第10話魔蟲の将 其の五

 フーランベルンが村長を殴りつけた瞬間、ケグンダートは村人を救うためには自分が出るしかないと決断した。彼は自身の外骨格に魔力を注入して一部を槍に変化させると、鞘翅を開いて飛び上がった。そしてフーランベルン達から見て太陽の中に入るように位置取ると、一人の騎士目掛けて槍を投擲した。

 槍は騎士の身に着けていた鋼鉄の鎧を貫通し、一撃で正確に心臓を射抜いた。おそらく騎士は自らの身に何が起きたのか把握するまえに絶命しただろう。卑劣な人間たちが自分の存在に気が付いたタイミングを見計らって、ケグンダートは高らかに宣言した。


 「愚劣にして無知蒙昧なる人間よ。我が名はケグンダート。偉大なる魔王様の忠実なる下僕である。魔王様はこの村をご所望である。命まではとらぬ故、我が軍門に下るがいい!」


 空中に堂々と佇む恐ろしい魔族に、フーランベルン達は怯えてしまって動くこともできない。その中で唯一理性を保っていたのは村にフーランベルンの来訪を告げたリーダー格の男であった。彼は弩を持っている部下に指示してケグンダートに矢を射かけさせた。

 弩の吐き出す矢は射程距離内ならば金属鎧を貫通するほどの威力がある。しかし、ケグンダートの外骨格は弩の矢などそよ風に等しい。彼に直撃した矢は悉く弾き返された。それを見たリーダーは今の戦力では勝てない、と早々に見切りをつけた。


 「撤退だ!砦に戻れ!閣下、御逃げ下さいませ!」

 「く、くそぅ!しかし覚えれておれよ!魔族なぞ我が軍を以て粉砕してくれるわ!」


 捨て台詞を残してフーランベルン達は全力で逃げていった。馬を全速力で駆けさせたのだろう、見る見るうちに彼らの姿は見えなくなった。

 一時的に村は救われたが、それ以上の問題が生じた。村長が死んでしまったのである。村人をうまく纏めてきた彼を失ったことは大きな損失だった。


 「…村長殿は立派な御仁であった。このような下らぬ小競り合いで失うとは、何といって良いものか…。」


 ケグンダートはその漆黒の複眼に悔恨を滲ませながら呟いた。しかし、このまま村長の死を悼んでばかりもいられないのも事実だ。フーランベルンは準備が整い次第すぐにでも軍勢を連れてやってくるだろう。

 ケグンダートは騎士の死体から己の槍を引き抜き、声を張り上げた。


 「皆の者、良く聞け!この村は遠くない内に戦場となろう。すぐに逃げる支度を整えよ。命あっての物種だ!」


 村人たちはケグンダートの命令に即座に従った。村全体にとって必要不可欠な物とそうでもない物を分別し、各人の体力に応じて荷物を振り分ける。

 分別は老人や女子供、そして蟲人の非戦闘員に任せて、男たちは村の中心部にある家を崩して即席の障害物とする作業に没頭した。蟲人の戦士は全員飛べるので村の入り口を塞いでも困るのは人間だけなので問題はない。

 脱出の準備が整ったのは、その日の夜であった。ケグンダートは表情には出さないが安心して胸をなで下ろした。これで夜闇に紛れて逃げることが出来る。村の地下道は森の向こう側まで繋がっているが逃走を成功させる要因は多い方がいい。


 「女と子供を優先して逃がせ!我ら蟲人の誇りに賭けて逃げ切る時間を稼ごうぞ!」

 「敵だ!数は…目測で五千!」

 「急げ!時間がな…なんだ!?」


 ケグンダートの怒号をかき消すように人間の軍勢とは異なる角度から飛んできた白炎の弾が村へと降り注いだ。




 大鷲の勇者オットーは国王からの国境調査の命令を果たした後、すぐにマンセル村へ出発した。目的は竜の死体の回収である。討伐時に剥ぎ取った戦利品を行き着けの鍛冶屋に持ち込むと、親方は最上級の魔具を作れるといって大興奮していた。残った他の部分も使えば、壊れてしまった防具類を補って余りある新装備となるに違いない。彼らは意気揚々とマンセル村に向かっていた。

 街道沿いのラスラ砦に到着したが、砦の中が妙に慌ただしい。門番は居らず物見の塔にいた兵士が気づくまで中に入ることすら出来なかった。


 「おいおい、コイツら戦争でもおっぱじめるつもりか?ガッチガチの装備じゃねぇか。」

 「だが、我々を入れたということは少なくとも王国に反乱を起こすつもりでもないだろう。」

 「ひっひっひ。わからんぞぉ?反乱の最大の障害となりうる儂らを秘密裏に消すつもりかもしれぬ。」

 「こ、怖いこと言わないで下さいよぉ…!」


 ラスラ砦の内部では一兵卒だけではなく指揮官までもが慌ただしく動き回っていた。砦の全員が恐れを孕んだ必死さを窺わせている。退っ引きならない何かがあるのだ、とオットー達は確信した。

 勇者一行が危機感を抱いていると、口髭を生やした華美な装飾を施された全身鎧を纏った男が早足に近づいてきた。


 「お初にお目にかかります、勇者様方。我が輩はフーランベルン。ラスラ砦の新任守備隊長で御座います。以後、お見知り置きを。」

 「こちらこそ。私達のことはご存知のようですので、自己紹介は省かせていただきます。…単刀直入に伺いますが、この軍備は何が目的でしょうか?」


 オットーの威圧に多少怯んだフーランベルンだったが、怯懦を一瞬でねじ伏せたのは貴族としての矜持なのだろう。さらに彼はこの非常時に勇者を巻き込むべく事情を話した。


 「もちろんで御座います。実は、国境沿いのマンセル村が魔族に占拠されておるのです。我らは国境警備の任を果たすべく準備していたので御座います。」

 「何っ!?それで、村人は無事なのか!?」


 フーランベルンは沈痛な面持ちで首を横に振った。アイシャは泣きそうな顔を隠すように口元を手で覆い、ヤムはその手を有らん限りの力で握り締め、ユリウスは目をつむって死者に黙祷を捧げ、グルミンはローブを目深に被って怒りの表情を隠した。


 「事情は飲み込めました。その戦、私達も参戦しましょう。」

 「おお!それは心強い!共に悪しき魔族なぞ返り討ちにしましょうぞ!おい、誰か在る!勇者様方を踏まえた軍議を始める!」

 「ははっ!」


 勇者が参戦すると聞いた途端に、兵士の顔が目に見えて明るくなった。勇者一行の戦力は一軍に値することは誰でも知っていることだ。しかも、先日の勇者による竜殺しは有名で知らない者など一人もいない。これで士気が上がらない訳がないのだ。

 勇者達は砦の中央に位置する会議室に通され、フーランベルンと千人長ら砦の主要な指揮官と共に軍議に参加した。小一時間ほどで軍議を終えると、ラスラ砦一万の軍勢の内半数を占める約五千が出陣した。




 勇者達の役割は奇襲と遊撃である。ラスラ砦の兵士と実力が隔絶しているので歩みを揃えるよりも五人で自由に行動した方が効率がいいと判断したのだ。

 勇者達の最初の役割は、主力が村から視認できる距離まで詰め寄った時を見計らっての魔術による爆撃である。村を囲む強固な塀は貧弱な魔術では簡単に崩れないが、勇者の仲間である『白炎』の強力な魔術ならば突破も可能だ。


 「しかしよぉ、この前来たときにはあんなの無かったよな?」

 「ああ。何かあったのだろうが…」

 「蟲人が造ったんじゃないですかぁ?」

 「いや、それは時系列がズレている。蟲人の襲撃に居合わせたフーランベルン殿の話によれば塀を飛び越えた蟲人達が村人を虐殺していたらしいからな。」

 「ふーん。じゃあ俺らが来た後でなんかあったのかねぇ。」

 「それよりも儂はどうして砦のお偉いさんがわざわざここまで来たのかが知りたいね。何が目的だったのやら…。」

 「皆、そろそろ時間だ。無駄口はそこまで。グルミン、頼むよ。」

 「ひっひっひ。任せなよ。」


 『白炎』の二つ名が示すとおりの白く燃え上がる炎の弾を二十個生み出したグルミンは、それらを一斉に魔族の拠点に変わり果てたマンセル村へ叩き込んだ。塀の内側は爆発炎上し、怒声と悲鳴が聞こえてくる。突然のことに魔族は混乱しているようだ。奇襲は成功である。


 「作戦開始!敵のリーダー格を仕留めるぞ!」

 「「応!」」


 勇者達は自分たちの正義を信ずるままに村を目指して突撃する。フーランベルンの軍に無駄な犠牲者を出さないためにも、混乱に乗じて一気呵成に攻めたてるのだ。

 しかし、そうは問屋が卸さない。彼らの眼前に黒く大きな蟲人・ケグンダートが空から降り立ったのだ。


 「汝らか?あの炎を放ったのは?」

 「だったらなんだ、魔族め!」

 「許さぬぞ。我がをよくも焼き殺してくれたな。」

 「許さぬ、だと?それはこちらの台詞だ!貴様らこそ我々のを殺したのだろう!」


 オットー達はそれぞれの武器を構えて戦闘態勢に入る。ケグンダートもこれ以上話す言葉は無いと言わんばかりに己の外骨格を武器化させる。漆黒の鈍い光沢を放つ槍と斧槍、そして二枚の盾。二本の槍と二枚の盾を構えたケグンダートの圧倒的な迫力に怯むことなく勇者とその仲間たちは果敢に向かっていった。

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