8─ちぐはぐな依頼人


昨日に引き続き、仕事場はローズ・ワークショップである。



工房の入口で待っていた、ロー。

彼はゼータ、シグマの姿をみとめると、ふたりに駆け寄ってきた。


「よ、よかった、

…ゼータ、は、何とも、な、なさそう…だな…?」

「ああ、ぜんっぜん大丈夫!

ごめんな、心配かけて」


というか、ローはいつもにも増しておぼつかない口調というか、言葉の端々でしょっちゅう噛んでいる。

肩に力も入りすぎだし、むしろローの方が心配だが、と、ゼータは思った。



ローがふたりを店内に促す。


掃除の行き届いた店頭の奥に、応接スペース。

テーブルを挟んで、長椅子が向かい合っている。


依頼人は、まだのようだ。



ふと、ローが呼気を震わせる。


「どうした、ロー」

シグマが尋ねた。


「き、緊張…して、…きた、というか、…

…そ、…

…そ、そうだな」


まあ、さっき会ったときからわかってはいたが、ローは相当ガチガチに緊張している。

外部の人と会うとなるとこうだ。

この獣人は非常に奥手であがり症、いたく繊細で気が弱いのである。


「大丈夫だロー、手に三回“獣”って書いて飲み込め」

シグマはローの背を叩く。

「画数多いけど頑張って!」


真剣な顔で、手のひらに指で「獣」と書き始めたロー。

緊張のしすぎで冗談はもはや通じないらしい。



彼がようやく、3回目の「獣」を書き終えるか終わらないうちだった。


扉が開く、蝶番の音。


「こんにちは」


柔らかい、女性の声。


ふたつの足音。


───客人の、到着だ。


幼い娘の手を引く依頼人が、店頭の入口に立っていた。



ローは足を震わせ、

「い、いら、…

い、らっしゃいませ、」

出鼻から思い切り噛んだ。

「ジェシカさん、…お、お待ちしており…ました」


「こちらの方は?」


訊く女性に、シグマが進み出る。


「俺は万屋のシグマ、こっちは魔法専門店のゼータ。

今日はローの手伝いで、お客さんの話聞かせてもらうな。宜しく」


よろしく、とゼータが重ねて言うのを遮り、

「あーっ!」

声を上げたのは、小さな女の子だった。

「ママ、このおじちゃんのかみ!

あたしが見たの、このおじちゃんみたいなしろーい毛の、まーるいやつなの!」


依頼人の顔から、血の気が引いた。


彼女は、

「メアリ、何言ってるの!

嘘はやめなさいっていつも言ってるでしょ!」

声を荒げ、娘を叱りつける。

…人前にも関わらず。


「うそじゃないもん!あたし見たもん!」

「何度言えばわかるの!」

「わかんない!ママのいじわる!」


依頼人の手が、上がる。


ゼータはとっさに、女性の腕をとった。

「はいはい、お客さんこっちこっち。

お茶とコーヒーどっちがいい?」

彼女を、応接用のテーブルのところまで促していく。



母親と繋いでいた手がほどけ、肩を震わせる少女。


「お嬢ちゃん」

シグマは、メアリと呼ばれた彼女に、自分の目線を合わせる。

「おじちゃんとさぁ、おしゃべりしない?」


少女の小さな手が、うるんだ目をこする。

「ん、…おじちゃん、と?」


「そそ、おじちゃんと」

シグマが彼女を抱き上げた。


「おじちゃん、その白いやつのお話聞きたいなあ~♪

メアリちゃん、おじちゃんに教えてくれる?」

「うん、いいよ!おしえてあげる!」

「やったーおじちゃん嬉しいぞー!

よーしいい子だ、いい子にはジュースをあげようね~」




「はいっ、どうぞ」

ゼータは紅茶を淹れ、依頼人・ジェシカの前に差し出した。


「…いただきます」

彼女はお茶をすすり、

…ため息をつく。


「お待たせ、しました、

…」

ローが、あの箱と、鍵を携えて現れる。

「依頼品を、お持ち…しました」


ローはゼータの隣に座り、テーブルを挟んで前の長椅子には、生気のない表情の彼女がいる。


彼は箱をテーブルに置いた。

そして、鍵穴に鍵を差し入れ、回す。


かちり。


小気味よい音とともに、箱は開かれた。


「すみません、ひとつ、謝らなければ…」

ローが、切り出した。

「ここには、曲の一節が封じられていたのですが、

初めて開けたとき、流れ出て…しまって。

中身を、損じてしまい…申し訳ありません」


「…ど、どうして」

見る間に、ジェシカの表情が歪む。

「なぜ、なぜ何も…ないの」


ゼータは肩をすくめた。

「なぜ、って…

だから、中に入ってた音が流れ出ちゃったから。

他には何も入ってなかったよ」


「オルゴールが…、

そんな、何もないなんて、有り得ない、

加護を、ああ受けた、っ」


明らかに取り乱す女性。



だが確かに彼女は、


“オルゴール”


そう言った。



彼女は、箱が何であるか、中身は何か、間違いなく知っている────。


その上で、まるでこの箱をさも偶然見つけたものであるかのように装い、鍵開けを依頼したのだ。


ゼータとローは、互いに視線をかわした。


彼女には、このオルゴールを秘密裏に開封したかった理由が何かしらある。


そしてこの取り乱しよう。

この箱───もとい、オルゴールは、彼女の中で何か重大な意味を持つに違いない。



硬直するロー。


「あ、いや、ねっ、ちょっと落ち着きましょうよ」

ゼータは、とりあえずジェシカをなだめる。

彼女の瞳は、焦点を結ばない。



どうしたものか。

途方に暮れた、ゼータのため息。


そこへ、金属の擦れる音。

扉が開くときのそれが、重なった。


「っと、いらっしゃい?」


ゼータが扉の方を振り返る。

応えるのは、聞き慣れた、高い靴の音。


「遅くなりまして申し訳ありません」


涼しげな瞳の青年───ファイ。


「曲について詳細がわかりましたので、ご報告を差し上げます」


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