第19話謀略の臣 其の三
王国歴225年。この年はダーヴィフェルト王国の歴史において最も繁栄し、最も広大な領土を所有した年である。獣人の領土を奪い、エルフとドワーフとの戦争は泥沼化して征服は諦めたが多くの奴隷は確保できた。周辺の小国は王国との戦争を恐れてその殆どが王国が有利な条件で同盟関係を結んでいる。
そんな王国の最盛期は『大鷲の勇者』オットー・ガイム・ヴェーバーという立役者がいなければなし得なかったのは周知の事実である。獣人との戦争では最前線で暴れ回っていた獣人の将軍を討ち取り、エルフ・ドワーフ同盟との戦争では敵方の精鋭部隊の奇襲を迎撃し、その多くを生け捕りにした。その外にも王国内で討伐屋には勝てない強大な魔獣を何匹も退治している。そのお陰で国内で魔獣による大きな被害はここ数年は無かった。
戦争での華々しい活躍ぶりだけではなく国内の治安をも安定させた勇者達を国民は讃え、いつしか彼は『大鷲の英雄』と呼ばれるようになった。
英雄とは様々な偉業を達成した者に与えられる称号である。勇者は神獣の加護を受けると自動的に呼ばれるが、英雄はそれ相応の実績が無ければ得られない。歴史上にも英雄とは呼ばれなかった勇者は多く、逆に勇者ではない英雄も多かった。そんな中、勇者にして英雄というオットーは王国どころか大陸で最も有名な男となっていた。
国王もオットーを放置することは出来なかった。ジャンヌ・ダルクに見られるように民衆の圧倒的支持を得た個人は、その国の王族にとっては目の上の瘤となる。国王も例に漏れず排除するか政治に深く関われないようにして飼い殺しにすると思われたが、強欲な国王はその人気すら欲しがった。
彼は貴族の反対を押し切ってオットーが国政に口出しする権限を与え、さらに先月にはオットーに妾腹の姫を降嫁することまで宣言した。つまり、オットーを王族の一員にするということだ。
これには流石にほぼすべての貴族が反対した。オットーの生家であるヴェーバー男爵家は貴族とは名ばかりの貧乏貴族だ。そんな平民と大差ない家へ妾腹とは言え姫をとらせるのは普通に考えれば有り得ないことだ。同盟を結ぶ周辺諸国も非難の声明を発表している。
だが、それを民衆は歓迎していることが問題を複雑化させている。オットーもなかなかの美丈夫だが、その姫はこの世のものとは思えぬ程に美しかった。美男の勇者にして英雄と天上の美貌を持つ姫の婚姻。いささか歳の差があるものの、まるで物語のような展開に民衆は大喜びなのだ。
しかも国王は勇者を王座に座らせて自分は陰に隠れて院政を敷くのではないかという噂がまことしやかに囁かれているのも問題だ。国王の二人いる王子達にとっては一大事である。自分が継ぐはずであった地位を横からかっさらわれるのだから当然だ。
このように繁栄の裏側で権力闘争は激化しており、宮廷内は息も詰まるような状態なのである。
ザインの試合があった次の日、シューハン侯爵は数名の従者と共に王都のとある道場に足を運んだ。そこは勇者の仲間である『音速拳』ヤム・サンスが師範とする拳法道場であった。
道場から少し離れた場所からも、そこで汗を流す男たちの裂帛の気合いが聞こえてくる。王都では人の少ない区画にあるとはいえ、周辺住民は気の毒である。
「そこの門下生。道場主に取り次いで頂きたい。シューハン侯爵閣下がお見えになった、と。」
「押忍!」
門の周りを掃除していた門下生は、謎の返事を返すと直ぐに奥へと走っていった。名門貴族とその従者に対して無礼にも思えるが、あれがこの場で最も格式高い挨拶なのだという。ここの主は他の大陸出身者の末裔らしいが、文化の違いを実感させられる。
「侯爵閣下!中で師範がお会いになるそうであります!自分が案内するであります!」
「うむ。」
侯爵は豪華な馬車から降りると従者と共に道場の敷地に足を踏み入れる。そして奥の応接室に通された。
「これはこれは、侯爵閣下。このような暑苦しい場所へようこそいらっしゃいました。」
「急に押し掛けて悪かったな。」
「いえいえ、この道場を建てる時に口添えしてくださった恩は忘れちゃおりませんよ。」
ヤムは勇者と共に旅をして磨いた技術を後世に伝えるため道場を開いた時、土地の確保や職人の斡旋など多くの面で侯爵の世話になっていた。
これは少し前に侯爵の領地で暴れていた盗賊団を勇者オットーやヤムが退治したことで知己を得ていたからだ。侯爵は好感が持てる人物だったのでヤムはその人脈を頼り、侯爵はその時の恩を返すために立派な道場を建ててやったのだ。
二人はしばらく世間話に花を咲かせていたが、落ち着いたところでヤムが本題を切り出した。
「それで、侯爵は俺に何をしてほしいんです?わざわざそちらからお越しいただくということは余程の案件なんでしょう?」
「うむ。ならば本題に移ろう。サンス殿も闘技場のことはご存知であろう?あそこでお主の拳法の妙技を見せてほしいのだよ。」
「この道場では軽々に暴力を振るうことを禁じているんすよ。門下生の手前、仮にもトップの俺が禁を破る訳にゃいかんでしょう。」
この返事が返ってくることは折り込み済みだ。ヤムの門下生は完全武装した国王の近衛兵と素手で戦えると専らの噂だが、このルールのせいで彼らが戦う姿を見た者はほとんどいない。当然、闘技場に出る者も皆無だった。
ここでシューハン侯爵は交渉の手札を一枚切ることにした。
「まあ聞け。お主にはあの『剣王』と戦って欲しい。お主も知っておるようにあの魔獣を駆る若者は強い。昨日も帝国の剣闘士を打ちのめしておったわ。」
「それで?」
「先月、勇者殿とアンネリーゼ姫の婚約が発表されたであろう?それを記念して御前試合を執り行うことになった。そうなれば『剣王』や『四天剣』の相手を見繕う必要がある。」
「それで俺に白羽の矢が立った、ってわけですかい。」
侯爵はその通りと首肯する。ヤムは顎に手をやってしばらく何かを考えてから不敵な笑みを浮かべた。
「いいでしょう。他でもない親友の結婚を祝う式典だ。せいぜいカッコ良く勝って見せますよ。」
「それは楽しみだ。我が拝領ではお主等の戦う姿は見られなんだからな。おお!それともう一つ重要なことを忘れておった。御前試合の時には完全武装で臨んでくれたまえ。」
聞き捨てならない注文にヤムは眉をピクリと動かした。歴戦の戦士は微かな殺意すら漂わせながら侯爵を睨む。
「どういうことだ?俺は処刑に付き合うつもりはさらさらないぞ。」
後ろに立っていた侯爵の従者は一瞬殺気に気圧されてたじろいだが、すぐに持ち直して侯爵を庇うように一歩出た。しかし、侯爵は軽く手を挙げてそれを抑える。
本気では無かったとはいえ、侯爵はヤムの殺気に微塵も動じなかった。流石は海千山千の政争を切り抜けて来た貴族というべきだろう。
「異な事を申すな?戦いに臨む前から勝利を確信しておると?しかも『剣王』を殺してしまう事が前提のようではないか。」
「あれは…あの竜から造られた魔具は強力過ぎるんだよ。見世物に使う武器じゃない。」
白竜ルクスから剥ぎ取った素材で製造された五つの武具には強力な魔術が付与されており、その性能はケグンダートと戦った時の比ではない。もしあの時すでに魔術を付与されていたならば、ケグンダートは逃げ切れなかっただろう。
十年の歳月によって肉体面の最盛期を過ぎたといっても、ヤムは十分に身体が動く。むしろ修練によってさらに磨かれた技は無駄が削ぎ落とされてより洗練されている。その上でルクスから造られた武具を用いるヤムと試合になる者は勇者かその仲間、あるいは英雄だけだと侯爵に語る。
「しかし巷では『剣王』は英雄に匹敵するとの声もある。相手にとって不足はなかろう?」
「もしそれ程の腕前なら寸止めは出来ねぇよ。確実にどっちかが死ぬか大怪我しねぇと終わらん。それでもいいと?」
「構わぬ。お主が負けるとは思うておらぬからな。それに相手が死んだとて所詮は剣闘士、奴隷に過ぎん。」
侯爵の冷酷な言い分にヤムは不快感を示したが、彼には言い返す言葉がこれ以上は無かった。それに侯爵は自分が必ず出場することになるように様々な手を打っているはずだ。これが依頼ではなく実質的に命令であったことにヤムは今更気が付いた。
「わかった、出りゃあいいんだろ。だけどな、侯爵さんよ。俺はこれから金輪際アンタと関わるつもりはねぇ。とっとと俺の前から失せろ。」
「そうかね?では、健闘を祈っておるよ。」
侯爵は微笑みながら優雅に立ち上がると悪びれもせずに堂々と部屋から従者を連れて退出した。ヤムはその背中を恨めしそうに睨み続けるのだった。
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