第2話まただよ

物語の発端は三ヶ月前まで遡る。


勇悟と咲夜は横浜の端にある学生の街、金沢区の高校に通うごくごく普通の高校生だった。


その時は狂気にまみれた聖戦が勃発することなど知る由もなく、ただありきたりな高校生活を送り修学旅行が楽しみだ、卒業後の進路はどうするかなどの話題に花を咲かせていた。


ホームルームの時間、いつも通り担任が教室に入り点呼を取るが、今日はいつもと違う様子でなにか緊張している面持ちだ。

担任はまだ若い。


「ええと、今日はみんなに紹介したい人がいます」


若い担任早川がそう言うと教室はざわついた。皆は知っている。担任の教師が紹介した人というセリフは転校生を教室に招く合図だ。



「じゃあ入って。自己紹介して」


担任の若い教師はぶっきらぼうにそういうと、教室の戸がガラガラと開き中にお人形のような女子が入ってお辞儀をした。


「香月 由紀です。よろしくお願いします 」


男子が息を飲む音が聞こえたような気がする。子供のような幼さと、全てを悟った冷静な瞳をもつ大人びた姿が同居したような美人である。


彼女は照れ笑いしている。クラスの女子は男子の様子を見て嫉妬の念を燃やしているのかと思えばそうでもないらしい。


皆が皆、彼女を受け入れる準備ができていた。


勇悟は彼女をじっと見た。香月由紀が可愛らしい女子だったからであるのと同時に彼女がなにか寂しそうに見えたからだ。助けを求めているような、しかし誰にも解決できないのだから関わりを避けてしまいたいようなそんなふうに見えた。


目は口ほどにモノをイウ


ふと教室の端、咲夜の席を覗きこむと彼もまた彼女を見てなにか考え込んでいるように見えた。


勇悟はまた彼女に視線を戻す。すると今度は目があった。コンサート会場でファンがミュージシャンと目があったとかいう話しは、錯覚であることが多いらしいが今回はどうだろう。


勇悟は物憂げに彼女の瞳を見続けた。例えるのなら風景を見るかのように奥の方まで見渡すというべきだろう。


その黒い円形の瞳は勇悟の意識を剥離させ、その瞳に触れられるか触れられないかのぎりぎりの地点まで引きずりこんだ。


日の光を浴びた森林の世界から凍てつく氷河の世界へと運ばれるような、暖かさから寒さへと変化していく感覚のようなものだけが残った。


「おい、犬神。聞いているのか犬神」


勇悟は担任の声ではっとして意識を戻した。クラスメイトの笑い声が勇悟に向け発せられている。勇悟は頬を赤らめてうつむいた。


ホームルームが終わると咲夜が勇悟の席へと寄ってくる。勇悟はそれを嫌そうに見る。


「ひどく間抜け面だったな勇悟」


抑揚のない低く感情をひた隠したような声で咲夜はそう言う。


「うるせえ。お前だってぼおっと見てたじゃないか」


勇悟はムキになって言い返す。それを咲夜は冷静な声で「あいつ、変だよな」と返答した。


「そうか。いまどき女子高生ってのは、みんなセンチメンタルな悩みを抱え込んでるからあんな目をしてるんだよ」


「お前、さっきそんなこと考えてたんだな」


勇悟はなにも答えなかった。会話はそこで終わり咲夜が結局由紀の何がどう変だったのかは聞けずじまいだったが、勇悟はそんなことはすぐに忘れていた。


今日は勇悟らにとってもっと重大で、かつ最悪な稽古が待ち受けていたからだ。


毎週、火曜と金曜の稽古と土曜の集会は勇悟にとって悩みの種なのだ。


香月由紀が転校して勇悟をふくめクラスの皆が浮き足だっているからといって、勇悟の普遍的な日々は変わることはない。


勇悟はいつも口癖のように言う。


「俺は不幸だ」


父の十蔵は勇悟を高校に行かせる気がなかった。何故なら勇悟には犬神家の当主となり獣人族を従え、波動族と闘うという天命があるからだ。


そのために厳しい稽古をさせ身を鍛えることを義務付けられている。


勇悟にとって稽古のある日は憂鬱で、学校にいても気が気ではない。それは可愛らしい転校生が何人来ようが変わらない。


下校時、稽古を共に受ける咲夜に今日稽古をさぼらないかと言っては咲夜に叱られていた。


勇悟がこれほどまで稽古を嫌がるのには理由がある。勇悟には才能がなかった。少なくともこれまでは一度も獣人化に成功したことがない。


極め付けに咲夜はここ10年来で1番と言われるほどの天才児でに獣人化が上手い。


咲夜は稽古の時、見事に狼へと姿を変えるのだ。黒い毛並みに、恐々とした牙、そして鋭い爪を持った紛れもない狼へと。


それに加え咲夜は格闘術も剣術も勇悟より何枚も上手だった。



父の十蔵はいつも咲夜を褒め、勇悟のことを叱った。


家臣たちがよくひそひそと話す。


「勇悟ではなく、咲夜が獣人族の長を継ぐべきだ」と。


勇悟もそうすべきだと思っている。咲夜への劣等感はまだ高校生である勇悟に重くのしかかった。




「なあ。咲夜、今日ゲー」


「ゲーセンは駄目だ。昨日いっただろ」


咲夜はサボりの提案を遮り、きつめの口調で拒否した。


「それに、今日は獣人化部位変化じゅうじんかぶいへんげの修行だろ。大切だ」


「部位変化なんて俺にできっこねえって。俺はまだ全身変化ぜんしんへんげすらもできないんだ。今回だってみんなに笑われてお終いだ」


部位変化とは獣人化を手、また足など一点のみに集中させる技のことで、力のコントロールが難しいため大人ですら使わない者もいる。

部位変化できるようになると一人前の獣戦士として仲間に認められる。


「いや違う。みんなは笑って誤魔化してはいるがあの時、爪伸ばしの修行の時お前は俺たち同期の中で唯一部位変化に成功させた。お前は…天才だ」


最後の天才だ。という一言が、神妙な面持ちのまま話す咲夜に勇悟の腸は煮えくり返った。


「お前に…何がわかんだよ」


勇悟は静かに、しかし咲夜に聞こえるように言った。


「勇悟、俺は本当にお前が…」


「うるせえ。お前と俺は違う‼︎部位変化もあれは失敗だ。爪伸ばしで頭を狼顔に変えた落第生は俺だけだ。とにかく、俺は今日ゲーセンに行く。お前は、もう俺なんかの相手…もうしない方がいい。じゃあな」


勇悟は走って咲夜から離れていく。目には涙を流していた。

勇悟の足音はすぐ近くを走る京急電鉄の音でかき消されて、咲夜にはその姿をただ見つめることしかできない。


「雄吾…お前は天才だと俺は知ってる」咲夜は1人虚しく、そして優しく言った。





そして…


「へ〜あれが、犬神勇悟君かあ」


ー夕闇に照らされる木陰がその姿を包み隠すー








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