第148話帝国の蠢動 其の一

 ダーヴィフェルト王国滅亡。その報告がルカンティア帝国にもたらされたのは、ザインが勇者オットーを殺害してから実に三ヶ月後の事だった。上層部は情報伝達の遅さを諜報部の怠慢と罵倒したが、これは仕方のないことだった。

 なんせ現在の王国、即ち魔王の国の空には常に蟲人が放った魔蟲が常時飛んでおり、怪しい伝書鳩などは全て空中で食い殺されてしまうのだ。ならば地上から、とも思うがキフデス山脈のドワーフとグ・ヤー大森林のエルフは通行許可を出さない。さらに陸路で両国を繋ぐ街道には数多くの検問が置かれ、無人の平原にも巨人族が陣取っていて隙が無かったのだ。

 ではどこから情報が入ったか。それは大陸西部から流入した避難民だ。魔族の方針により、自分たちの支配を絶対に拒むと言う者達が帝国へ移民することを許したのである。帝国には既に十万を超える移民が流入し、そこから詳しい現状を知るに至ったのだ。


 「静まれ、騒々しい。」


 責任の押し付け合いをする大臣達を冷めた目で玉座から睥睨するのはルカンティア帝国皇帝、リヒャルト・ムング=ルカンティアであった。彼の一言で大臣達は皆蒼白になって押し黙る。威厳と貫禄を備えた傑物たる皇帝の言はそれほどに重いのだ。

 肥沃な土壌が広がる大陸西部とは異なり、東部の土地は全体的に痩せている。雨も少なく、水不足と飢饉は常に人々を脅かしていた。故に国民を養うため、そして適度な口減らしのために小国同士の争いが絶えず行われる流血の地域。それが大陸東部なのだ。

 そんな小国たちを同じかそれ以下の小国でありながら破竹の勢いで征服し、属国としたのが先代皇帝とその長子だった当代皇帝だ。実際に戦場を駆けずり回り、隻腕となりながらも父の意志を継いで大陸東部を統一した苛烈を皇帝を誰もが敬い、それ以上に畏れていた。


 「此度の事件、朕は好機と見る。」

 「それはまさか…!」

 「左様。大陸の征服よ。」


 大臣達は一様に驚いている。皇帝はただ黙って彼らの発言を待った。すると一人の小男が震えながら挙手し、頭を垂れてから口を開いた。彼は帝国の財務大臣であった。


 「皇帝陛下、畏れながら申し上げます。大陸の西部は凶悪な魔族によって滅びまして御座います。軍を興すとなりますれば、魔族と矛を交わす事は必定。恥ずかしながら現在の財政状況では大軍を動かすだけの資金が国庫に御座いません。どうか、ご再考を!」


 財務大臣の言ったことは事実だ。帝国は貧しい小国を食い合って成長した国。食らう者も飢えているが、食われる者もまたやせ細っていた。食い続けて肥大化し、食う物が無くなったのにさらに大食らいとなったのが今の帝国なのである。その飢えを満たす為に属国から搾取してもいる。もし、帝国が大規模な遠征を行えば、必ず反乱を起こす国が出てくるだろう。財務大臣の勇気ある発言に、その場にいた文官達は賛同している。つまり、西への出兵は無謀だ、というのが彼らの共通見解なのだ。


 「ハッ!大局が見えておらん政治屋は黙っておれ!」

 「フェンド殿下!」


 大臣を集めて行われる会議に乱入したのは、筋骨隆々な美丈夫だった。獅子の鬣のようなくすんだ金髪に強い野心を感じさせる鳶色の瞳、全身に刻まれた幾つもの傷がこの男がただものでない事を物語っている。

 彼こそ他でもないルカンティア帝国皇太子、フェンド・ラース=ルカンティア。父や祖父と同じく幾多の戦場で数え切れない首級を上げ、敵国の勇者を戦場で正面から斬り捨てた実績を持つ帝国の皇太子である。その武勇から『鮮血英雄』や『血塗れの狂皇子』と呼ばれている。そんな彼は財務大臣と他の文官達に、露骨な侮蔑を籠めた目を向けていた。


 「軍資金?属国からひねり出せば良いではないか。」

 「そ、そんなことをすれば反乱が起きますぞ!?」

 「ならば属国の男で健康な者は皆徴兵してしまえ。そうさな、最前線で酷使すれば一石二鳥よ。」


 財務大臣だけでなく、その場にいた皇帝以外の全員が固まった。それでは属国は立ち行かなくなってしまう。そうなれば搾取してもいる帝国も共倒れになってしまうのは自明の理だ。言葉を失った大臣連中に、フェンドはやれやれと肩を竦めた。


 「解らんのか?この機を逃さば我が帝国が大陸の覇者となる機会は永久に訪れぬかもしれんのだぞ?」

 「そ、それは…?」

 「良いか?魔族共の融和政策は贅沢しか眼中に無かった王国の愚図共とは違う。数十年も経てば無知蒙昧なる民草はこう考えるだろう。『魔王様は善き王』だとな。それを狙っておるのだろうが、それはいかん。非常に困るのだ。」


 ワザと回りくどく、芝居がかった言い回しでフェンドは続ける。今しかない、という真意を。


 「それでは我々は大義名分を得られん。今ならば声を大にして言えるぞ。『魔族によって不当に陵辱されし人間の同胞を解放する』とな。そして魔族が強大ならば、属国の力を殺ぐのにも一役買ってくれる。征服した後、我らは西側の喰らって力を付け、属国共はさらに痩せる。放っておけば自ずから滅びるだろうよ。滅びた属国の領土には難民でも押し込んでおけ。」

 「し、しかし!」


 フェンドの言い分は残酷で冷徹だが帝国の利益に繋がることは否定出来ない。属国を無力化し、王国からの難民を其方に押し込んで厄介払いをする。帝国にとってはまさに一石二鳥の戦略と言えるだろう。似たような事を帝国は過去に何度も行っているのだが、それ以上の問題がある。


 「臣は財務大臣を拝命しておりまする。所詮、戦場を知らぬ役人に過ぎません。故に、これだけはお聞きせねばなりますまい。この戦、勝てるのですか?」

 「勝つ。その策もある。これでよいか、役人?」


 彼の質問はここにいる大臣全員が抱く疑問であった。果たして魔族に勝てるのだろうか、と。聞くところによると、魔宰相なる者が帝国でも名高いかの『大鷲の勇者』とその仲間を単騎で殺害したという。帝国にも勇者はいるし、皇太子のように勇者に匹敵する英雄もいる。それでも勇者を殺せる者がいると解っていて攻めるのは無謀に思えるのだ。

 しかし、武の人である皇太子にはっきりと勝てると言われては素人である文官は引き下がる他にない。それが解っていてフェンドはふてぶてしく笑った。


 「魔族が恐ろしいか?貴様等は御伽噺に震える少女のようだな。ハッハッハッハッハ!」


 皇太子は傲慢さを隠すこともせず言いたいことを言って去っていった。大臣の中に皇太子の態度をどうこう言う者など既にいない。しかし彼の根拠のない自信を信じられる者もまた、居なかった。帝国の将来と迫る戦に大臣達が焦る中、皇帝だけが何を考えているか解らない硬質な輝きを瞳に宿すのだった。

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