第140話姫の復讐 其の二
オットーの剣を不快げに睨んだザインは、玉座から立ち上がると腰に下げたファルゼルを抜いた。一触即発の空気の中、オットー達が何かする前にアンネリーゼがザインの前に立った。
「その前に。勇者様、貴方は私達の目的が何か解りますか?」
「…見当もつきません。」
オットーは敵意に満ちた目をアンネリーゼに向ける。しかしこの期に及んで敬語を使っているのは、オットーの甘さに違いない。
「そうですか。では教えて差し上げましょう。私達の共通の目的は復讐。対象は違いますがね?そして…」
アンネリーゼはその場でしゃがむと国王の頬を撫でつつ妖艶に笑う。その目にはオットー達ですら怯んでしまう狂気を孕んでいた。
「私が復讐するのはこの男。家族は…ふふっ。ついで、ですかね?」
「姫…貴女は…!」
オットー達は化け物を見るかのような目をアンネリーゼに向ける。それは決して姫と呼ばれる者に向ける眼差しではなかった。その中でもオットーが特に青ざめているのは、一歩間違えればこの怪物と結婚していたかもしれないからだろう。そんな彼らを愉しげに眺めたアンネリーゼは、手に持ったみすぼらしい銀の杯をこれ見よがしに掲げた。
「所で、勇者様はコレをご存知ですか?」
「それが何だと言うんですか!」
オットーは声を荒げて怒鳴った。温厚な普段の彼らしくない苛立ち様だ。しかし怒気を当てられた張本人は気にも留めずに続けた。
「コレは王国が秘蔵していた大昔の呪術具ですわ。ご存知ですか?この王城は王国が建国する前にこの一帯を支配的していた一族の神殿跡地に建っていることを。」
アンネリーゼの言っているのは王国の建国伝説だ。当時、大陸の西部は魔術に長けた一族によって支配されていたが、その圧政に立ち向かったのが王国の祖と言われている。そして王城は彼奴ら忌まわしき神殿を封じ込める為にその跡地上に建てられた、という伝説だ。
「…常識です。」
「勿論その一族はとっくに滅びましたが、その特殊な道具は遺っているのですよ。そもそもコレの為にただの蛮族だった初代国王はその一族を攻撃したのですから。」
「な!?」
オットーはアンネリーゼの荒唐無稽かつ不敬な言い分に驚いただけだったが、床で拘束されている王族は、正確には国王と第一王子は青ざめている。彼らは知っているのだ。かの一族は大陸西部の支配などしておらず、祖先が彼らの技術を奪う為だけに襲いかかった野蛮人であったことを。そしてアンネリーゼが持つ銀の杯こそ、その祖先が求めた呪術具であることを。
熱に浮かされたように上機嫌なアンネリーゼは、クルリと半回転するとほっそりした指を自分からファルゼルに押し当てて血を流す。そしてその血液を杯に垂らした。その瞬間、国王と第一王子が震える所か号泣し始めた。
「コレの正式な名は解りません。ですが、その能力と発動条件は判明しているのですよ。そして私には使いこなせる実力もあるのです。さあさあ供物はたくさんとありますよ!たんと召し上がれ!」
「ぐっ!これは!?」
「なんて魔力だっ!」
アンネリーゼが杯に魔力を流すと、垂らした彼女の血が蠢いた。そして生きているかのように動き出したかと思えば杯をコーティングしていく。表面全てを赤黒く染め上げると同時に、その中から深紅の光が飛び出した。その光は玉座の間を埋め尽くす血文字や血図形へと真っ直ぐに延びた。光が当たった文字と図形は下地から浮き上がり、床を埋め尽くす死体を囲い込んでいく。
すると死体と流れていた血液や臓物が文字と図形によって全て圧縮・溶解されていくではないか。ドロドロの液体状になった死肉は、ゆっくりとした速度で杯の中に注がれていく。するとあれだけあった死肉は、不思議なことに杯一杯分の量に変わっていた。杯を満たす赤黒い液体を見て満足げに頷いたアンネリーゼは躊躇いなくそれを飲み干した。
その途端にアンネリーゼの体から人間では考えられない量の魔力が溢れ出す。濃密な魔力の奔流に勇者ですら体が揺らぎ、最も力の弱いアイシャに至っては尻餅をついてしまう。王族に至ってはグロテスク過ぎる光景と強すぎる魔力に恐怖が限界に至ったらしく、皆が皆気絶していた。まるで魔力の嵐が吹き荒れたようである。
魔力が収まってようやく見えたアンネリーゼは、一見何も変わらないように見える。しかし彼らは見逃さない。アンネリーゼの肌が病的に白くなっている事を。そして彼女が閉じていた眼を開いた瞬間、信じがたい予想が確信に変わった。
「うふふ。成功ですね。」
アンネリーゼの眼球、その白い部分が黒く染まっていた。夜闇の様な黒に王族の金色の瞳はよく映える。彼女の美貌と妖艶で幻想的な瞳は、それが異常だと解っていても男たちを惑わせるだろう。
「これが、この杯の正体です。魔術の才ある者が大量の贄を用いることで人間を一段上の生物…真人へと進化させる真人族の秘術。その為の呪術具なのですよ。」
「単純な魔力量なら俺よりも上じゃねぇか。凄いな、真人ってのは。」
「だから滅ぼされたのですがね。もっと誉めてもいいのですよ?では私は私の復讐に移ります。ザイン。」
「ん?むぐっ!?」
アンネリーゼは素早くザインの首に手を回すと抱きついて唇を重ねる。唐突過ぎて目が点になっている彼をクスリと笑うと耳元で優しく囁いた。
「ご存分に。」
「おう。」
短いやり取りだったが、二人の間にそれ以上の言葉は野暮である。アンネリーゼは猿轡の隙間から泡を吹き、失禁してズボンを汚している王族を連れて空間移動した。王族にとって、ここからが地獄の始まりに違いない。
ここまではアンネリーゼの復讐だ。次はザインの番である。剣を抜いたままだった彼が動き出す。遂に十年来の復讐果たす時が来たのである。
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