夏祭り
夏祭り―1
公一郎はよく眠っていた。ほんの一時かもしれないが、久しぶりに夢を見ることもなくただただぐっすりと眠っていた。何年ぶりかに横たわるベッドの布団はとても心地のいい匂いがしていた。恐らく、美代子が公一郎がいつ帰ってきてもいいようにと綺麗にしておいてくれたのだろう。そんな時だった。まるで地響きのような音が公一郎の耳に飛び込んでくる。一体何事かと思い公一郎の意識が戻ると同時に部屋のドアが勢いよく開く。
「一郎兄貴!」
公一郎は茫然としていた。ドアのところには弟の公三郎がまるで幽霊でも見たかのような顔で立っている。
「おお、公三郎か…塾行ってたんだろ?」
「いやいやいや、それよかどうしたんだよ!急に帰ってくるなんて。」
公三郎はまだ公一郎の顔を見たまま息を切らせている。
「って言うかそんなに汗だくになるほど何してたんだよ。」
「単純にびっくりしたんだよ!一郎兄貴俺のメールだって無視するだろ。そんな兄貴が帰って来たって…。二郎兄貴は連絡取れるけどさ。」
「ああ、公二郎か。あいつ元気なのか?」
公一郎はまだ頭がすっきりとしていない。
「いやいや、だから自分のことさておいてさ。」
そこでようやく公一郎は時計を見る。すると時刻は夕方4時少し前だった。
「やっべ。俺こんなに寝てたんだ…。時雨を夏祭りに連れて行かなきゃ。」
その言葉に公三郎は更に青ざめる。
「兄貴…今何て言った?」
「ああ?だから、夏祭りだよ。野芥神社の夏祭り、今日なんだろ?」
「いや…だからそうじゃなくて…今…誰と行くって?」
「時雨だよ。」
公一郎はそう言いながら起き上り、携帯電話を手に取っていた。しかしほぼ同時に公三郎が公一郎に飛びかかって来る。
「一郎兄貴!何があったんだよ!だから帰って来たのか?大丈夫かよ!」
公三郎は公一郎を揺さぶりながら言う。
「おいおい!公三郎!やめろって!なんだよいきなり。」
公三郎は公一郎を心配そうな顔で見て来る
「時雨姉ちゃんはもういないんだぞ!そんなことも忘れたのか!?なんだなんだ!記憶喪失ってやつか?そんなドラマみたいな展開ってまさか!」
公三郎はすっかり取り乱してしまっている。
「落ち着けって。記憶喪失なんかじゃないよ。時雨だっていないのは分かってる。」
その言葉を聞いて公三郎はキョトンとした表情になる。
「は?」
「だから…なんて言えばいいんだ…その時雨じゃなくて…別の時雨なんだよ…。」
公三郎は更に顔を顰める。
「何言ってんの?兄貴…。」
公一郎もまだ寝起きなのか頭が働かない。
「んー…だからさ…とにかく、説明すると面倒なんだよ。お前夏祭り行くのか?」
「いやいやいや、もう俺の頭ん中完全バグってるから。何言ってっかもう分かんないから。夏祭りどころじゃないでしょ。」
公一郎は掴んだままの公三郎の手をゆっくりどけると、ベッドから立ち上がる。
「行くなら、連れて行くぞ。」
公三郎はまだキョトンとしていた。
「いや…俺にも一緒に行く人いるから。兄貴…外出ない方がいいんじゃないか?」
その言葉に公一郎は反応する。
「あんだと?」
昔ならここで喧嘩が始まっていた。何せ男三兄弟だったのだから、喧嘩や殴り合いなんて日常茶飯事だった。しかし今は直ぐに手を出すところまではいかない。やはり時間というものは確実に進んでいるのだ。公三郎も末っ子ながら直ぐに兄貴達に向かってきたものだが、さすがにもうその辺りは心得ているらしい。
「まあいいや。どっちにしろ行くなら一緒に行くぞ。お前まだ一応未成年だからな。保護者同伴な。」
そう言いながら公一郎はニヤリと笑い、部屋を出て行く。
「なんだよ!まだ子供扱いすんなって!」
「子供だろ!」
公一郎は階段を下りながらそう言っていた。
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