狼狽と幸福

神田 稔

第1話初夜

1.決して人に姿を魅せぬこと

2.いつ何時であれ、幸福論の導きに従うこと

3.波動を扱う愚者を見つけ次第、一族の誇りを持ってして罪を償わせること

4.波動を扱う愚者を食してはならないこと

5.獣人族の永続的繁栄を願い奉仕すること




これが犬神家に代々伝わる掟である。古くから犬神家率いる獣人族と波動族は抗争を繰り広げてきた。


両族には《幸福論》と呼ばれる聖典が再び地に現れ、開かれる時終焉するという言い伝えがある。犬神家は代々幸福論を探し求めてきたがしかし、幸福論は100年以上開かれることがなかった。


さらに幸福論を手にした者は真の王として君臨し他を圧倒する力を手にするとの言い伝えもあり、両族は実権を手にするため躍起になって探し血を流すという歴史を繰り返してきたのである。


ー幸福論は再び開かれる、その時はもう近いー



あらゆる噂が飛び交い、両族間の緊張感は最高潮に達していた。


そして、、、


「戒厳令が発令された。たった今からにっくき波動族を討ち滅ぼし、我らが獣人族が幸福論の導きのもと天下をとる。これは戦争だ」


犬神家当主、犬神十蔵(いぬがみ じゅうぞう)が家臣を集め総会を開き皆を奮い立たせた。


先ほどまで緊張感が漂いしんとしていた和室も彼らの怒号、雄叫びによって揺れるているように感じた。


「今は亡き同胞武田(たけだ) 、夜鳥(やどり)の両名の鎮魂は奴ら波動の、愚者の血涙で捧げることとする」


十蔵はそう語った。ここ数年は大きな抗争がなかったからなのか家臣の者は興奮状態になっていた。


2人の死は棚に置かれ埃まみれになっていて、争いの引き金には都合の良いと思われているような気もする。


犬神 勇悟(いぬがみ ゆうご)はそれが気に入らないので父である十蔵を睨みつけている最中である。


十蔵は御構い無しで話を続ける。


「昼間の戦闘は極力避けよ。我々は目立ちすぎる。やむなき場合は人目の届かぬところで獣人化し、早急に首元をかっ切れ。普段はもちろん人型でいることを忘れぬように。奴らに罪を償わせ、祝杯の灯火をあげよ。では、解散」


総会が終わり、家臣は各々姿を消した。


広い和室には十蔵と勇悟、そして居候しているの親友、古牙 咲夜(ふるき さくや)の3人だけとなり、先ほどの静けさを取り戻した。今はただ庭の鹿おどしがカタン、カタンと鳴らす音が聞こえるだけだった。勇悟は度々その音で驚く。


少しの沈黙の後、十蔵は語りだす。


「勇悟よ、今になってまだ戦えぬなど腑抜けたことを言いよるわけではあるまいな」


父十蔵の言葉には威厳があり身震いした。


「でも、父さん…」


「反論は許さぬ」


勇悟は思い思いの反抗をしようとするもそれは直ぐに阻止されてしまう。


「あの娘は波動族の長、香月 尊 (こうづき みこと)の実の子。憎き仇の次期当主となる娘だ。それを知って危険だとわかりつつもわざと関係を持たせていたのだ。おそらく尊も同じ考えだ」


十蔵は冷たく言う。


「まさか、あの娘と色事に落ちたわけではあるまいな」


勇悟は首を激しく横に振りそれを否定した。


「ならよい。今日はもう寝ろ。咲夜、勇悟を頼むぞ」


隣に座る咲夜はコクっと頷いた。幸福論がなんだ。人を殺した先にある幸福になんの意味がある。勇悟は父の話に納得できずにいた。


十蔵が広い客室から出て自室に戻った後も、勇悟と咲夜はまだそこに居座った。煮え切らない思いと不安さが勇悟の胃を握り潰すような感覚を与えている。


だいたい鹿おどしは、獣を驚かすためにあるんだ。そんなこともわからない馬鹿に指図されたくはない。



争いなど前時代的。過去はすでに清算し互いに手を取り合うべきだ。


十蔵は妻を失った悲しみに囚われ、心は闇に掬われてしまっているのだ。勇悟は耐えた。ただ、耐えた。悲しみは連鎖し人を苦しめることを知っているからだ。


咲夜はただじっと勇悟を見つめ、なにも語らない。


鹿おどしの音がこの空間に唯一音を生み出し、時の経過を伝える。




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