第13話燃える故郷 其の三

 勇者の頬を掠めた矢は彼らの背後から飛んできた。ラスラ砦の軍隊は別ルートから攻めているので、彼らの背後にいる筈がない。となれば、その理由は一つだけである。


 「新手!警戒!」

 「連戦かよ!キツいぜ!」


 勇者達が後ろを振り返った時、同時に様々なことが起こった。今度はオットーの眉間を正確に狙った矢に狙撃されたかと思えば、国境沿いの森、その魔王領側から信号弾が上がり、同時に動くことすらままならなかったケグンダートが村の方へ高速で飛んでいったのだ。


 「クソ!陽動だったのか!」

 「どうする?追撃するのか?」

 「止めておいた方がいいじゃろう。儂らの隙を突いて魔術を使うような狡猾な相手に深追いは禁物じゃ。」

 「それならラスラ砦の兵士さんのところに行きましょうよぅ。怪我を治してあげなきゃいけないしぃ。」

 「そうしよう。首謀者をみすみす取り逃がしたことになるけど、撃退出来ただけで良しとしようか。」


 今日の戦いは彼らの勝利だ。マンセル村の人々は救えなかったが、これ以上の被害を抑えたのだ、とオットーは自らを慰める。失ったものよりも今救える命のために、彼らはラスラ砦の軍隊が戦っているはずの地点を目指して走り出した。




 ケグンダートは何故自分が飛んでいるのかがわからなかった。自分で飛んでいる訳ではない。背甲が傷ついたせいで鞘翅を開くことが出来ないからだ。感知能力に異常が無いことから、魔術を使ったのがザインであることはわかっている。


 (それにしても、この魔術は一体何なのだろう。この感覚は浮いている、というより落ちている時に近い。)


 欠損という重傷を負っているケグンダートだったが、自分を飛ばしている魔術の正体が気になって仕方がなかった。魔術そのものには疎いものの、知的好奇心を刺激されたケグンダートは己の怪我も忘れて様々な考察をしてみる。

 だが、彼が塀をぶち破って村の中に放り出された時、魔術の効果は切れた。そしてそこでケグンダートは余計なことを考える余裕がなくなった。なぜなら、村の中には今まさに撤退しようとする部下の蟲人たちがいたからである。


 「ケグンダート様!」

 「良い!それで、損害は?」

 「翅や手足を失った者もおりますが死者はおりません。」

 「よくやった。速やかに撤退せよ。」


 ケグンダート本人も死にかけているのだが、お構いなしに的確に部下を指揮して魔王領へと撤退を開始する。


 (だが、この恩は決して忘れぬ。生きてまた相見えようぞ!)


 命の恩人であるザインへの感謝を胸に、ケグンダートは同胞との合流を急いだ。




 ザインが崩れた家から這い出た時、マンセル村は地獄と化していた。白い炎が家を、人を、家畜を、そして蟲人を焼いている。

 ザインと父が逃げ支度を整えていた時に魔術が村に炸裂し、二人の家は爆風でぺしゃんこになった。家の倒壊に巻き込まれた父は、呆気なく死んだ。共に巻き込まれたザインが生きているのは、偏に彼が頑丈な人竜であったからだ。

 村の生き残りは蟲人の指示に従って着の身着のまま我先にと逃げ出している。だが、ザインは脱出路には向かわずに崩壊した家の瓦礫を漁る。そして家にあったなかで最も張力の強い強弓と二本の矢を担いで、人知れず村の外に出て行った。

 人竜と化してから、ザインの魔力に対する感受性は飛躍的に上昇した。その感性に従って村を焼いた敵の元へ向かった彼の目に映ったのは、ケグンダートと数人の人間が繰り広げる激しい戦闘だった。そしてザインはその風体と手に持つ武具に使われる白い素材から敵の正体を看破した、いや、してしまった。


 「あれが勇者…父さんの、皆の、ルクスの仇…!」


 ザインは臓腑を焼き尽くさんとする憎悪の炎を理性で無理やり押し殺し、息を潜めて機会を敵をじっと見つめる。敵の姿をしっかりとその眼に焼き付けるために。

 善戦していたケグンダートだったが、徐々に押されていくのがザインの目にもはっきりとわかる。原因はいくつかあるが、その中でザインが復讐の最大の障害になると確信したのは勇者の神通力だった。

 黄金に輝く力の塊は確固たる意志と知性を持っているらしく、勇者とその仲間を完璧にフォローしていた。剣に宿れば全てを切り裂き、盾に宿れば全てを防ぎ、大鷲の姿をとれば相手を攪乱する。

 彼らのチームワークや回復魔術、火炎魔術を中心とした魔術攻撃も侮りがたいものがあったが、それらは状況次第では簡単に対処可能だ。ザインが神通力を警戒するのはその万能さにある。この攻略法を見つけない限り、復讐は叶わないだろう。

 そうこうしている内に、ケグンダートは精魂尽き果て、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。勇者は油断なくケグンダートの注視しているので、彼が逃げる隙は無い。だが、ケグンダートは絶望の縁に立たされたザインたち村人を同胞と呼び、命懸けで逃げる時間を稼いでくれた恩人だ。ザインの中に彼を見捨てるという選択肢は無いのだ。


 「ふぅー…シッ!」


 ザインは竜の千里をも見通す目でしっかりと狙いを付けて矢を放つ。同時にケグンダートを逃がす魔術を準備する。

 放たれた矢は寸分違わず勇者の頬を掠めてこちらに注意を向けさせた。狙い通りにいって口元を歪めながら、ザインは眉間を狙った第二射とともに魔術でケグンダートを村に向かって

 即興の作戦だったが上手くいったことを確認すると、ザインは後ろを振り向くことなく逃走を開始した。だが、その方向は魔王領ではなくて王国方面であった。

 今の彼では決して勇者は殺せない。ならば、殺しうるだけの力を手に入れねばならない。ケグンダートに教えを請うのもいいが、これはあくまでもザインの復讐だ。独力で仇を討つだけの力を得なければならない。そのためにザインは自らに修羅の道を行くことを課するのだ。

 まだ十歳の少年は信号弾の光を背に駆け出した。ゆっくりと落ちていく強い光によって小さな影は徐々に伸びて、光が消えると同時に夜闇と一つになる。これが魔宰相ザインの最初の一歩であった。




 ダーヴィフェルト王国正史における王国歴214年の最後の記述はこう記されている。


[魔王を僭称する不遜にして不浄なる者、その臣を王国に遣わし、辺境にて民を虐殺す。勇者、その共と国軍を率いて悪逆非道なる魔物を殲滅せり。]


 歴史とは勝者の主観によって作られる物語とも言える。だが、真実を知る力在る敗者がその陰で牙を研いでいることを忘れた時、自らの立場が危うくなることを勝者は気付かないのだ。

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