第16話不敗の剣闘士 其の二
王国歴215年、闘技場『戦士の館』はそこそこ人気ではあったが当初の予想ほどでは無かった。王国初の闘技場ということもあって盛り上がりの見せたが、致命的な欠陥があった。スター剣闘士がいなかったのだ。
屈強で強い男を何人も集め、訓練し、戦わせる。その発想は良かったものの、剣闘士の命を惜しんで基本的に不殺とルールを決めたのが悪かった。
流血はあっても死人が出ないのでは人の残虐性を満足させられない。帝国にも闘技場はあるが、そこはどちらか一方が死ぬまで続けるデスマッチであることからも流血を伴う死が最も人を興奮させることは明らかだ。
なまじ訓練を積んでいるせいで、当時の剣闘士の戦闘はよく言えば堅実、悪く言えば地味だった。不殺ならば、その甘さを補って余りある『華』を持ったスター剣闘士が必要だったのだ。剣闘士の維持費は莫迦にならないので、このまま客が伸び悩んでいたら確実に殺生を解禁しただろう。
ステファノが苦悩している時、妙な子供が自分を訪ねてきた。見た目は十歳前後で汚い格好をした少年だったが、少年を一目見てステファノは彼が逸材だと直感した。根拠は無い。だが、彼こそがここの救世主になるという予感があった。
ザインと名乗った少年は強くなりたいから剣闘士にしてくれと言い出した。それならば傭兵などになればいいのでは、とステファノは思ったがどこの傭兵団も雑用としてしか雇ってくれないだろうと考えを改める。ステファノは快諾して彼を剣闘士として迎え入れた。
他の剣闘士はいきなりやってきた奴隷ではない子供に困惑したが、彼と模擬戦をやると認識を改めた。誰も適わなかったのだ。それも当然で、ザインはこの一年間、王国各地を転々としながら殺しても誰も文句を言わない連中を殺して回っていたのだ。
殺したのは殆どが盗賊だったが、その中にはたちの悪い傭兵団なんかもいたので修行にはもってこいだった。ケグンダートと共に編み出した刃物と鈍器の二刀流は実戦に身を置くことで磨かれたのである。
ザインのデビュー戦を華々しく演出するために、ステファノは大枚はたいて一匹の魔獣を購入した。それはまだ子供のケルベロスであった。
子供とは言え成体の狼ほどの大きさはあるケルベロスは、普通の剣闘士では歯が立たない。犠牲覚悟で数で押すしかない相手だ。少年ザインのデビュー戦は、同じく未成熟なケルベロスとの一対一の戦いであったのだ。
ザインのデビュー戦は大々的に宣伝されたので観客は久々に満員御礼と相成った。その日のプログラムを読んだ誰もが子供同士の泥臭く、血みどろの戦いを予想して楽しみにしていた。
王国歴215年の夏はうだるような暑さの猛暑日が連日続いていた。話に聞く南方の獣人の国はもっと暑いらしいが、そんなところに行くのはまっぴら御免である。
四つある闘技場の入場門の西門裏で、ザインはステファノと共に入場を待っていた。共に、と言っても二人の温度差は明確で勝手に盛り上がる観客を冷ややかに眺めるザインに対してステファノは鼻息荒く興奮していた。
「ザインよ!最高の試合を皆に魅せてくれ!」
「それを一番見たいのはアンタじゃないのか?」
「それを否定できんのが悲しいな!あっはっは!」
故郷を焼かれてから殺伐とした生活を送っていたザインにとって、この私財を投じて闘技場を運営する男は理解の範疇を超えていた。強い者の戦いを観戦したいという趣味のためにどうしてここまでできるのかが解らない。
「ま、使い捨てにされないだけマシなんだろうが。」
「もったいないからな。お前たちは私のヒーローなのだから。」
ステファノが剣奴に向ける眼差しは、野球少年が憧れのメジャーリーガーに向けるそれと同質だ。自分よりも三十ほど上の男にそんな眼を向けられても正直気持ち悪いだけだ。
ステファノはまだ何か言いたげだったが、西の入場門が上がったのでザインはさっさと入場した。
『皆様、大変長らくお待たせ致しました!本日のメインイベント!西門からは本日がデビュー戦!経歴不詳!謎多き無双の少年、ザイン・リュアス!』
実況兼司会は拡声器の効果を持つ魔具で闘技場全体に声を届ける。観客は場を盛り上げる独特な話術にすっかりハマって出て来たのがまだ幼い少年であることも忘れて熱狂していた。
ザインの装備は片刃で反りの緩い曲剣と棘付きメイス、即ちモーニングスターだけ。両方とも大人用のサイズなのでザインが帯剣すると剣先が地面にこすれていた。
一応下半身に布のパンツを履いているが、上半身は裸である。これは闘技場のルールに持ち込める武器・防具の重量制限があるためだ。誰も全身鎧に大盾を構えてチクチクと戦う塩試合など誰も見たくはない。
『対するはこちらも幼き子供!しかぁし!こちらも一筋縄ではいきません!王国南西部の森にて生け捕りにされた恐ろしき魔獣!ケルベロスが東門より登場だぁ!』
東門の鉄格子が上に上がると、三つの頭を持つ狼に似た魔獣が、逃げるように飛び出した。係の者が槍などで追い立てたのだ。
ザインと対峙したケルベロスはビクビクと身体を震わせながら低い声で弱々しく威嚇した。観客には解らないように隠蔽しているが、野生に生きる魔獣にはザインの正体が解るのだろう。
『それでは…始め!』
ザインは合図と同時に無造作に歩いてケルベロスに近づいて行く。ザインがゆっくりと近づくのは、幼いケルベロスからすれば身も凍るほどの恐怖だ。竜、それも数百年生きた成体と同等の力を持つ圧倒的な強者がにじりよってくるのだから。
周囲の歓声と、近づいてくる絶対的強者。慣れないストレスに晒されたケルベロスの精神は擦り切れたのだろう。がむしゃらにザインに向かって突撃した。ザインを倒すことだけが、彼に出来る生き残るための唯一の方法なのだ。
「ふん!」
観客の誰もがケルベロスに潰される少年を幻視し、一部からは悲鳴が上がる。だが、予想に反して両者が接触したかと思うとケルベロスが殴り飛ばされた。
歓声は闘技場設立以来最高のボルテージに達し、小さな子供の偉業に観客は興奮していた。
『んな!な、な、なんということでしょうか!あの魔獣を素手の拳で壁まで飛ばしてしまいました!あ、圧倒的!まさに蹂躙です!』
殴られた衝撃で立つことが出来ないケルベロスのすぐ横まで近づくと、ザインは見下ろすように彼をじっと見つめた。ケルベロスは彼我の実力差を完全に認識し、逃げることも出来ずに恐怖に震えながらも運命に抗うように低い声でザインを威嚇していた。
ザインは故郷を追われ、こんな場所まで連れてこられたケルベロスに自分を重ねた。もし、この魔獣が生きることを完全に放棄したのなら、そのままくびり殺しただろう。だが、ケルベロスは毅然として動けなくなっても矜持を失ってはいなかった。なればこそ、この魔獣には手を差し伸べる価値があると判断した。
「俺に従え。そうすれば、これ以上痛い目にあわずに済む。」
「…クゥーン。」
ザインは優しく話し掛けながらケルベロスの頭を交互に撫でる。ザインに害意は無く、むしろ慈悲を貰ったとわかったのだろうか、ケルベロスは子犬のようにザインに甘えだした。いや、子犬の『ように』ではなく、このケルベロスは子犬なのだから当然と言えるだろう。
ものの数分で魔獣を手懐けたザインはケルベロスに立つように命令し、自分はその上に跨がった。誰にとっても予想外の結末に、観客は誰しも黙りこくってしまう。実況は慌ててザインの勝利を宣言した。
『決着!完全なる決着であります!皆様は今!まさに!我らが戦士の館の王の誕生に立ち合われているのです!』
最初は強力な魔獣に跨がる少年に対する恐怖を感じていた観客だったが、実況のおかげで一人と一頭の凛々しい姿に魅了される者が出始めた。
観客全体に広がる好意的な感情の流れは徐々に広がっていく。ステファノから闘技場の現状を聞いていたザインは、空気を読んで嫌々ながらも表情を押し殺しながら腰の剣を高々と掲げて勝利を宣言する。
すると闘技場は万雷の拍手に揺れた。これは比喩ではなくて、巨大過ぎる音の振動で本当に揺れたのだ。観客は闘技場の王者の誕生を心から歓迎し、その勝利を讃え、勇姿をふれ回った。
ザインのデビュー戦は、闘技場こそが王国における最高の娯楽であると全ての者に印象付けた。
それから戦争によって奴隷が増えたことで、闘技場の選手層も厚くなった。亜人の剣闘士のファンも増え、利益は上がる一方だ。
ステファノは亜人の剣奴にも人間の剣闘士と同じ扱いを心掛けた。亜人の奴隷の自由を厳しく律する法律があるが、彼にはそんなことは関係ない。表向きは奴隷でも、剣闘士の宿舎では人間と平等な権利を与えられている。彼の本質は強い戦士のファンなのだから。
ザインは闘技場の表と裏の両方において王者として君臨し続けた。剣闘士同士は当然のこと、凶暴な魔獣や様々な挑戦者もはねのけて不敗を貫いたのだ。若輩ながらも亜人を含めた全ての剣闘士をまとめ上げ、訓練し、全体の強化にも尽力した。彼のおかげで闘技場の試合の質は極限まで上げられたのだ。
それから十年後の王国歴225年、十分に力を溜め込んだザインの復讐は再び動き出すのだった。
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