5─マスターとのひととき

「マスター、

…えーっと、なんかください!」


思い切り雑なオーダーをするゼータ。

何も注文しないまま店でさんざっぱら騒いでただ帰るわけにはいかないので、5人には先に帰ってもらい、一応こうしてカウンターについた次第である。


マスターが投げかける、いつもの微笑。


「お酒がいいのかな。それとも、他が?」

「お酒かー。いいのある?

俺甘いやつがいいんだけど」

「それなら、カシスオレンジはどうだろう」

「えっ何それ。美味しそう…」

「カシスリキュールを、オレンジジュースで割るメニューだよ。

ゼータには、オレンジジュース少し多めがいいかな?」

「あっ、うん、そうする。それがいい!」


マスターがタンブラーにカシスリキュールをつぎ、そこにゆっくりとオレンジジュースを満たす。

赤と黄色のグラデーションを湛えたグラス。

縁にはカットオレンジとマドラーが添えられ、それはゼータの前にそっと置かれた。


「さあ、どうぞ。かき混ぜて飲んでみてね」

「うわ、うわわ、すっごい…!

いただきまーす」


銀色のマドラーを動かすと、底に埋もれたリキュールの鮮烈な赤が、グラスいっぱいに溢れる。


一口ふくんで、

「美味しい!」

彼は、思わず言葉に出した。

「すごいなあ、色もきれいで…

…魔法みたいだ」


「ふふ、魔法だなんて。君たちの領分でしょう」

マスターが、青い、優しい目を細めた。


彼、マスターは、同業者組合がここでしょっちゅう会合をしていることを知っている。

そしてさらに、会話の中身もよく気にしている。

この紫髪の美しい男性は、別段、魔法というものに偏見を持ってはいないようである。


「ねえ、訊いても良いかい?」

マスターが、オレンジをかじるゼータに問いかける。

「今日君たちが持っていたあの素敵な箱は、オルゴールだったの?」


今日もまた、彼は6人の会話を遠目に伺っていたらしい。

ゼータは、少し嬉しくなった。


「うーん、俺は違うと思うけど…

現時点では、ただの装飾凝った箱」

「そう、か…

ああいう浮き彫りの箱のオルゴール、昔うちにもあったんだ。

お気に入りで、よく聴いていた」

「へえ、何の曲?」

「きらびやかな雰囲気の曲。

何の曲かは、わからないけれど」


何の曲か、わからない。


さっき箱から出てきたあの曲も、さっぱり知らない曲だった。

あでやかな旋律が、耳によみがえる。


「なあ、マスター」

「うん、何だい」

「そのオルゴールって…どんなやつだった?

何ていうか、こう、誰のオリジナル作品とか、魔法っぽいとか、シンプルだったとか、何でもいいんだけど…特徴ない?」


「そうだなあ」

マスターは、うっとりとため息をつき、語る。

「桜の木でできた、浮き彫りの装飾が綺麗な箱でね。

外側にぜんまいがついていて、それを回すと曲が鳴るんだ。

それと、箱の中はからくりになっていて、箱を開けるとそこで木の人形が曲に合わせて踊るんだよ。

木の人形は、花婿と花嫁の形をしていて、とても可愛らしかった」


花婿と、花嫁。

きらびやかな曲。


「へえ!

なんだろ、結婚おめでとう!的な?」

「うん、そうかもしれないね。

結構古いものだったから、誰がもともとの持ち主だったかは、ちょっとわからなかったけれど。

もしかしたら、結婚を記念した品だったのかな。

おめでとう、っていうメッセージを伝えるための贈り物だったりして」


マスターは、笑う。

「ふふ、君たちの問題のヒントになる?」


「なるなる!どんな情報でもありがたいんだから。インスピレーションの種、みたいな?」


ゼータの言葉に、彼は少しはにかむ。

そして、ゼータの手元で空になったグラスを示した。


「会計にするかい?

このあと、鍵を作りに行くんでしょう」

「うん、そうする。

すっげー美味しかった、ごちそうさま!」


ゼータはエルミア銅貨5枚を代金として支払う。

またおいで、というマスターの甘い声に後ろ髪を引かれつつ、彼は酒場を離れた。



さて、これから一仕事だ。

ローの工房で、結界を破る鍵を作らなければならない。


「よーし、行くか」


歩き出す、夕暮れの街並み。

今し方飲み干したカシスオレンジの、ちょうどあの色味に似ている。

まとめてあった髪をほどくと、夜に向かう風が薄緑の髪をすく。



ゼータの魔法屋は、この酒場のすぐそばである。

酒場を出てから、ちょっとまっすぐ行って左に曲がる。

やがて、橙の壁の建物が先に見えてくる。

看板には、「魔法専門店フォトン」の文字。

それこそが、彼の構える小さな店だった。


扉に掛けられた、「CLOSED」の表示。

今日は鍵作りを見届けるし、明日もローの依頼人と会うわけだから、これが「OPEN」になることはないだろう。


まあ、大して構うことでもない。

どのみち客など日にひとりかふたりだ。

一日二日店を休んだところで、何ら問題はなかった。


それに今はどうにも、あの箱の謎を掘り下げたくてたまらない。


ゼータは足を休めることなく、自分の店の前を通り過ぎた。



ローの工房は、もうすぐそこである。



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