第18話謀略の臣 其の二

 明くる朝、よく食べてよく寝た剣闘士達は有り余る活力を試合で遺憾なく発揮していた。中には肌が妙にプリップリの者も何人かいたが、きっと三大欲求の一つを大いに満たした結果だろう。

 昨日のお祭り騒ぎの出資者たるザインは新入りに歓迎の挨拶をして必要最低限の食事を摂るとさっさと寝ていた。彼は試合の前日に贅沢をしないと決めているのだ。ここにくる前の憎悪を思い出すことで戦意を奮い立たせる儀式のようなものである。どこまで行ってもザインの根底にあるのは憎しみと怒りなのだ。




 週に二日しか開かれない闘技場は満員御礼、座席の後ろは立ち見客でいっぱいだった。死人が滅多に出ないので子供の姿も散見されるのが帝国の闘技場との最大の違いかもしれない。質の高い戦士の立ち会いに人々は心を震わせ、有らん限りの声で応援していた。

 そんな戦士の饗宴も次の一戦で終わりだ。しかしながら、観客が最も楽しみにしていたのが次の試合であるのは言うまでもない。


 『さあさあ、今宵の最終試合にしてメインイベントがやって参りました!まずは挑戦者の入場でございます!』


 司会者の声に合わせて闘技場の東門がせり上がる。そこから出て来たのは身長が二メートル以上ある赤毛と同色の髭が印象的な大男だった。魔獣の革を加工した厚手革鎧と身長ほどある両刃の両手斧を握っている。


 『東門から現れたのは帝国闘技場史上初の自由を勝ち取った『首狩り職人』の異名を持つ大男、アルベルト・マクギナス!数百人もの命を刈り取った大斧は、今宵も血に飢えているぞ!』

 「ウオオオ!」


 歓声に応えるようにアルベルトは斧を高く掲げた。その岩の如く厳つい顔に獰猛な笑みを湛え、自分の獲物が来るのが待ち遠しいようだ。


 『続いて西門からは我らが『剣王』、ザイン・リュアスの登場だ!勇壮なる魔獣を従える若き天才の伝説に新たな一ページを刻むのでしょうか!?』


 せり上がった西門からケルベロスの背で胡座をかいたままザインが入場した。彼はアルベルトのように観客に媚びを売ったりはしないが、それでも客のテンションは最高潮に達している。集まった客の大半がこの試合見たさに来ているのだから当たり前だ。

 自分の前に恐ろしい魔獣が寄ってくるにも関わらず、アルベルトは怯えるどころかその笑みに怒りが混ざり始めた。



 「ふははは!やっぱりここは腰抜けばっかりだぜ!こんな生っちろい小僧がまるで英雄扱いなんてよ!」

 「何故そう思う?」

 「魔獣の威を借るてめぇみてぇのが頂点ってのが何よりの証拠だろうが。どうせその魔獣だって生まれたてのを巣から盗んで仕込んだんだろ?そんな虚仮威しが通じるかよ!」


 ザインは見当違いも甚だしい男の戯れ言を聞き流しながらケルベロスの背から無駄のない動きで降り立った。ザインを降ろすと役目は終わったとばかりにケルベロスは闘技場の隅で丸くなった。


 「何を勘違いしてんのか知らねぇが、客が興醒めする試合だけはしてくれるなよ?」

 「フくんじゃねぇぞ、殺しの経験も無ぇ童貞野郎が!」


 ザインは腰から彼の武器を抜いた。右手には分厚く、刃渡りが一メートルもある片手で持つには長すぎる片刃の大剣。左手には棍棒の先端に無数の棘が生えた鉄球を取り付けたモーニングスターと言う鈍器。こちらは右とは対照的に棘と棍棒を短く加工してあった。これが、成長に合わせて多少変化した今のザインのスタイルだ。


 『それでは…始め!』

 「死ねやクソガキィ!」


 開始の合図と同時にアルベルトは踏み込んで斧を振り下ろした。その軌道はザインの脳天を狙っており、込められた力は人体など容易く挽き肉にしてしまうだろう。

 しかしザインはアルベルトの必殺の一撃をギリギリでかわして見せた。アルベルトの斧は地面に埋まったが、持ち前の腕力で無理やり引き抜くとその勢いを殺さずに逆の刃で切りかかった。


 「お?思ったより力があるな。」

 「チッ!」


 ザインは左手のモーニングスターで斧の刀身を下から跳ね上げる。金属同士がぶつかる耳障りな音が闘技場に木霊するが、その程度の異音は歓声に掻き消されてしまう。

 自慢の連続技を容易く対処されたアルベルトはザインが振る大剣を体格に似合わぬ機敏さで後ろに飛んで回避する。


 『おおっと!挑戦者の剛撃もお見事ながら、剣王はそれを優雅にかわすぅ!流石の身のこなしだ!』


 アルベルトはザインの評価を上方修正せざるを得ない。『剣王』を名乗るだけの度胸と実力は持っている、と。


 (だが、所詮はお遊びの王様、お山の大将よ。本物の戦いってのを教えてやろう。授業料は…手足の二、三本だぜ!)


 アルベルトは斧の下段に構えたままジリジリと間合いを詰める。対するザインは自然体のまま攻撃を待ち構えている。闘技場の王者としての貫禄に満ちた余裕の態度だ。


 (まずはその余裕を奪ってやろう。)


 アルベルトは斧の間合いの少し外側から大きく踏み出して仕掛ける。ただ、彼は斧を振りかぶらずに、石突きを槍の穂先ように使ってザインを突く。


 「シャァ!シャ、シャァ!」

 「ほう?槍もそこそこ使うのか。」


 アルベルトの槍術は見事だったが、そもそも槍として使わない大斧はバランスが悪い上に重すぎる。ザインは石突きの軌道を完全に見切り、刃が触れるギリギリのところで捌いていた。


 「その余裕が命取りよっ!」


 アルベルトが大斧の柄を捻ると、石突きが射出された。高速で飛び出した鋼鉄の鏃は柄内の機構によって弩の如く射出される。ザインは少し驚きながらも自分の心臓目掛けて飛んでくる矢を剣で跳ね上げた。

 だが、これまでもアルベルトの手の一つに過ぎない。彼は石突きを飛ばすと同時に、口に含んでいた小さな鉄球を吹き出した。


 「痛ッ?」

 「もらったぁ!」


 石突きに気を取られたザインの右目の瞼に鉄球が当たる。そこまで痛くはないものの、彼は反射的に目を瞑ってしまった。アルベルトは自分が作り出した完全なる好機を逃さず、大斧を素早く持ち替えて上段から振り下ろした。


 「二段構えの仕込み武器だと?つまんねぇことしやがって…。」

 「な、なにぃ!?」


 アルベルトは目の前の事態に目を見開く。ザインはアルベルト渾身の一撃を両手の武器で挟んだのだ。素手ではない真剣白刃取り、といえば分かりやすいだろうか。

 渾身の力をこめて振り下ろされる重量級の大斧を、片目を閉じた状態で止めたのだ。その技量と腕力はどれほどの高みか。


 『皆様ご覧いただけたでしょうか!?挑戦者の斧捌きと石突きの仕掛けによって体勢を崩された我らが『剣王』!しかぁし、幾人もの剣闘士を血の海に沈めたであろう必殺の一撃を受け止めた!彼の強さの底が私には到底見えません!』


 小細工は意味を成さず、しかも絶対の自信を持った一撃を受けとめられたアルベルトはここに来て初めて彼我の実力差を思い知った。信じがたいことに自分は目の前の小僧の足下にも及ばない、ということに。

 ザインに捕まった大斧は、アルベルトの力では押しても引いてもビクともしない。そして、斧を掴んで離さないザインは明らかに怒っていた。


 「仕込み武器はいい。勝つための工夫は必要だし、面白い武器で客も喜ぶ。だがな、含んだ礫はどういう了見だ?」

 「ひ、卑怯だってんのか!?闘技場なんて勝ってナンボだろうが!」

 「帝国じゃあそうだろう。だが、ここはそうじゃねぇ。ここじゃあ客を盛り上げてナンボだ。客に見えねぇ攻撃は御法度なんだよ。」


 端から見ると拮抗した鍔迫り合いが繰り広げられているように見えるので、観客は応援で盛り上がっている。だが、実際はザインがアルベルトに言いたいことを言うために逃がしていないのだった。


 「軽く遊んでから動けなくするつもりだったが、やめだ。お前は半殺しにしてやる。背中を向ければ即、殺す。せいぜい足掻いて客を楽しませろ。」

 「ひ、ひぃぃ!」


 それから約三十分間、ザインの猛攻をアルベルトが必死に防ぐように演出したお陰で闘技場は大いに盛り上がった。




 闘技場には高貴な身分の者達、つまりは上級貴族のみが貸切で使える貴賓席が設えてある。勿論、貴賓席にもランクがあって王族のみが使えるスペースも用意されていた。

 そんな貴賓席でも王族用に次ぐランクの席でザインの戦いを見物する二人の貴族がいた。両者とも魔物の糸や毛皮製の服に様々な魔力を内包する魔具を身に付けている。

 それもそのはずで、彼らは二人とも王国の侯爵位を賜る名門貴族であり、それぞれ大臣を務める大物だった。


 「よし!そこだ!いけっ!いやはや、やはり闘技場はいいですなぁ、パルトロウ卿。私のような老骨でも血がたぎってしまいますわい。」

 「帝国ではどちらかが死んで初めて決着らしいですが、野蛮極まりない。我等が王国の寸止めこそ人間らしい試合と言える。そうは思いませんかな、シューハン卿?」

 「然り!本日は帝国の闘技場で活躍した男が『剣王』に挑戦するようですが、あの若者ならば帝国の蛮人を容易く蹴散らしてみせるでしょう。ところで、卿がわざわざこの様な席を設けたのはいかな理由ですかな?」


 貴賓席を貸し切るのは何も観戦のためだけではない。物理・魔法の両方への防諜を徹底しているので、年に数回はこのような貴族の密談に使われることがあるのだ。


 「その前にお聞きしたい。卿は昨今の宮廷をどう思われますかな?」

 「…陛下は我らよりもを重用なさっておられる。確かに聞くべき所は多いが、問題も増えておるのも事実でありましょう。」

 「左様。卿と同じことを感じている格式ある貴族は多いのです。宮廷に吹く風を正しきものへと戻すべく、一つ手を打つとしましょう。」


 王国の伏魔殿たる宮廷の貴族が代々研ぎ澄まして来た毒牙は彼らの想像を超えて王国を引っ掻き回すことになるのを、まだこの二人は知らなかった。

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