約束

 あれは霊安室に居る時だった。広樹の目の前には時雨の母親、広恵と父親の憲吾がいた。二人とも時雨の遺体を前に、顔を下げている。

「こんなお願いをするのも…失礼であることは分かっています。ただ…俺にはどうしても実験を成功させたい。だから…。」

しかし二人とも顔を上げようとせず、じっと俯いている。それでも広樹は諦めなかった。

「すいません…お願いです。彼女の…時雨さんの生きていた証拠を…俺に…少し託して下さい…。」

「広樹君…君が真剣なのも、時雨のことを思ってくれているのも分かる…でもな…やっぱりそれはこの子の親としては受け入れられない…君がいくら産まれた時からの幼馴染とはいえ。」

そう行ったのは憲吾だった。

「お願いします…。俺には…必要なんです。」

「実験に使うんだろ?……君は…時雨を実験の材料にするって言うんだろ?」

憲吾は時雨の顔の方を見ながら言う。

「材料って言う訳じゃありません…ただ…ただ…。」

確かに広樹は思い付きだった。しかし、これがあれば広樹の実験はきっと成功する。この時はそう信じていたのだ。

「いくら広樹君が信頼できるとはいえ…やっぱりその申し出は受け入れられないよ。分かってくれ。これは君には分からない。自分の子と幼馴染では、この子に対する感情もきっと変わって来るんだよ。決して君が時雨に対して適当な思いを持って友達でいてくれたとは思っていない。僕だって広樹君のことは産まれた時から見てきたんだ。君だって、おこがましいようではあるけど、本当の息子のように思える時もある。君たち三人は、僕達からしてもまるで兄弟のように感じることもあったんだ。だけど…やっぱり時雨は僕達の娘。広樹君、分かってくれ。」

しかし広樹は諦めきれなかった。

「そのことも十分に分かってます。でも、やっぱりお願いしたいんです。その代わり、必ず俺はこの実験を成功させます。そして、もう一度…もう一度時雨を…時雨を二人に会わせて見せます。だからお願いです!」

「広樹君!」

憲吾は思いっ切り立ち上がり、置いてあった椅子が倒れ壁に当たり、すさまじい音が霊安室に響く。その時だった、幻聴かもしれない、その響いた音に混じって何か聞こえたのだ。

「いいよ…。」

それはそこにいた三人共に聞こえていたようだった。憲吾も、広恵も宙を見つめていた。

霊安室は静まり返っている。

「広樹君…いいよ…。」

そう言ったのは広恵だった。

「私にもそう聞こえた。時雨が…いいよって…。」

「お前!」

憲吾は広恵に食って掛かりそうになる。

「あなた…。その方が時雨も喜ぶと思うの…。いいよって…言ったんだから。」

憲吾は何も言えなくなる。

「あ…ありがとうございます!」

広樹も霊安室中に響くような大声で言う。

「必ず…必ず実験を成功して、お二人に時雨さんをもう一度会わせて見せます!」

「広樹君…それはもういいのよ。ただ、これで時雨が喜んでくれるならと思えば…。」

広恵は微笑みながら広樹にそう言った。

 そうして広樹は時雨の身体の一部を採取させてもらい、必ず時雨の両親とした約束を果たすと心に決めたのだった。

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