第6話魔蟲の将 其の一

 ルクスが討たれた夜、マンセル村の住民はパニックに陥った。何代にも渡って自分たちを見守り、守護していた存在が前触れですなく死んでしまったのだから仕方ないだろう。

 夕陽が落ちる頃にやってきたルクスの水浴び当番が洞窟の奥で見たものは、夥しい血の海の中で気絶するザインの姿だけだった。

 彼女はルクスが居ないことを怪訝に思いながらも、ザインを村へ連れ帰ることを優先させた。事情を聞いた村長は、ザインを自分の家で寝かせるように指示した後、ザインの父親を呼びつけた。

 息子の帰りをハラハラしながら待っていたザインの父が急いで村長宅に来てから数分後、ザインは目を覚ました。そして村長に自分の見た真実をある一点を除いて全て伝えたのだ。


 「ルクス様が死んじまったなんて嘘だろ!?」

 「これからどうやって村を守ればいいんじゃ…。」

 「勇者が聞いて呆れる!とんだ疫病神じゃねぇか!」


 村長宅に集まった村の大人達は、ルクスの死で浮き足立って感情のまま言葉を紡いだ。事実を受け止められない者、将来に絶望する者、この場にいない相手に向かって罵倒を浴びせる者など様々だが、例外なく恐怖を感じていた。

 ただ一人この場にいる子供であるザインは、大人たちの怒号がまるで耳に入っていないかのように無表情だった。もう全てがどうでもよくなっていたのだ。

 だが、そんなザインが壊れなかったのは、偏に彼の父のおかげであった。父は何も言わずにザインの肩を抱いて成り行きを見守っている。無口で何を考えているのかがわかりにくいが、何時だって彼を守ってくれる優しい父がザインは大好きだった。


 「落ち着け。みんなの不安はよくわかる。儂かて震えが止まらんわい。ルクス様のことを頼り過ぎて居った我らの失態よ。まず初めに決めねばならんのは、村を捨てるかどうかじゃ。村の安全はもう保証されんのじゃからな。」


 一人が反射的に声を上げようとしたが、村長は睨みつけて黙らせた。それは村民全体に責任を負う村長の威厳だろう。


 「ここに居る者で出ていくつもりの者は夜のうちに支度をせい。早朝に街道沿いのラスラ砦へ行き、そこで保護してもらえ。残る者は昼夜の見回りを強化するので、そのローテーションを組まねばならん。幸い、と言ってよいのか農繁期は終わっておるから男手は十分足りるじゃろう。それと冬が終わるまでに村を守る傭兵を雇わねばならん。その費用も集めねばな。」


 男たちは誰も出ていくとは言わなかった。村から出たことのない者の方が多いのだから当然だ。大人たちは慣れない作業に四苦八苦しつつも、明け方にはすべてが決まりかけていた。

 その時、ザインの耳に異音が聞こえてきた。その音は虫の羽音だと思われるが、その音に違和感を感じた。蝗の大群ならば数千以上の群れでやってくるはずだが、その音は非常に大きな音を放つ巨大な数体の個体のようだ。

 ザインは自分の五感が異様なほど鋭敏になっていることに困惑する。自分では理解していないが、それは彼が竜の身体を手に入れたからに他ならない。

 虫の羽音は確実にこちらに近づいている。それを伝えるために口を開いたとき、歩哨に出ていた村人が血相を変えて村長宅に転がり込んだ。


 「そ、村長!空からなんかが来る!」

 「ま、まさか魔王の配下か!?もう来たのか!」

 「ど、どうすれば…。」

 「馬鹿!なんもできねぇよ!」


 村長は自分も恐ろしかったが、すっかり怯えてしまった村人を鼓舞するために覚悟を決めた。


 「お前たちは家に帰れ。儂が話を聞きに行く。」

 「村長!?」

 「ルクス様が仰ったのじゃろう?魔族にも話の通じる者はいると。儂はそれを信じるよ。もし、問答無用で襲われるのならばそこで我らの命運は尽きるじゃろうな。その時は家族と共に居った方がよかろう?じゃから早く行きなさい。」





 魔王領と呼ばれる地域の主、つまり魔王は実はかなりの頻度で入れ替わっていた。基本的に力のみを信奉する魔族にとって、自分こそが最強であると自負する者は多い。よって魔王に挑み、その地位を奪い取ろうとする者が後を絶たないのだ。

 当代の魔王が討たれた時、大抵の場合、領内の統率は乱れて群雄割拠状態になる。そうなると領内のあちこちで血で血を洗う争いが散発し、戦火から逃れる為に魔王領の外に出て王国辺境に潜伏することがある。

 食うに困った彼らが生き延びるために人間の村を襲うのだが、そもそも弱いから逃げた者が強い訳がない。結局、魔族や魔物との戦闘を生業とする討伐屋に始末されるのが常であった。

 だが、村のすぐ近くの森に白竜が住み着いたマンセル村方面に向かう者は誰一人いなかった。戦えないほど弱い連中がわざわざ自分よりも圧倒的に強い相手の縄張りを荒そうなどと考えるわけがないのだ。

 それ故に、マンセル村は歴代魔王の監視対象となっていた。何時異変が起きてもいいように国境の森は魔王直々に魔術によって常時監視していたのだ。そして今日の夕方、目の上の瘤であった白竜の反応が途絶えた。魔王は直ちに彼の腹心の部下に出撃を命じた。


 「我は魔王様より派遣された使者である!この村の長と話がしたい!」


 村の入り口に降り立ったのは三体の蟲人であった。左右の二体は背中の大きな翅からアゲハチョウの蟲人に違いあるまい。

 そして地面に降り立つと同時に大音声を上げた真ん中の蟲人は立派な角を持ち、全身は真っ黒な外骨格に覆われている。彼の名はケグンダート。カブトムシの蟲人にして、蟲人を統べる魔王の腹心である。


 「村長は儂ですじゃ。ご用件をお伺いしてもよろしいですかな?」


 村長は広場ではなく村の入り口付近に降りたことで、この蟲人は礼儀を弁えた知性ある存在であることを確信した。ならばこちらも誠意をもって接することで、双方の納得する結論を模索できるかもしれない。


 「我が名はケグンダート。魔王様の忠実なる部下である。まず汝らに問う。昨日の夕刻、白竜の反応が消えた。理由を知っているか。」

 「知っております。ですが、それをお教えする前に教えていただきたい。もし、魔王様がこの村を占領なさるのなら、我らの待遇はどうなるのでしょうか。」

 「その疑問は当然であるな。ならば答えよう。魔王様はできることならば汝らを同胞として迎え入れたいとお考えだ。というのも、魔王様は人間の農業の技術を欲しておられる。我らの下で畑を耕し、その術を伝授してもらえるならば、我ら蟲人の誇りにかけて汝らの今の生活を保障する。」


 村長と二人の会話を盗み聞きしていた村人たちは耳を疑った。よくて奴隷、悪ければ即刻皆殺しにされると思っていたのだ。ケグンダートの提示した条件は好待遇過ぎて逆に言葉通りに受け取ることは出来なかった。


 「魔王様はこう仰った。『最初から我等魔族を信じよとは言わぬ。故にまずは我等が信ずるに値することを知って貰いたい』、と。我の任務は白竜消失の真実を見極めることのみ。白竜について聞くことさえ叶えば我はすぐに立ち去ろう。」


 村長は悩む。この蟲人は信頼に足ると感じている。しかし、相手は魔族。その気になれば瞬く間に村を壊滅せしめるだろう。直感と理性を秤に掛けた結果、その秤は直感に傾いた。


 「承知致しました。ケグンダート様方はこれより我が村の客人でございます。大したおもてなしは出来ませんが、ご容赦下され。」

 「感謝致しますぞ、村長殿。」


 ケグンダートとそのお供は村長に招かれる形で村に入った。盗み見する村人たちの恐れに満ちた視線をものともせずに彼は堂々と村長に連れられては村長宅へと入っていった。

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