3─開かない木箱
「これ、…なんだが」
ローが取り出したのは、木製の箱だった。
くすんで金具の錆が目立つ、両手のひらに収まるような大きさのそれが、丸テーブルの中央に載せられる。
「…依頼品、なんだ」
ローは、眉を寄せた。
「この街に在住の、女性とその娘さんからの、な…。
倉庫から見つかったが、中味が何だか分からないし、ふたに鍵がかかっているから、…合鍵を作ってほしい、と、頼まれた…んだが」
「鍵作りなら朝飯前でしょう。
なかなか美味しい仕事じゃありませんか」
ファイがチェス盤をテーブルのすみにどけた。
彼は表情を曇らせる。
「…それ、が…
……まだ開けられていない、んだ」
「えっなんで?」
イプシロンが箱を取り上げる。
「ローが鍵作り間違えるわけないしね」
しばしの沈黙。
そのさなか、ずっと眠っていたオメガが、ゆっくりと体を起こした。
「…おは、よ…ねむ」
「ああっ、おめちゃんおはよう」
ゼータは、ここぞとばかりにオメガに声をかける。
「ね、おめちゃんこれ、箱。開かないんだって。起きてー」
「…あか、ない?…はこ…、」
「そそ、開かない箱。ほらイプシロンが持ってる奴」
「…んぅ…」
彼はゼータに急かされ、寝起きの力の入らない手で、イプシロンから箱を受け取った。
寝ぼけ眼が、それを見つめる。
…やがて、オメガはテーブルに箱を置き、
「結界、
…とても…秘匿、された…結界」
それだけ言い残すと、また夢の世界に戻ってしまった。
「結界かー。なるほど、おめちゃんありがと!」
ゼータが脇で呼びかけても、オメガからはもう何の反応もない。
安らかな寝息がそこにあるのみだ。
「もー、おめちゃんまた寝ちゃった」
イプシロンが、机に突っ伏したオメガの広い背中によじのぼる。
そして、そこに堂々と寝そべった。
「…えへへ」
…オメガの背の上がお気に入りらしい。
よく見ると、なかなか浮き彫りの装飾が凝った木箱である。
柄を描く凹凸の細やかさは何とも形容しがたい印象を放ち、ニスや彩色の劣化でさえも時を経たがゆえの魅力であると思わせる。
かなり歴史のある、よい工芸品であるということは、6人のうち誰の目にも明らかだった。
ずっと腕組みをして聞いていたシグマが、グラスの酒を飲み干した。
「ま、“魔法屋”さんのローにまわってくる依頼だ。そこらの鍵屋じゃどうにもならなかったんだろ、多分。一筋縄じゃいかねえってやつよ」
「そ、そうだな…すまない、ひとりで解決できなくて」
「いいっての」
うつむいたローの背を、シグマが軽く叩いた。
「気にすんな、俺らも楽しいからさ。
どれ、ちょっとそれ俺にもいじらせてよ」
ローがうなずき、シグマの前に箱を置く。
さらにローは、ポケットから、銀に光る鍵をひとつ取り出した。
「これ、…
一応、作った鍵なんだが、…」
シグマは、ローから鍵を受け取る。
「とりあえず試してみるな」
箱の鍵穴に、銀の鍵が差し込まれた。
ゆっくりと、鍵を回す。
鍵の形状は合っているらしい。
すんなりと、半回転した。
だが、肝心の解錠音がない。
かちり、というあれだ。
ふたを開けようと試みるが、ぴったりとくっついてかなわない。
「本当だ。開きませんね」
ファイが頬杖をつく。
「特に他にからくりなんかも見あたりません。
オメガの言うとおり、かかっているのは結界のみ、ですか。
しかしこれだと開けるツールはやはり鍵のようですが。飾りじゃなさそうですし」
「多分、こいつのもともとの鍵には、この結界を通過できる魔法がかかってたんじゃないかな。
そうしたら、適当に鍵を複製したり、ピッキングしたとしても、この箱は開けられないじゃん?なんかいいセキュリティ!」
ゼータの言葉に、4人が、顔を見合わせた。
「それだな」
「ああ、…それ、だ」
「なるほど、一理ありますね」
「そういうことかあ!さっすがゼータ」
…オメガも、ゆっくりと身を起こし、
「…それ」
何やら満足げだ。
「しかし、そんだけ大事なもんだったって考えるとなあ」
シグマが、いたずらっぽく笑った。
「中味、見てえよな」
「確かに!」
オメガの上のイプシロンが、足をばたつかせてはしゃぐ。
「鍵の仕組みはわかったからローが作れるとしても、僕たちだって中身見たい!」
「お、お、今開けちゃう?開けちゃう??」
ゼータは抜かりなく煽りにかかる。
普段なら止めそうなファイだが、目をそらして何も言わない。
ということは、そういうことだろう。
オメガが、机上の顔を横に向けて、眠たそうな笑顔を見せる。
シグマと、ローの目配せ。
ローからは、笑顔のゴーサインが出た。
「よっしゃ、行くぜ」
シグマが前髪をかき上げた。
彼が、大きく厚みのある両手を合わせた。
怪しい光が、生み出される。
「大いなる、…えー何だっけ忘れた、まあ何でもいいや!
必殺!破壊ビーーーム!!」
素晴らしく力を高めた魔法使いであるシグマに、詠唱などほぼ無意味であるらしい。
適当な文言とともに放たれた輝きは、テーブルの上の木箱をとらえ、その結界を見る間に腐食させてゆく。
「はいおしまいっと、多分開くんじゃねそれ。ロー行け、ほら」
シグマが手を払う。
ローの眼差し。
明らかにゼータを見つめるそれ。
「…ロー、どうしたの」
「…、ぜ、ゼータ、
ああ開けても、い、いいぞ…」
「え、だってローの依頼品じゃん」
「で、でも、ほら、っ、…、」
どうやら、何やら大事なものらしい箱を自分で開くには抵抗があるというか、ここに来て怖じ気づいてしまったらしい。
「ほんとにいいの?俺開けちゃうよ」
「あ、ああ、頼む、お願いします…」
ゼータは、箱を手に取り、鍵を回した。
明快な解錠音が、彼の耳に触れる。
「お、いけた!開けまーす」
ゼータの指がふたにかかり、
───────箱は、ついに開かれた。
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