第7話 ログアウト不可
「あの……、一つ質問良いですか?」
彩雨ちゃんが自分の腰を叩きながら、アエイスに尋ねる。
腰痛が悪化してきたのだろうか。
ログイン時の後遺症だったら少し悪い気もする。
「いいわよ」
アエイスが右手で髪をかきあげながら、そう答えた。
彼女の左手には、先端に大きめの球体がついた長い杖が握られている。
あんなに長く重そうな杖を片手で持てるなんて、実はアエイスはかなりの筋力があるのかもしれない。
「『鈴木』さんって、本名なんですか?」
「知らないわよ…………。可愛いわね、彩雨ちゃん」
何を聞くのかと思えばこれである。
アエイスは笑っていた。
遥も苦笑いする。
「そうなんですか……。この世界、皆本名じゃないといけないのかと……。瀬津那くんは瀬津那だし……」
「僕は本名が既に本名じゃないみたいだから、逆にいいかなと思って……。というか、もし本名でやらなきゃいけないなら『鈴木』は結構被っちゃうでしょ」
「確かに……。被ったら何でいけないの?」
「何でって……。『鈴木B』とか『鈴木C』とか作らなきゃいけなくなっちゃうでしょ。全く同じ『鈴木』って人が何人もいたら、例えばこの前の抽選会で『鈴木さんにぬいぐるみが当たりました!』って言われてもどの鈴木に当たったのか分からない。全く同じ人が存在することが可能なら、ゲームがおかしくなっちゃうよ」
「なるほど……。流石、瀬津那くん……」
本当にこんな説明で分かってくれたのだろうか。
……いや、絶対分かっていない。
絶対。
「もしかして……、瀬津那くん、鈴木さんはもしかして……、他の鈴木と被ったから消えちゃったんじゃ……?」
「もうその鈴木重複説はいいよ……。多分アカウント停止処分をくらってしまったんだ、あいつは……」
「そういえば瀬津那、これで四人揃ったんじゃないか?」
遥は赤い髪飾りをいじりながら、そう言った。
そういえば4人パーティーを組んでプリーンを倒すというクエストがあったんだった。
忘れかけていた。
僕、遥、アエイス、彩雨ちゃんの4人は「パーティー」を組んだ。このゲームでは「ギルド」よりも小さい範囲で一時的な「パーティー」を組むことができるのだ。
何かあっても、僕と遥がいれば大丈夫だろう。
そして最高の回復役アエイスもいる。
そして最高の彩雨ちゃん。
何と素晴らしいパーティーだろうか。
「本当にプリーンを倒すだけでいいのかしら……。そんな初心者クエストを……」
「僕もそう思うけど、でも、このゲーム全体がおかしくなっちゃったし、きっと最初からみたいな感じになったんじゃないかな、そんなところでしょ。とりあえずログアウトできないんだし、他にすることもない。皆でプリーンを倒しに行こう」
遥は、自身の加速ツールと双剣の具合をチェックした。
彼女の加速ツールは、ポケットの中に入っている。
そのポケットの中で操作し、加速するのだ。
「あたしは準備OKだよ?」
「私も準備OKですわよ。特に準備するものもないのですが」
「僕もOKだけど……、あ……。彩雨ちゃんはどうしようか……」
彩雨ちゃんのことをすっかり忘れていた。
存在を忘れていたという意味ではない。
装備だったり、そのあたりのことを一切気にしていなかったということだ。
僕は大剣を持って勇者ぶった格好をしている。
遥はドレスのようなミニスカに双剣。
アエイスは白魔術師のような格好に杖。
彩雨ちゃんは紺のセーラー服。
彩雨ちゃんだけ妙に無防備に見える。
いや、見えるのではない。
実際、無防備なのだ。
「余ってる装備とか……僕がじゃあ彩雨ちゃんに貸すよ。倉庫に預けてあるから……倉庫はまだ使えるといいけど。彩雨ちゃん、じゃあちょっと一緒に倉庫へ行こう」
「うん、分かった~」
「じゃあ遥とアエイスは三分くらいこの広場で待っていてくれないか、すまん」
「三分待っても来なかったら、あたしとアエイスで勝手に行くからな!」
彩雨ちゃんを連れて倉庫へと行く。
倉庫は、彩雨ちゃんがこの世界にログインしてきた銀行の近くにあった。
その銀行の前を通る時、ニャソ子はいるかなと少し探してみたが、相変わらずいなかった。
倉庫、銀行のあたりに人は少なかった。
とりあえず皆クエストをこなしに行っているのだろう。
それにしてもあの不気味なバージョンアップ……。
version 2.4になったと言っていたな。
それに加えて怪しすぎるクエスト。
この世界はどうなってしまうんだろう。
一時的なバグであってほしいと切に願う。
「ここが倉庫……。瀬津那くんは、この倉庫に何をしに来たの?」
「さっきも言ったけど……。彩雨ちゃんに装備を貸してあげようと思って。強いやつを」
「え、わたし、人を倒したりは……」
「人……じゃないよ。とりあえず、護衛のためにというか。モンスターを倒すだけ。自分がやられないように、という感じ」
「なるほど。わたし自身を守る……」
「アエイスもいるし、大丈夫だよ」
倉庫……。
ここは僕がこのゲームで倉庫バグを発見した思い出深い場所だ。
今そこに彩雨ちゃんといるんだ。
倉庫バグか……。
倉庫バグ。
……まだできるのだろうか。
ちょっと試してみよう。
「あ、彩雨ちゃん、その座標からちょっと離れて」
「座標~?」
「あ、いや、もうちょっとその後ろの柱のあたりまで、下がっていてくれるかな」
「わかった~」
空中に画面を浮かびあがらせ、そのバーチャルな文字盤を操作し、倉庫を開く。
僕が預けていたものは大丈夫。
よし、増殖だ。
このアイテムを引き出すと見せかけて……文字盤と倉庫を繋ぐ回線をストップさせる。
そして瞬時にまた倉庫を開きまた今度は……よし……って、あれ?
何も起こらない。
もう一度試してみる。
ダメだ。
何ということだ……。
も、もう一度だけ試してみよう。
……同じことだった。
終わった。
ついにこの時が来てしまった。
世界のシステムが変わって、僕の増殖人生は終わりを告げた。
ショックを隠しきれない……。
やっぱり世界は本格的に変わってしまったんだ。
そう思わざるを得ない。
「瀬津那くん、まだ~? 何かつけるなら、ニャソ子のがいいな!」
「あ、あぁ、ちょっと待って……今から装備、倉庫から引き出すね……。って、ニャソ子の装備はないよ」
「何だ……。ニャソ子の指輪はつけてるから、今度はニャソ子の帽子とかがいいな~」
「ニャソ子の指輪……? 彩雨ちゃん、それ、ちょっとよく見せて」
彩雨ちゃんは、右手薬指につけている指輪をこちらに見せてくる。
ニャソ子の指輪は装備品扱いになるのか気になったからだ。
もしこの世界の装備品なら、何かの能力が上昇していたりするかもしれない。
僕はその指輪を色んな角度から見てみる。
「彩雨ちゃん、それ、今、外せる?」
彩雨ちゃんは指輪を外そうとする。
頑張る彩雨ちゃん。
眼福である。
「あ、あれ。外れない……」
「適当に外せないとすると、それは装備品だよ。彩雨ちゃん、メインメニューを出してみて。……あ、手のひらを上にして、『メニュー』って言ってみるんだ」
「メニュー」
彩雨ちゃんの手のひらの上に、画面が浮き上がる。
彼女は、手を色々なところに移動すると画面も一緒についてくることに感動していた。
ひとしきり遊んだ後、彼女は我に返ったようで、少し申し訳なさそうにこっちを向いた。
彩雨ちゃんは何をしていても許される。
「彩雨ちゃん、そこに『装備』っていうところがあるでしょ。そこを押してみて。言ってもいいんだけど」
ピン……!
彩雨ちゃんが装備のところを押す。
相変わらず綺麗な人差し指だ。
「あれ……彩雨ちゃん、何も装備していないね……。だとするとその指輪はすぐ外れるはずなんだけど……。……後でちゃんと確かめてみよう」
そう言って、僕は持っているありったけの装備を倉庫から引き出した。
ここでもう増殖バグ技が使えないとなると……、今持っているバグ装備が全てということになる。
ここまでゲームが変わってしまうと、これから先、何が起こるか分からない。
この倉庫もいつまで持つか分からないな……。
「彩雨ちゃん、とりあえず皆の元へ戻ろう。そこで、僕が皆に装備を分けるから」
そして僕と彩雨ちゃんは、遥とアエイスのいるところへと帰ることにした。
彩雨ちゃんとゆっくり歩いていたい気もしたが、早足でそこに向かう。
遥たちを待たせているので、仕方ない。
「この世界、僕もどうなってるか分からないんだ。あまり言いたくないけど……、もしこの世界で死ぬようなことがあったら、本当にどうなってしまうか分からないんだ」
「そうなの……。でも、わたし思うんだけど、これはゲームでしょ? ゲームならそんな大事には……」
「いや……」
僕はそこで言葉を切った。
言いたいこともあったが、これ以上、彩雨ちゃんの不安を煽るようなことは言えない。
そう思ってやめたのだ。
「とりあえず、死んだらダメなんだ。そして、僕は誰ひとりとして死んでほしくない。だから、僕の最強の装備を皆で分けることにするんだ」
僕と彩雨ちゃんは二人がいる広場へと到着する。
そこでは、遥が座って暇そうにしていた。
地面に指で猫の絵を描いている。
「瀬津那! 絶対三分過ぎただろ! 待ちくたびれて今度はアエイスが『五分後に戻るわよ』とか悠長なこと言ってどっか行っちゃったからな!」
遥はアエイスのモノマネを交えてそう話した。
個人的に、結構似ていると思った。
遥は立ち上がり、スカートやストールをパタパタとはたく。
「ご、ごめん……。あ、そうだ。遥。倉庫の増殖バグ技が……使えなくなってたんだ」
「そうか」
「倉庫もいつ使えなくなってしまうか心配だから、バグ強化装備をとりあえず全て引き出してきた。これをパーティー皆で分けたいんだ」
「瀬津那、思ったよりも全然持ってないんだな?」
遥は僕が持ってきた装備を見て、そう言う。
僕の負けず嫌いスイッチが少し反応した。
少しではない。
結構反応した。
「そんな簡単に大量生産できないんだよ。僕はアップアップルを増殖させることしかできないし、それを装備に突っ込むんだから、結構時間かかるんだ」
「そのバグ装備自体を増殖させて、露店で売れば瀬津那、大富豪だろ」
「それを買ったやつが強くなっちゃうし、まず、露店でプレイヤーに直接売ったら、僕がバグ装備使ってるってバレちゃうじゃん……」
「もうバレてるだろ……?」
「鈴木みたいに、僕はなりたくないんだ……。消されちゃったら全部終わりなんだよ。で、アエイスはどこに……? 皆で、僕の装備を分けようと思うんだけど」
「あのケチな瀬津那が? 装備を? いくらで?」
「一つ60Mで……。とか言わないけど、もうこの際、いくらとか言ってられないんだよ。僕はこの中で誰ひとり死んでほしくないからさ」
「そうかそうか、でもいいのか……? 装備の受け渡しは、一回きりなんだぞ」
「いいに決まってる。この世界が元に戻ってから、また装備はいくらでも作るさ。作れればだけど……今は皆死なないことだ。そしてプリーンを倒すクエストをこなそう。ゲーム側から課されたクエストをこなすことで、何か見えてくるかもしれない」
「何も見えてこないだろ、クエストこなしたからってさ」
「でも僕ら、今、それしかやることがないんだ……」
「……それはそうだな。それにしても、アエイスはいつ帰ってくるんだよ」
「すみません、ちょっといいですか?」
急に彩雨ちゃんが口を開く。
一体何だろうと、僕と遥は彩雨ちゃんの方を見た。
何か重大なことに気づいたのだろうか。
「『アエイス』さんも、本名なんですか?」
「あたしは……、本名じゃないと思うけど……」
「僕も本名じゃないと思うよ。そもそも『アエイス』って、『アリス』って名前を打とうとしたらミスってそうなっちゃったという、悲しいいきさつがあるんだ……」
遥と彩雨ちゃんは同時に吹き出す。
僕も最初にそれを聞いた時、吹き出したのを覚えている。
確かに、一般的にキャンセルボタンとして使われるボタンが、あるゲームでは決定ボタンだったりすると、そういうことが起こってしまう。
でもこのゲームはそういうコントローラーで操作するタイプではないから、落ちつけば回避できた問題だったと思うが……。
「瀬津那、それマジかよ……。あんなにお高くとまってるアエイスがそういうミスするのか?」
「『戻る』ボタンを連打したけどもう遅くて……みたいな話を聞いた」
「あいつ、めっちゃポテンシャル高いな……」
そんな話をしていると、アエイスがどこかからバタバタと帰ってきた。
何度見ても、彼女の服は走りづらそうだ。
もっと短いスカートにしてみてはどうだろうか。
「ごめんなさい、皆さん、待たせたかしら……?」
「おいアエイス、何してたんだよ。こっちは……」
遥はそう言いかけて吹き出した。
さきほどアエイスの由来を知ってしまったことによるものだろう。
アエイスがそんな遥を見て不思議そうな顔をする。
「恐らく、四分三十秒くらいですわね」
「確かに、五分以内で帰ってきたな」
「私は、自分で言ったことは守りますわ」
改めて見てみると、このパーティー、色のバランスは良い。
僕は銀、遥は赤茶、アエイスは白、彩雨ちゃんは紺。
誰も色が被ってなくて良かった。
いや、別に被っていても良いけど。
「ていうかアエイス、何してきたんだ? こんな時に」
「すみません。さきほどのバグのことで、友人と連絡を取っていたんですわよ……。色々と聞いた感じですと、やっぱりどの街も、ここみたいに、ちょっと変になっちゃったみたいですわね。あと、ログアウトもできなくなったことと、テレポートも使えなくなったということで……」
テレポートもか……。
もう今更何が使えなくなっていようと僕は驚かないが……。
アエイスが戻ってきたところで、余っている装備を分けたいということを皆に改めて告げる。
僕は持ってきた四個の装備品を、皆に見せた。
物理攻撃力が上限突破した銃、
物理防御力と魔法防御が上限突破した盾、
命中が上限突破した指輪、
回避が上限突破した腕輪。
どれも全てが恐ろしいくらいのパラメータ上昇値を出している。
我ながら素晴らしい装備たちだった。
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