9─幸福の太陽
「ファイ!」
笑顔が戻ったゼータに、ファイがうなずく。
彼は右手に書物を抱え、余裕たっぷりの表情でローの隣に進み出た。
ファイは、どこか怯えたような依頼人と、机上の箱を一瞥する。
「一応、今自分の仮説に確信を得たので、正しい情報かと思いますよ」
彼は、手元の書物をめくる。
装丁の美しい、本。
青い布の表紙には、銀の糸で刺繍がなされている。
『宗教の歴史まとめ』
タイトルはこうだ。
「…、宗教、…?」
ローが、喉を震わせた。
その言葉に、依頼人ジェシカは立ち上がる。
「何…?!何なの、悪いの?
宗教が…悪いの?」
「いいえ、宗教は悪くありません。
悪いのは、宗教の名を語ることで迷える人を良いように使う輩ですよ」
ファイの言葉は、凛と冷たい響きだ。
「少なくとも、あなたが信じた者は、私から言わせてもらえばただの悪人ですね」
ソファーにくずおれた依頼人。
ゼータはジェシカの隣にまわり、彼女の力ない体を支えた。
納得したものの、驚きは隠せない様子のロー。
「ど、どういう…ことだ、ファイ」
彼の口から、尋ねる言葉がついて出た。
一呼吸。
「端的に言えば、ヤバい宗教だった、と、そういうことです」
ファイは、語り出した。
「あの曲は巧みに編曲されていて全く気がつきませんでしたが、古代魔法において洗脳に用いられる曲を多数合わせ、つぎはぎしたものです。
今までそういうのは多々作られてきましたが、たまたま、私たちが聴いたあの一節で始まるのは、この曲だけだったんですよ」
ファイは、書物のある見開きを湿す。
『幸福の太陽』。
そういう見出しだ。
「幸福の…太陽?」
ゼータがつぶやく。
途端に、ジェシカの体がこわばった。
ファイは続ける。
「一応、曲の譜面はここに書いてありますが、わかりにくいといけないので、音を鳴らすべく魔法陣を作ってきました」
彼がページの間に挟んであったものを取り上げる。
一枚の紙。
青いインクで描かれた魔法陣。
ファイはその魔法陣をテーブルに置き、指でなぞった。
瞬間、昨日酒場で聴いた、あでやかな旋律が溢れ出る。
空間を満たす、甘美な音色。
依頼人の体はほぐれ、彼女はゆったりとソファーの背にもたれかかる。
「やはり、あなたは幸福の太陽の信者でしたか」
ファイは言い放つ。
「もう、幸福の太陽は滅びたというのに、まだこの曲に酔えるとは」
「え、ファイ、滅びたって?」
訊くゼータに、ファイは向き直る。
「幸福の太陽は、今から30年ほど前に全盛期を迎えました。
教祖となったのはカエレスと名乗る男性でした。本名はトムといいます」
「うっわ…本名普通すぎ…」
「まあそれは置いといてですね、この宗教はカエレスの求心力により、爆発的に広がったんですよ。
ちょうどその頃、他国で戦争が多発していたのもあいまって、社会に不安もあったからでしょう。
とにかくこの幸福の太陽の信者は、過去の怪しげな宗教に類を見ないほど、増加していったんです」
ファイは本のページをめくり、続ける。
「で、当然カエレスは信者を食い物にし、利用する気だったわけです。
彼は法外な料金で物品を買わせ、そしてその品には漏れなく洗脳の魔法をかけていました。
結果、信者たちはカエレスの思想のもと、この国の法すらも犯すようになっていった、というわけです」
「じゃあ、この箱…
…このオルゴールも、その高い物品?」
ゼータは箱を手に取る。
「いえ、これは非売品です」
ファイがかぶりを振る。
「幹部クラスの者…
まあ要はカエレスにより金を貢いだ、つまり、洗脳用の商品を多く買った信者に、カエレスから直接渡されるものだったようですね」
ファイの、妖しい微笑。
「魔術式の、オルゴール。
古代魔術の曲を用いた強力な魔法で、カエレスへの精神的癒着を強化するという代物です。
カエレスが認めるほどに洗脳されきった、信者にとっては勲章と言えるでしょう」
そして、それだけじゃないんですよ。
彼は、にやりと笑った。
「さらに、このオルゴールは、カエレスの思想を常に信者に伝える役割も果たしています。
カエレスの感情が魔法によってオルゴールにリアルタイムで乗り移り、オルゴールを聴いた信者に思想を伝える。
犯罪の扇動をする道具でもあったわけです。カエレスが、自らが描く世界を作り上げるための、ね」
そうか。
このオルゴールは、
「…常に、
教祖から、信者への…
メッセージ、だった…?」
「ええ、間違いなくそう言えるでしょう」
ゼータの消え入る言葉を、ファイが縁取る。
「事実、そのメッセージに応じた何人もの信者が、手を汚していますからね」
唖然とする、ロー。
「い、今は、…もう、その、宗教団体は、ないん…だな?」
「ええ。
全盛期から10年後、今から20年ほど前です。
王立兵士隊の特殊委員会により、幸福の太陽は摘発されました。
その残骸が、まさかこんな形で残っていたとは」
続く、魔法の曲。
依頼人ジェシカは、
…幸福の感情に、堕ちていた。
「なーるほど?」
工房の奥から出てきたのは、依頼人の娘メアリを抱いた、シグマである。
「シグマ!
どこにいたかと思えば…」
ファイが盛大にため息をつく。
「まったく、そんな小さな女の子にベタベタ触って…
犯罪の香りしかしないんですが大丈夫ですか?」
「お兄ちゃんひどい!
あたし、おじちゃんすきだもん!」
メアリは、いたってご機嫌だ。
シグマはメアリの額をなでて、
「箱は開けたけど、こりゃあ、依頼人を治すのが先決だねえ」
おどけたように、肩をすくめてみせる。
「メアリちゃんも、笑ってるママが好きだもんねー」
「うん!」
シグマの問いかけに、少女は元気にうなずいた。
「確かに、そうですね。
依頼人の洗脳を、解かなければ」
ファイの手のひらに、光が集まる。
それは見る間に白い鳥になり、工房の窓から飛び立っていった。
「イプシロンに、応援を要請しました。
洗脳対策の薬品を持って来てくれるはずです」
「一件落着…しそうだな」
ローの背筋から、ようやく力が抜ける。
しかし、
…ゼータはまだ、すっきりと納得がいっているわけではなかった。
彼のぱっとしない表情をみとめ、ファイが声をかける。
「どうしました、ゼータ。何か不満が?」
「いや…」
ゼータは、
…一瞬ためらい、
…答えた。
「カエレスって、悪いけど、すごい魔法使いだったわけじゃん?
なのに、結界で守った魔導オルゴール、結局使えなくなっちゃってるよな?
あれそんな、魔法劣化しちゃうほど弱い結界だったの?
違うよな?
なあ…変じゃないか?」
そうだ。
明らかに不自然な謎が、まだひとつ残っていた。
「それにさ、鍵。
そんな大事な鍵なのに、鍵屋に頼まなきゃいけないレベルでなくすなんて、あり得なくない?
俺ならオルゴールと一緒にしまっとくけど…」
沈黙。
確かに、まったく意味がわからない。
強い結界に守られ、にも関わらず失われた、魔導オルゴールの機構。
洗脳を受けてなお、なくしてしまう鍵。
重たい空気を破ったのは、
「たべちゃったんだよ!」
少女の、声だった。
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