第58話鍛冶の民 其の二
ブケファラスの消耗はザインの想像以上で、なんとか洞穴まで戻ってきたかと思えばすぐに眠ってしまった。とにかく今の彼には休息が必要なのだ。目が覚めるまでゆっくり寝ればいい。
ザインはブケファラスの護衛をファルゼルに命じ、自分はその間にグリフォン亜種の死体を回収しに戻った。目覚めたブケファラスの食事にするためだ。
「手早く捌かねぇとな。臭くなっちまう。」
「貴方も食べるんですか?」
「ああ。俺も結構出血したから、肉を食わねぇと死んじまう。」
そんな下らないことを話ながら道無き道を進んでグリフォンの巣に舞い戻ると、驚くことに先客がいるではないか。それはザインの胸辺りまでという矮躯に筋骨隆々、背丈に合わない大斧を担いだドワーフの重戦士だった。
彼はグリフォンの巣の惨状に困惑しているようである。闘技場の仲間であったドワーフ達の話をよくよく思い出せば、ドワーフは基本的に坑道を掘って地下で暮らす種族だが、山の幸を採りに外へ出ることもあると耳にした覚えがある。となればグリフォンの出現は、採取によって生計を立てる者の生活を脅かすことになったはずだ。討伐に向かう者がいてもおかしくないだろう。
目の前のドワーフは強い。恐らくかなりの高齢なのだろうが、それを差し引いても姿勢や足運びなどから並々ならぬ実力が伺える。しかしながら、ザインに見られているのに気が付かないのは、鍛冶仕事以外は大雑把なドワーフの性かもしれない。
「おい、アンタ。それは俺の獲物だ。触らんでもらえるか?」
「な!人間!?」
「違うな。俺は人の皮を被った化け物さ。」
警戒して武器を構えるドワーフの戦士に苦笑しながら、ザインはグリフォン亜種の死体に近寄った。風のせいで表面は冷え切っているが、内臓はまだ暖かい。急いで血抜きすれば大丈夫だろう。
「うん、大丈夫だな。じゃあな、ドワーフの爺さんよ。」
「ま、待て!何処へ行く!」
「あん?聞いてどうする?」
「お主のような怪しい奴を放ってはおけぬわ!」
「まあそうだろうな。いいぞ、ついて来い。」
首のないグリフォンの死体を担いだザインは、何時でも戦えるように斧を握り締めるドワーフを連れてブケファラスの待つ洞穴に戻った。嗅ぎ慣れぬ匂いに反応したのか、ブケファラスは上体を起こして入り口を睨みつけていた。
「ケ、ケルベロスじゃと!」
「おう、戻ったぞ。ファルゼル、何も無かったか?」
「ハッ。問題アリマセヌ。」
「け、剣が喋った!」
「…一々煩いオッサンだな。ファルゼル、ナイフ一番。」
命令通り、ファルゼルはナイフに変形してザインの掌に収まった。剣がひとりでに抜けたかと思うとそれが黒い粒子と弾け、さらに命じた者の望んだ形になって手元に出現するという怪奇現象めいた光景に、ドワーフは目と口を大きく開けたまま呆然としていた。
そんなドワーフのことを気にするでもなくザインは手早く解体を始める。彼は狩人の息子であり、狩りに出る前からこういう作業に親しんでいるので手際はすこぶる良い。瞬く間に巨大なグリフォンは皮と肉に分けられた。
ザインは肉の中でも栄養価の高い内臓をブケファラスに差し出した。彼はそれを美味そうに頬張っている。相棒の無邪気な姿に頬を緩めながら、ザインもグリフォンの肉を食らう。焚き火で炙ったグリフォン肉は鶏肉に近い味わいだが、こちらの方が肉質が固く脂も少ない。不味い訳ではないが、食用の家畜には遠く及ばないとエルキュールならば言ったかもしれない。
だが、王国の農民の大多数からすれば肉というだけでご馳走だ。現にザインも口いっぱいにして少々獣臭さの残る赤身を食っていた。そんなザインの耳に聞こえた唾を飲み込む音は気のせいではないだろう。
「アンタも食うか?」
「む、いいのか?」
「ああ。どうせ一人じゃ食いきれん。腐らせるのは勿体ないからな。なんせグリフォン、しかも亜種の肉だ。味の保証は出来ないが、珍味であることは確かだろうぜ。」
「…頂こう。」
地中で暮らす種族にとって、空を飛ぶ生き物の肉は希少だ。人生で一度あるかないかのことだろう。ドワーフの戦士は、その誘惑に打ち勝つことは出来なかった。
それから洞穴の中には薪が弾ける音と肉を咀嚼する音だけが響く。一時間以上もの間、二人と一頭は目の前の肉を黙々と食った。全ての臓物はブケファラスが平らげたが、ザインとドワーフは残った肉の一割も食べられない。なんといっても肉塊はニトン近いのだ。むしろ一割、即ち二人で二百キログラムも食べられる訳がない。結局、ほとんどの肉を余らせてしまった。
「あぁ~食った食った!もう一口も入らねえ!」
「…なぁ、お主は本当に人間では無いのか?」
「信じられんか?」
「まあな。戦争でやり合った人間はお前さんによく似ておったからな。」
「あの戦争か。泥沼化して酷いことになったって聞いたな。」
ドワーフの戦士は沈鬱な表情を浮かべながら、何の感情も籠もっていない目で焚き火を見つつつ声のトーンを一段下げて言葉を紡いだ。
「戦士一人一人の技量では我らが勝っておった。しかしなんといってもあの数だ。勝ちきれんのは当然じゃったよ。それに…」
「勇者、か。」
ドワーフは無言で頷いた。こういう雰囲気には見覚えがある。戦友を失った者特有の間、と言えばいいのだろうか。闘技場にいた頃、戦争奴隷として剣奴となった剣闘士が身の上話をする時にこんな感じだった。
「それよりも、お主はこれからどうするのだ?もう日も昇ったぞ。」
自分の中で一区切りついたのか、ドワーフは先ほどまでの暗い空気など無かったかかのように問い掛けた。彼からは最初のような敵意は感じられないので、純粋な質問なのだろう。
「それなんだがな、一つ頼みがあるんだ。」
「頼み?」
「俺をドワーフの国へ連れて行ってくれないか?」
「はあぁ!?」
ドワーフはその日一番の素っ頓狂な声を上げた。
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