合もあるんです。そんなときは優しく微笑み返してあげましょうよ。きっとそのまま笑って、デートを続けてくれると思いますよ」
そう言って、にこりと、笑顔を見せた。
本当に良い子で、すばらしい相談相手だ──と。
哲也は心からそう思った。
現実的な話と、幻想的な話を、ちょうど良いバランスでまとめあげて。
それらを自らの知識によって裏付けした上で、相談者の悩み事に対する解決案を提示する。
実際、思い通りになるはずの夢が、思い通りにならなかったという、それこそ滑稽で、それでも哲也にとっては深刻な心の問題だったのだから、今、この子が提示した幻想的な答えこそ、現実的に最適な答えだろう。
いや、そもそも──
哲也が感じていたストレスや不安感など、こうやってこの子と話していた時間を通じて、ほとんど発散してしまっていた。
なるほど、夢になど頼らず、現実的な行動によって、抱え込んだネガティブな感情をコントロールできるようになれ、と。そんな「大人としての」解決法に、今さらながら気が付き、哲也は思わず苦笑してしまっていた。
隣に腰かける少女の姿を、改めて眺める。
鮮やかな夕日を浴びながらも、白く映えるきめ細やかな肌。
その整った顔つきは──どこか人間離れした美しさを。
ああ、そうか。
出会ったときに、見覚えがあると思ったのは──そういうことだったのか。
ならば、この出会い自体が、自分の夢なのかも知れない。
しかし、それでも構わない。
むしろ、この子は、こうやって幻想的な存在のまま──
東の空がおぼろげに、やがて夜を迎えようとしているのがわかる。
きちんと礼を言って、自分は、ここから、立ち去ろうと──
「哲也さん。ひとつ、気になっていたのですけど」
少女は真剣な表情で言葉を発する。
「ガランタミンって、アルツハイマーの治療に使われる薬ですよね?」
その現実的な単語の並びに、哲也はぞっと、全身に冷たい感覚を覚えた。
「……そうだよ。よく知ってるね」
冷静さを装って、哲也は答える。
「ええ、祖母が服用していたことがありましたから」
だいぶ前に亡くなりましたけど、と、付け足して。
「夢見の効果があるというのは、初めて聞きましたけど……その薬は誰かからもらったと、そう言ってましたよね?」
「ああ、親戚からもらった」
「その人、薬剤師さんとかじゃ……ないですよね?」
「うん。けど……海外では普通に売ってるらしいし、ネットでも買えるものだよ」
「……かも知れないですけど」
少女は不安そうに、じっと目を見つめたあと。
言葉を選ぶような感じで。
「怖くは、ないんですか?」
そう尋ねる。
「いや、まあ、別に……」
そんな曖昧の返事の中に──自分の身体なんて、どうなっても良い、と。
ついそういった意思を込めてしまったのは失敗だったと、すぐに後悔した。
少女は目を伏せて、ふうと小さく息を吐いたあと。
誠実な瞳で哲也を見上げながら、強い口調で切り出した。
「やはりお勧めはしません。少なくとも、お医者さんに相談したほうが──」
──余計な、お世話だ
低く、うなるような声。
「……え?」
きょとんと、呆けた表情を見せる狐子。
しばらく静寂。
風の音も、聞こえない。
「ご……ごめんなさいっ! 私……」
慌てた様子で立ち上がり、頭を下げようとするも。
「あ、いや、ごめんごめん。確かに狐子ちゃんの言う通りだよ」
哲也は優しく微笑みながら、それを制した。
「自分でもわかってはいたんだ。けど……つい、ね」
うまく言葉にできず、もどかしくなる。
気まずい雰囲気の中、空が赤みを失い始めた。
間もなく日も落ちるだろう。
「なんかごめん。けど──本当にありがとう。相談に乗ってもらって、助かったよ」
哲也も立ち上がり、軽く頭を下げた。
「あ、いえいえ……そう言ってもらえると……」
微笑みながらも、わずかに戸惑った表情を見せる少女に。
「また、ここに来てもいいかな?」
そう声をかけると。
「! それはもちろんっ! いつでもいらしてください!」
きっと本心から喜んでいるような、元気な笑顔を見せた。
その表情に安堵を覚えながら──哲也は別れを告げ、神社を立ち去った。
暗くなり始めた道を、自分の家に向かって歩く。
何か、こう、胸の奥から。
ぞわぞわとした、よくわからない感情が、湧き上がってくる。
それは、自分の脳に、きりきりとした痛みを与えているようで。
高熱を帯びたように全身がだるくなり、胸が苦しい。
やがて日が完全に落ちたその瞬間。
どくんと、心臓が高鳴って。
──また、あの夢を見たい、と。
強く、そう思っていた。
暗い中、自宅のマンションにたどり着く。
普段通りに夕食をとり、風呂に入り。
明かりを消した部屋の中、何もせず、何も考えず。
ひとり、暗闇に沈んでいくかのように過ごし。
やがて、錠剤を飲みほして、眠りについた。
そして。
いつもの場所、出会いの場所。
視界に広がる、灰色の草原。
これは、自分の夢なのだと、強く意識する。
そして待つ。
灰色の草原は、延々と風に揺れ、それでも単調な景色のまま。
いつまでも終わるともなく、静寂が続く。
刹那だけが過ぎたのか、永劫の時が流れたのか、わからない。
結局、朝になり。
自分の部屋、ガンガンと激しい頭痛によって、目が覚めるまで──
少女が、現れることは、なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます