第5話思い出の竜 其の四
ザインは夕暮れの森を意気揚々と歩いていた。父とどちらがより大物を仕留められるかの勝負に初めて勝ったのだ。
負けた罰ゲームとして父親に今日の獲物を村へ持ち帰らせ、自分は自分の背丈ほどある猪を担いでルクスの待つ洞窟へ向かっていた。言いつけ通りに魔術の使わず、矢で脳天を打ち抜いて即死させた技量は寡黙な父にも褒められた。ルクスもきっと褒めてくれると確信して、足取り軽く洞窟に急いだ。
しかし、森の奥地から洞窟に近付くに連れて爆発音が聞こえてくる。胸騒ぎがしたザインは、猪を放り出して走り出した。洞窟が視認できる程に近づくと、これが戦闘音であることにザインはようやく気がついた。
「ルクス!」
ルクスしかいない筈の洞窟の中から音がするという時点で、彼女が戦っているのは明らかだ。ザインは何も考えずに洞窟に飛び込んだ。
勝手知ったる場所であるはずなのに、気が動転しているのか何でもない場所で幾度も転んだ。そのたびに小さな怪我を負いながら洞窟の奥地に辿り着いた時、黄金の大鷲を纏った青銀色の剣にルクスが貫かれてゆっくりと崩れ落ちた所だった。
「よっしゃぁ!勝ったぜ!」
ルクスと戦っていた内の一人が勝ち鬨を上げた。突然の大声に驚いたザインは思わず岩陰に隠れた。竜であるルクスを倒すほどの実力者に見つかったとして、敵対すれば必ず負ける。ザインの本能が出て行ってはならないと囁き、彼はそれに従ったのだ。
相手は普段通りの声で話しているのだろうが、洞窟の壁に反響して彼らの会話はザインの耳にも届いた。話の流れから察するに、彼らは王様の命令でマンセル村近郊の魔族を狩りに来たらしい。ありがたい話だが、それで村の守り神を傷つけたのだから本末転倒も甚だしい。
怒りに駆られたザインが飛び出そうとした矢先、白地に炎の模様が刺繍されたローブを着た老人が懐から取り出したナイフでルクスを解体し始めた。ザインにとっては余りにも凄惨でおぞましい光景だったことは想像に難くない。恐怖で固まってしまったザインは、黙って見ていることしか出来なかった。
五人組が洞窟を出て行った後、身体の自由を取り戻したザインは慌ててルクスに駆け寄った。
「あ、あぁ…。」
ザインの口から人の言葉が出ることはなかった。好き放題に陵辱されたルクスからは、今朝までの神々しさなど微塵も感じられない。
毎日村の女が丁寧に洗っていた純白の鱗は所々砕かれ、剥がされ、酸化して赤黒く変色した血がベッタリと付着している。翼膜は穴があき、角は根本から折られ、左の大腿からは大腿骨を奪われていた。黄金の眼球も両方共摘出され、虚ろな眼窩から流れる血はまるで涙のようにとめどなく流れ出していた。
『おや…おや。一番、見て…欲し…くない相手……が、最…初に来ちゃっ…たの……ねぇ…。』
「ルクス!生きてたの!?」
ザインは即座にルクスの頭を膝枕の要領で自分の腿に乗せた。そして生きていたことに感謝して涙を流しながらその頭を掻き抱いた。
「良かった…本当に……。」
『ぬか……喜びさせる………よう、だけど、アタシ…はもう……助から、ないわね。自分が…死ぬ……ことくらい……わかる…わ。』
「嫌だ!そんなの信じない!」
『聞き…分けの…ない子……ね。わたし…を…安心…して……死なせ…て?』
「そ、そうだ!前に教えてくれたよね!竜は食らった生き物を魂ごと食べて自分の寿命にするって。だったら、僕の魂を食べて…!」
『馬鹿……言…わないの。アナタは…私の……子も同然。子供を……食う…親がどこ…にいる、の?』
ルクスは目玉を失ったことに感謝したくなった。最後に見る息子の顔が泣き顔では悲しすぎる。
彼女は異種族のかわいい息子との思い出に浸る。せめて死ぬまでは幸せな気持ちでいたい。
「ルクスがいなくなるのは、悲しいよ…!」
『狩り……が出来る…ように、なっても、甘えん坊……ねぇ。ふふふ…。じゃあ、プレゼントを…あげる、わ。』
ルクスは残された全ての魔力を使って己の体を別のモノに変える魔術を行使する。体が光ったかと思うと、細胞の一つ一つが光となってザインの身体に吸収されていった。するとザインの全身に強烈な痛みが走った。
『アタシの、身体を……アナタの肉体と、融合させる……竜の秘術…よ。魂…の…補食の……応用…ね。これ…で、アナタは…相当……死ににくい…身体に…なった、はずよ。』
激痛でザインはルクスの最期の言葉を聞くことしか出来ない。何も言えない自分を呪った。
『アタシの……魂は、消滅…する。けれど、アナタ…が生きている……かぎり、アタシも、死なない…のよ。だから、アナタは……長生き、する…ん……だ…………よ…………………。』
その言葉を言い切ると同時にルクスの全身は光になって、ザインの身体と完全に変化した。
人体改造魔術が終わると、先程までの痛みは嘘のようにキレイさっぱりなくなった。そして自分の魔力が異常なほど膨れ上がったのも感じ取れた。
だが、それは同時に『ルクス』という存在が完全に消えてしまったことを意味する。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
竜の力を得て人の形をした竜・人竜へと変異した少年の慟哭は、まさしく竜の咆哮であった。彼の怒り、悲しみ、などあらゆる負の情念を載せた叫びは洞窟を揺るがし、鍾乳石を砕く。
しかし、その嘆きに応える者は誰一人いなかった。
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