第2話思い出の竜 其の一
ダーヴィフェルト王国辺境のマンセル村、その狩人の息子で当時十歳であったザイン・リュアスは村で最も竜に愛された少年であった。彼には唯一無二の才能があったのだ。
その才能とは、竜と会話できる能力である。竜は一般的に長命で非常に賢く、それ故に人語を解すると言われている。しかし、彼らには発声器官がないので人語を話すことは出来ない。数千年の永き時を生きた竜ならば魔法で思念を直接送り込むことが可能らしいが、真偽は疑わしいものであった。
竜を土地神の如く慕うマンセル村の村人にとって、竜と会話できるザインの能力は羨望の的であった。そして、彼は物心ついた頃から竜の意志を大人達へより正確に伝える役割を担っていた。
「ルクス!遊びに来たよ!」
少年によって村人たちが初めて知った白竜の情報は多々あれど、最大にして最高の情報は『ルクス』という名前だ。それまでは『白竜様』と便宜的に呼んでいたが、今は皆敬意を込めて『ルクス様』と呼んでいるのだ。
『まあ、いらしゃい。今日は寒いわねぇ。来てくれてとても嬉しいけれど、お仕事があるのではなくて?』
そのザイン少年は白竜ルクスの棲む洞窟の最奥を訪れていた。少年は竜と会話できるという十分すぎる個性がある以外は明朗快活にして天真爛漫な至って普通の子供だ。
だが、竜であるルクスは彼の様々な才能の片鱗を見抜いていた。言葉を交わす度に感じさせる知性の高さ、そして内に秘めた人間としては破格の魔力。ルクスは少年がいつか歴史に名を残す大人物になることを確信していた。
「うん。でもね、その前に、ルクスにプレゼントがあるんだ!」
『何かしら?もしかして、その後ろに隠したモノ?』
「そうだよ!はい!」
そう言って少年が取り出したのは一匹の野兎の死骸であった。兎はついさっき死んだようで、目に見える外傷は無く、首が折れているだけであった。
『あら?もしかして…?』
「うん!僕が捕まえたんだよ!ルクスに教えてもらった魔術を使ったんだ!」
余りのことにルクスは言葉を失った。確かに、魔術の基礎知識を教えたのは彼女だ。ザインがどんな魔術に適性があるのか、どうすれば使えるようになるのかを教えたのも彼女である。しかしそれでも習得速度は凄まじく早い。
新たな魔術を教わる、あるいは開発することは努力次第でどうにかなる。しかし、使えるようになるには非常に時間がかかる。才能が開花するまでに数年の時を要した大魔術師も少なくはないのだ。
『ザイン。アナタ、魔術が使えることを誰にも教えちゃダメよ。使うのも私がいいと言うまでダメ。約束できる?』
「え…う、うん。わかった…。」
ザインは悲しそうに俯いた。母親が早世した彼にとって、ルクスは母親同然の存在だ。そんな彼女に褒めて貰うべく、ザインは必死に魔術の練習をしたのだ。
努力して素晴らしい結果を出したにもかかわらず、望んだ反応を得られなかったので、ザインはすっかり落ち込んでしまった。そんな彼を見かねたルクスは優しくフォローした。
『でも、魔術をこんなに早く使いこなせるとは思わなかったわ。アナタのことが私はとっても誇らしいわ。』
するとザインはくすぐったそうに、そして何よりも嬉しそうに破顔した。彼にとってルクスに褒められることは父親に褒められるのと同等の価値があることなのだ。
「じゃあこれはルクスの朝ご飯にしてね!夕飯にはもっと大きな獲物を持ってきてみせるよ!」
『ザイン?さっきも言ったけれど…。』
「わかってる。ちゃんと狩人の息子らしく弓と矢で仕留めてみせるさ!じゃあね!」
ザインは地面に兎を置くと、駆け足で洞窟から出て行った。我が子同然の少年の元気な姿を見送ると、早速彼が用意してくれた朝食をいただく。
実を言うと、ルクスが兎を食すのは初めてだった。毎日ザインの父親がその日一番の大物を献上してくれるので、立派な猪や鹿が彼女の主食だったのだ。
当たり前だが兎は大型野生動物に比べて小さいので、体長が二十メートル以上あるルクスならば丸々一匹が口の中に入ってしまう。兎を骨ごとバリバリと咀嚼すると、口の中に秋のうちに溜め込んだ濃厚な脂が広がる。猪や鹿などよりも柔らかい肉と骨の二種類の食感も相まってルクスはすっかり兔肉の虜になってしまった。
『あら、美味しい!今度からたまに兔を貰いたいわね。』
数百年を生きたといってもまだまだ知らないことはたくさんあるものだ、とルクスは一人ごちた。それと同時に自分に新しい発見を与えてくれるザインが村から去る時のことを考えてしまう。
彼はこんな田舎で終わる器ではないし、終わって欲しくない。実際、既に魔術の才能は開花しつつあり、釘を差したとはいえ周囲に知られるのも時間の問題だ。
そうなれば、ザインは確実に村を去るだろう。彼が自分と話せることがわかるまで、ルクスは慕われてはいても人々の輪に入ることは出来なかった。それを可能にした、自分の中の孤独を埋めてくれた少年がいなくなることに耐えられるのだろうか。それがルクスの抱く唯一の苦悩であった。
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