第57話鍛冶の民 其の一
魔剣ファルゼルと斧にしてあった鉄鎚を収めると、ザインはすぐさまブケファラスに駆け寄った。彼の容態は控え目に言っても重傷で、このまま放置すれば失血死してしまうかもしれない。
「おい、ハッ…ぐう!?」
ザインが振り返って治癒魔術が使える男の名を呼ぼうとした矢先、胸から血に濡れた刃が生えてきた。背後に立つ下手人はオイゲンであった。
「悪いな、ザイン・ルクス。これも仕事でな。」
「誰の、依頼だ?」
「生憎には冥土の土産をくれてやる趣味はない。さっさとくたばれ。」
オイゲンは二本目のナイフでザインの喉を掻ききった。切断された頸動脈から大量の血液がスプリンクラーのように噴き上がり、ザインはそのまま前のめりに倒れて虫の息であるブケファラスにもたれかかる。ブケファラスの漆黒の毛皮にザインの鮮血が染み込んでいった。
事故に見せかける専門家を自負するオイゲンだが、人の目が無いのならばシンプルな殺しが一番だ。そもそも、自分たちが生還して話したことが事実になるのが今の状況である。無駄な苦労をする必要は無い。
「よし。終わったぞ。」
「おう。死体はどうする?」
「放置でいいだろう。誰かがここに来る可能性は低い。」
「まあその通りだな。しっかし、やってくれたぜ。全部焼き払いやがって!売れる物が全然ねぇじゃんか。」
ハッシュの言うとおり、グリフォンの巣の惨状は筆舌に尽くしがたい有り様であった。ザインが仕留めた一頭を除いた全てのグリフォンはその原型をとどめていない。半分はブケファラスの炎雷で炭化し、もう半分は亜種の風の刃によってバラバラにされている。高値で売ろうと画策していた雛や卵も全滅だ。あれだけ恐ろしい目にあったにもかかわらず、臨時収入すら得られなかったとハッシュは文句を言っているのだ。
オイゲンは苦笑した。相棒が拗ねる気持ちも解らないでもないからだ。なので機嫌を直すために宥める役を自ら買って出た。
「そう言うな。それに金になるものならあるだろ?」
「はぁ?」
「これだ。」
そう言ってオイゲンは地面に転がっていたグリフォンの翼を拾い上げる。千切られたような断面は少しグロテスクであるが、翡翠の羽毛はそんなことが気にならない程に美しかった。
「国王陛下は珍品がお好きらしい。この亜種の頭部と翼を高く買って下さるだろう。」
「そいつはいい!けど陛下はケチだって聞くぜ?買い叩かれるんじゃね?」
「いやいや、そうじゃない。俺達に金を払ってくれるのはギルドさ。」
「あん?どういうこったよ?」
「いいか?つまりはな…」
オイゲンの言い分はこうだ。自分たちの暗殺ギルドは主に国王とその側近が顧客だ。王国はその大きさ故に同業者も多いので、暗殺ギルドも競争が激しい。
そこで、同じものは二度と手には入らないだろうグリフォン亜種の翼が役に立つ。仕事を果たした上でこれほどの品を献上すれば、やんごとなき方々の覚えが目出度くなる。そうすれば仕事が増え、上手くいけば貴族の専属に成れるかもしれない。その功績はギルドにとって計り知れないものであり、それに見合った報酬が貰えるはず、という流れである。
「まどろっこしいぜ。お頭に言って俺達のルートで売りさばくってのはダメなのか?」
「闇ルートで売った方がそりゃあ高値がつくさ。けど、長期的に見た俺達のアガリは賄賂にした方が多いぞ。」
「なるほどなぁ。結局はお頭次第ってことか。まあいいや。じゃあ引き揚げようぜ。ここは寒くていけねぇや。」
「おう。ドワーフに警戒しながら下山するぞ。」
「もう行きましたよ。」
「そうか。いつつ…。」
暗殺者二人が遠ざかったことを使い魔によって確認したアンネリーゼの呼び掛けに応える声があった。その場に人語を話せる者は一人だけ。ザインである。
「竜とは凄いですね。あの怪我でも平気なんですから。」
「平気じゃねぇよ。痛いもんは痛い。死なんだけで、な。血も流しすぎて力が入んねえしな。」
「十分だと思いますけど?そんなことよりもブケファラスの傷を治さなくていいのですか?」
「解ってるよ。」
ザインの刺し傷も切り傷も致命傷だったはずだが、既に塞がっている。驚異的な治癒力も竜という種族の強みの一つである。しかも本来のザインは普通の刃物では掠り傷すらつかない強固な鱗を持っているのだから始末におえない。
ザインはブケファラスの身体に手を乗せて治癒魔術を行使する。アンネリーゼの知識を元に初めて使う魔術だったが、上手く作用したようで傷は綺麗に塞がってくれた。
「ふう。上手くいったか。」
「安心するのは早いですよ。治癒魔術は傷を治しても、失った体力や体液が戻る訳ではありませんから。」
「ああ、知ってるよ。とりあえずあの洞穴で身体を休めるさ。行くぞ、ブケファラス。」
「クゥン。」
脚に力が入らないのか、ふらつくブケファラスを支えながらザインは襲撃まで待機していた洞穴に向かって歩き出す。月は未だに天高くに佇み、ただ静かに下界を見守っていた。
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