第125話炎の魔術師 其の二

 虫の大群はもちろん蟲人が召喚した魔蟲だ。魔蟲とは普通の虫と外見はほとんど同じながら、何らかの特殊能力と高い凶暴性を有する魔獣の一種である。そんなものが黒い雲のように錯覚する密度で敵意を持って近付いてくるのだから襲われる側はたまったものではない。

 恐怖よりも生理的嫌悪によって顔をひきつらせていた兵士達だったが、魔蟲達の突撃で結界が軋んだ瞬間、驚愕とそれを遙かに上回る恐怖に支配された。屋根に雨粒が弾かれる音に似ているが桁違いの音の密度と音量は一人を除いた研究所の全員を心胆寒からしめた。


 「ひっひっひ。この感じには覚えがある。あの時取り逃した蟲人達か。」

 「『白炎』殿!」


 唯一冷静さを保つ者こそ、勇者の仲間であり攻撃魔術のエキスパートでもある『白炎』グルミン・デンファウストだ。衝突して潰れた魔蟲の死骸が結界にへばり付くおぞましい光景を前にしても、彼は愉快げに笑っているだけだった。


 「たかが虫、されど虫か。この結界の欠点をよぉく知っておるわ。」


 研究所に張られている結界は、事前に込めた魔力を消費して障壁を発生させるタイプだ。この種の結界は込められた魔力で防げる攻撃は悉く阻む代わりに、魔力の燃費が激しい上にどんな貧弱な攻撃にも反応して障壁を発生させてしまう研究中の試作機だ。故に虫の大群という物量で攻められるのに弱いのである。


 「しかしこの結界はまだ公開されておらんはず。どうやってこの弱点を知ったのやら。」


 グルミンが暢気に分析している内に結界は破られ、数万以上の虫が研究所目掛けて突っ込んできた。侵入者に反応して研究所内に仕掛けられた極悪の罠が随時発動していく。巻き上がる炎の渦、酸の水、風の槍など罠魔術はどれも致死の威力を持っていた。

 だが、それも虫の数の前には焼け石に水だ。炎に焼かれ、酸に溶かされ、風に斬り裂かれても突撃を止めることはない。ただ猛然と突撃するのみであった。


 「は、『白炎』殿!見ていないで手伝って下され!」

 「おお、忘れておった。さて、そろそろ仕事をするかよ。」


 既に迎撃用のゴーレムは破壊され、錬金術師が魔術で、一般の兵士が火が着いた棒を振り回して応戦していた。そんな中一人考え事をしていたグルミンは漸く重い腰を上げる。


 「失せよ、虫螻が。」


 グルミンが杖を掲げると、その先が真紅の輝きを宿す。これは白竜ルクスの血液を染み込ませた魔杖である。竜の血液を触媒にしてグルミンの魔力は増大し、魔術による白い炎が夜の空を舐めるように広がっていく。

 次の瞬間、辺りは静寂に包まれた。隣の仲間が上げる怒号すら塗りつぶす虫の羽音が消えたのである。たった一つの魔術であれだけいた虫が全て塵も残さず燃え散って火の粉が舞う光景はいっそ幻想的ですらある。


 「ふむ。こんなものか。」

 「あ、圧倒的…!これが竜を討伐した者の実力か!」

 「勝った…のか?」


 目に見える危機が去ったことで兵士も錬金術師も気が緩んでいることにグルミンは顔をしかめる。本当の敵はこれからやってくるのだから。


 「いや、待たれよ。敵は…」

 「派手にやるな、人間。」


 上空から不意に聞こえた声に、皆の視線が集まる。そこに居たのは蟲の陰に隠れてやってきた蟲人の群である。その先頭に立つケグンダートは声高に叫んだ。


 「我は魔王軍第二軍が魔将、ケグンダートなり!魔王様が覇業の為、貴殿等にはここで冥土へ向かってもらう。全軍、かかれ!」


 獣人との戦争に数百年ぶりの魔族による侵攻。王国滅亡の序章が幕を上げた。

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