第2話 赤鬼とオレ
「……赤鬼?」
「ワレ、寝起きに他人様にケンカ売るなんてええ性格しとるな」
視界に飛び込んできたのは赤い顔をした厳しい顔の男。
パンチパーマの頭がいかにも鬼らしいが、よく見ると角とかはない。着ている服もパンツ一丁ではなくて白黒縞の派手なスーツだ。
まるで一昔前のヤクザ映画に出てくるそう言う人みたいだった。
突然の状況に、自分の頭が追いついていないのはわかった。わかったが、何かを言ったほうが良さそうな雰囲気を感じる。
「……おはようございます?」
「おう、おはようさん。って、何でじゃ、ゴルァ!」
キレイなノリツッコミと共に、ガッとあごを掴まれた。それをかわそうとした時、体がまったく動かない事に気がついた。
先ほど感じた浮遊感はもうなく、足はしっかりと地を踏みしめている。体の感触から、背後から抱きしめるような形で拘束されているようだった。
(後ろから羽交い絞めにされている状況か……)
周りの状況を確かめようにも、あごを掴まれてしまっているので目の前の男しか見えない。
サングラスにちょび髭、口の中には何本かの差し歯。見れば見るほど典型的なオールドヤクザである。
「何をジロジロ見とんじゃ! お前、わしらに売られたくせに、何を勝手なことしとんじゃ、アァ?」
――ヤクザに売られた。そんな話をついさっき聞かされた気がする。
怒りで顔を赤くしたオッサンは、つばを飛ばしながらなおもがなり立ててくる。
「おまえんところのババアがこさえた借金やろが。娘のお前が体でも何でも使って返すんがスジとちゃうんか、コラ」
威嚇の言葉と一緒に軽く頬を叩かれた。その衝撃が混乱していた頭を一瞬で冷静にしてくれる。相手の「攻撃」によって自分の中のスイッチが入った。
まず、全身の把握だ。
両手両足に存在する全関節を1ミリだけ動かす――成功。四肢の動きに支障はない。
次にフィールドの把握。
自由になった首をぐるりと回し、周囲の状況を把握――完了。
現在、上半身を背後から羽交い絞めにされている。だが下半身は問題なく動く。
俺の仕事で最も大切だったのは、自分の体を十全に利用できるか否か。
普通の人間が自分の体を使ってできることは限られている。その限界を超える事ができなければ、俺の仕事なんてやっていられなかった。
(まずは現状の改善だな)
上半身を拘束されている状態で下半身を使用する場合、使用するのは腹筋だ。
蹴り足を前に出すのと同時に、その勢いを加速させるような感覚で腹筋に力を入れる。するとキレイに足の甲がヤクザの股間にヒットする。殺す気でやる場合は爪先で足を振り抜くんだが、ひとまずは行動不能にするだけでいいだろう。まず一人。
その後、蹴った足を戻す勢いで背後にいる人間の右足を刈る。同時に体を前傾姿勢へと移行させて、重心をずらしてやる。
あとは柔道の投げの要領で、俺を羽交い絞めしていた人間を投げ飛ばす。これで二人。
腕が使えない状態で投げをしたので、自分自身は頭を軸にした前回り受身をして体を保護する。
(よし、慣れない体でやったにしては上出来だ)
「お、おい、おまえ……!」
そこへ不意を突くように背後から手を伸ばしてくる男。完全に油断している所に見えたかもしれないが、こいつの存在も既に認識している。
突き出してきた腕を取って、そのまま地面に引き倒す。ついでに腕を極めて拘束する事も忘れない。三人目、というか一応、これで全部か。
(ん。とりあえず改善完了か)
「イテテテテテテテ!!!」
俺の足元で悲鳴を上げている男は、さっきのヤクザと比べて若い。
金色に染めた短髪に、口にはピアスをつけている。
ふと、こいつは攻撃ではなく、手を伸ばしてきただけだったなと思い出した。
「すまん。後ろから来られたから、咄嗟に反応してしまった」
自分の口から出た言葉。その音色が異様に高いことにすさまじい違和感を覚える。
そして、それによってなるべく考えないようにしていた事実に向き合う事になった。
――どうやら俺は、霧島綾乃になってしまったようだ。
「さて、どうしたもんかね」
とりあえず部屋にあったロープを使って、三人の男を拘束させてもらった。手足を縛って、壁を背にした状態で座らせている。
使ったロープには血が付いていた。恐らくは綾乃が使ったものなんだろう。無意識のうちに、まだ少し血が滲んでいる首に触れる。
(筋も少し痛めてるみたいだが、問題はなさそうだな)
体の調子を確かめつつ、改めて男三人に向き直る。
あのパンチパーマと、俺に投げられた巨漢はまだ気を失っているが、金髪ピアスはこっちを睨んでいた。
「お前、こんな事やってタダで済むと思うなよ」
「そうだな。まあ、タダで済むとは思ってない。それも含めて、どうしたもんかと考えてるんだよ」
俺がそう返すと、金髪は奇妙なものを見るような目でこちらを見てきた。
「お前、本当に霧島綾乃か?」
「さてね。お前にはどう見える?」
金髪ピアスは俺の問いに対してじっとこちらを見つめてくる。それに対してこちらも見つめ返すと、すぐに顔をそらし、吐き捨てるように言った。
「わけがわからねえ奴にしか見えねえ。オレが前に見た時はそんなんじゃなかったハズだぜ。二重人格ってやつか?」
「さあ、どうだろうね。とりあえず今は、俺が霧島綾乃だよ」
「今は、か。うさんくせぇな」
外見から頭の悪そうなやつかとも思ったが、それなりに口が回るようだ。なので。
「うさんくさいついでにさ、俺の事を見逃してくれんかね」
ダメもとで提案してみたが、彼は顔を歪め、こちらを再び睨みつけてきた。
「はぁ? てめえ、霧島冬実の娘だろ? 借りた金を返しもしないで逃げられるわけねえだろ」
どうやら綾乃の母は冬実と言うらしい。なるほどね。
「でも、それは冬……母が借りた金だろう。親の借金を子供が返す義務はないはずだ」
危うく母親を名前で呼びそうになりつつ、きっぱりそう返すと、彼は哀れな者を見るような目を向けてきた。
「オレらは取り立てを依頼された側だから詳しい事は知らねえ。ただ、お前、連帯保証人になってんだろ。書類上でそうなってる場合、言い逃れはできねえって聞いたぞ」
なるほど。そう言う状況だったのか。確かに連帯保証人になっている場合、その者は債権者と同等の責任を負う義務がある。だが……。
「確か、本人の意思を無視した連帯保証契約は無効にできたはずだ。少なくとも俺はその契約を結んだ覚えはない」
あくまで「俺は」だがな。ただ、綾乃に聞いていた母の性格や思考パターンから考えると、勝手に契約をしている可能性は高いだろう。
金髪ピアスは俺の言葉に驚いた顔をして、すぐに呆れたような顔をした。
「たぶん、お前の言ってることは間違ってねえ……と思う。と言うか、それを知っていて何で死のうとした?」
言われて、ふいに自分の首に手を伸ばす。そこには縄が擦れてできた傷が残っている。触れると、針を刺すような痛みが走ったが、顔には出さない。代わりに。
「あー……一回死んだら、冷静になったんだよ」
そう言って、笑った。本当に笑ってしまう。こんなくだらない問題で死んだのか、あいつは。何とも言いがたい感情が俺の中でぐるりと渦を巻く。
「……っ!?」
それに対して、金髪ピアスは恐ろしいものを見るような目で戦慄していた。
(あぁ、いかんいかん)
慌てて気持ちを落ち着かせる。現状でもだいぶ女子高生らしくないのに、凄みまで出してしまったら余計におかしく見えてしまう。
「おまえ、まじで、何なんだよ……」
彼はたった少しの会話でだいぶ疲れている様子だった。なにやら色々なショックを与えてしまったようだ。
ぶっちゃけると俺のほうが色々とショックを受けているんだが、感情をコントロールする癖がついているから、顔には出していない。
彼を安心させるためにも、俺は持てる全ての力を使って渾身の笑みを浮かべて、こう言った。
「霧島綾乃。フツーの女子高生ですっ」
「……」
口を開いたまま、何も言わずにどこか遠い所を見つめ始めた彼を見て、たぶんこの答えは間違いだったんだろうなと思った。
「おい、ワレェ! 調子にのっとったら、ぼてくりこかすぞ! アァン!?」
「アァン!? コラァ!? アアァン!!?」
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