第一章 復讐編

第15話不敗の剣闘士 其の一

 王国歴225年の真夏日、ダーヴィフェルト王国の王都ダングルグは普段通りの活気に満ち満ちていた。大通りには人が溢れ、商売の熱気で体感温度は四十度を超えているだろう。

 そんな王都で最もアツいのは、闘技場『戦士の館』である。一騎打ちだけではない、趣向を凝らした様々なイベント戦も人々を虜にした。時たま死者が出るがそんなことは些末な問題だ。人間の残虐性をうまく刺激した娯楽と言えよう。

 その日も新しい剣奴が闘技場に売られてきた。身体が丈夫なのは共通しているとして、剣奴の性格は大別すると二種類だ。これからの戦い漬けの日々を想像して怯える者と、成り上がってやろうと野心を剥き出しにする者だ。前者と後者の違いは戦闘経験の有無に依るところが大きい。

 観客は平民から貴族、果ては王族までと幅広く、高貴な身分の者や資産家の商人が時々気に入った剣奴を自分の護衛として取り立ててくれることがある。滅多にないことなのだが、底辺から這い上がるチャンスを物にしようと息巻く新入りは必ず一定数いるのだ。


 「我が剣闘士たちよ!新入りだ!歓迎してやってくれ!」


 闘技場の裏手にある剣闘士の居住する長屋、その隣に併設された練武場で男が声を張り上げた。その男はステファノ・アウシュバーレン。この闘技場の持ち主にしてここにいる剣闘士全員の主人である大商人だ。

 強い者が好きだと言って憚らないこの男は素質がありそうな若者を片っ端から引き取って訓練させ、戦わせてきた。彼は皆の主でありながら皆の熱狂的なファンでもあるのだ。だから種族を問わず剣奴に平均以上の生活環境と自由時間を与えている。究極の物好きである。

 剣闘士は皆ステファノに感謝しているのだが好きな者は少ない。何故なら彼はここに来る度に自分たちの身体をジロジロ眺めて悦に入るからだ。妻と子供もいるのでと解っていても背中にゾワリと走る悪寒は如何ともし難いのである。

 それはともかく、ステファノが『歓迎してやれ』と言うときは、大概新入りに少々つけあがった阿呆がいるということだ。


 「へっ!弱そうな連中だなぁ。こりゃあ俺がここのボスになるのはそう遠くねぇなぁ!」


 新入りの中で一際目立つ大柄な男が大声でそんな安い挑発を放つ。怒って出て来た相手を叩きのめして自分の力を誇示しようとの魂胆だろうが、真の強者を知る剣闘士たちは揃って嘲笑を浮かべる。井の中の蛙どころか水溜まりのボウフラが何か喚いているのだ。嘲る以外にどうしろと言うのか。


 「おい、新入り。うるせぇぞ。…親父っさん、ま~た血の気の多い奴を連れてきたのかよ。」

 「おお、ザイン!早速だが稽古をつけてやってくれんか?」


 はしゃいでいた新入りは余りの恐怖で凍りついてしまう。それもそのはずで、彼の後ろには三つの頭を持つ巨大な魔獣・ケルベロスが音もなく忍び寄っていたのだ。

 そしてその化け物には一人の青年が跨がっている。切れ長の瞳に白髪混じりの黒髪、精悍だがどこか暗さを感じさせる容姿。二メートル近い巨躯に必要な筋肉を必要なだけ鍛えた無駄のない体躯は、まるでギリシャの彫像の如く均整がとれている。そんな闘技場最強にして不敗を誇る『剣王』ザイン・リュアスは心底面倒くさそうに新入りを見下ろしていた。

 新入り達は嫌でも実感させられた。強大な魔獣を従える青年こそがここのナンバーワンなのだと。


 「それで?こいつらに稽古つけりゃいいのか?本気?それとも流す?」

 「そりゃ勿論ほ…」

 「て、手加減してください!お願いします!」


 ステファノの言葉を遮るように大声を出したのは、先程いきがっていた男であったのは言うまでもあるまい。主人に対して非常に無礼な行動だったが、自分の吐いた戯れ言を本気にされないように必死でザインに媚びたのだ。

 新入りが来る度に繰り返される一種の通過儀礼に、剣闘士たちは爆笑を禁じ得ない。何人かは何とも言えない苦笑を浮かべているので、きっと彼らがだったのだろう。


 「あっそ。じゃあ緩めで行くかな。ほら、さっさと武器とってこい。」


 ザインは興味無さそうに言うとケルベロスの背からひらりと降りる。その身のこなしは美しく、とても絵になった。しかし余裕のない新入り達は、急いで修練用の武器を取りに行ったので全く見ていなかった。

 唯一見ていたステファノは満足げに何度も頷くと、ケルベロスの頭を優しく撫でる。ケルベロスはそれを気持ちよさそうに享受していた。ステファノは彼がザインの次に心を開く存在なのだ。


 「どうだ?今回の新入りもなかなか見所のある奴らだろう?」

 「ああ。親父っさんの原石を発掘する目は確かだな。感心するよ。」

 「ふふふ。それは私にとって最高の褒め言葉だよ、ザイン。」


 ステファノは初めてザインと出会った運命の日を思い出す。あの全身に電流が走ったかのような鮮烈な出会いを。

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