プラン「S」-1

 広樹は薄暗い間接照明の中、コーヒーを片手に窓の外を眺めていた。マンションの六階ということもあり、更に高台になっていることからまあまあの眺めがある。マンションと言っても、一昔前に都心から丁度よく離れた場所に乱立された、所謂ベッドタウンという場所に建てられた、まるで団地のようなマンションの一室だった。広樹は元々一人には丁度いい小さなアパート暮らしだったのだが、拓真を引き受けると同時に広樹の研究所からも近いこのマンションに越した。そこで広樹は拓真を本当の弟のように可愛がって一緒に暮らしていたのだ。

 広樹はカップの中のコーヒーを飲み干し、もう一杯飲もうとコーヒーメーカのあるカウンターキッチンの方へと歩いて行く。そうして広樹がコーヒーを注いでいると、玄関のあく音がした。ふと広樹が壁にかけてある時計を見ると時刻は二三時を少し過ぎたところだった。やがて足音がリビングの方へ近づいてくる。

「あ…広樹さん、ただいま。」

拓真は高校生の持つようなエナメルのバッグを肩に担いでリビングへ入って来た。

「おかえり。」

広樹は優しい笑顔で拓真にそう言うと、コーヒーを持ってテーブルへ向かう。

「広樹さんがこの時間まで起きてるの珍しいですね。少しびっくりしちゃいました。」

拓真はエナメルのバッグをソファに降ろしながら言う。

「ああ…うん、そうだね。今日は仕事、遅番だったの?」

「あ、えっと、ほんとはもう少し早く上がれたんですけど、最後に団体のお客さん来ちゃって、少し伸びたんです。」

「そっか。居酒屋も大変なんだな。でも拓真も一生懸命やってるんだから、偉いよ。」

「そんなことないっすよ。」

拓真は照れ笑いしながらカバンから仕事着らしいシャツなどを出している。

「だって、拓真が入った来た時、凄い汗と油の匂いしたからね。」

広樹は意地悪に笑いながら言う。拓真はその言葉に急に自分の匂いを確認している。

「まじですか!?すいません。直ぐお風呂入ってきます!」

と言いながら拓真はシャツを急いで脱ぎ始めようとした。

「あ、冗談冗談!そんなに臭くないから…いや、ほんとはちょっと匂うけどね。それより、拓真に大事な話があるんだ。こっち座ってくれないか。」

拓真は不思議そうに広樹の方を見る。

「話し…ですか?」

「ああ、だから拓真が帰って来るの待ってたんだ。」

「あ、そうなんですね。すいません。」

と言いながら拓真は広樹の居るテーブルの方へ来ると、広樹の向かい側に座る。広樹は同時に自分を落ち着かせるようにコーヒーを口に含むと、一気にそれを流し込む。広樹はそれを味わっているのか、それとも何か考え事をしているのか、じっと眼を瞑っている。

「あの…話って…?」

拓真は広樹の様子を窺うように言葉を発する。広樹はカップを両手で包みこむように持ったままゆっくりと目を開き、口を開く。

「今から俺が拓真に言うのは…任務だ。」

拓真はその任務という言葉に一瞬戸惑ったような表情を浮かべる。

「いや、軽く言ってしまえば頼みごとなんだが、これはとても重大なことなんだ。だから、俺とお前二人の任務として拓真にはお願いしたいことがある。」

拓真はじっと広樹のことを見つめる。

「俺は、今やっている研究を独断で打ち切りにする。」

広樹はまずは第一段階クリアと言わんばかりに一度大きく深呼吸をする。拓真はやはりじっと広樹を見つめる。

「今は理由を言えない。ただ、今俺のやっている研究はこれ以上続けてはならない。俺は、人間の犯してはいけない神の領域に踏み込んでしまった。」

「神の…領域…。」

「この研究は最初から無かったことにしなければならない。こんな研究しなかったことにしたいんだ。ただ、その為には俺は戦わなければならない。今は一人だ。だから、拓真には俺の仲間になって欲しい。」

拓真の表情は驚きに変わる。

「戦うって…まさか…機関全体を敵に回すってことですか!?」

「そういうことだ。」

「無茶だ…。」

「そうか……拓真は俺の仲間にはなってくれないか。」

「あ、いえいえいえ!そんなことないです!自分は、いつまでも広樹さんに着いて行きます!」

「無理はしなくていいんだぞ。」

と広樹はニヤリとしながら言う。

「無理なんかじゃありません!自分、広樹さんと闘います。」

広樹はその言葉を待っていましたとばかりに安堵した表情になる。

「そうか、それはよかった。ただ、俺達は戦うって言っても戦闘をするわけじゃない。拓真に頼みたいのは重要なミッションだ。」

「ミッション?」

拓真は再び広樹の顔をじっと見る。

「ああ、ミッション。簡単に説明すると、拓真には俺の創った検体第一号を守って欲しい。」

拓真はその言葉を聞いて不思議疎な顔になる。

「俺はこの研究をなかったことにするために研究のデータを持ち出し、データを物理的にも消去する。拓真は検体第一号を目的地に無事届けて欲しい、ただそれだけだ。検体第一号はもうすぐこの世に出てくる。そうすれば研究は成功だ。しかしそれは幸せなことではない。不幸を呼ぶだけなんだ。ただ、産まれてくる以上精一杯生きさせたい。それは俺の責任でもある。しかし俺にはそれ以上にデータを抹消する義務がある。だから、検体第一号の方は拓真にお願いしたいんだ。」

拓真は困った顔になる。

「そんな大きな任務、自分に務まるでしょうか。」

すると広樹は拓真をまっすぐに見つめた。

「大丈夫。お前は俺の見込んだ男だ。必ず出来る。さて、計画はシンプルだ。検体第一号の生まれる日、俺は検体第一号を研究所の外へ連れ出す。拓真は外でしぐ…検体第一号を連れて、目的にまで擦れて行く。その後は検体第一号が生来ている間二人の護衛をして欲しい。」

すると拓真は言葉の中の不審な点に気が付く。

「二人?」

「ああ、目的地に行く前に一人の男と会って欲しい。そいつなら、検体第一号に最高の思い出を作ってやれるはずだ。」

すると拓真はまた不安そうな顔になる。

「大丈夫だ。そいつは俺の親友…いや、兄弟と行ってもいいくらい信頼できる奴だ。いわば…腐れ縁だな。」

「広樹さんの信頼できる人なら…。でもそれからはずっと二人に付いているんですか?」

「ずっとと言っても恐らくは一週間程度だと思う。元々実験で創り出された検体だ。どちらにしろ長くは生きられない。だから、検体第一号が生きている数日間。それまでだ。」

「そう…なんですか。分かりました。やってみます。」

広樹はその拓真の言葉に笑顔になる。

「良かった。」

「でも、その前に検体第一号を連れ出すって、まずそこが大変じゃないですか?」

「それを今から説明しようと思ってったんだよ。俺は検体第一号の産まれる日、その日のいつ生まれようがタイミングを真夜中に持ってくる。恐らく可能なはずだ。そして俺は検体第一号の誕生を見届けると言って研究室に残る。そうすれば誰もいない真夜中に検体第一号を連れ出すのは簡単なことだ。」

しかし拓真は顔を強張らせる。

「な…広樹さん、まさかそんな小学生みたいな考えで実行してるんじゃ!」

拓真は飛んでもないという風にしているが、広樹はニヤリとする。

「だって、セキュリティーゲートは勤務時間外は通過できないし、残業申請をしていても最高二十一時まで。それまでは警備隊も交代で付いてるし、それから翌朝七時半までは全自動警備に切り替わるんですよ。例え夜中まで研究室に居れたとしても、誰にも気づかれずにセキュリティーゲートを通過するなんて無理です!」

その言葉を聞いても広樹はニヤリとしている。拓真はその余裕ぶりに少し押されてしまっていた。

「だからお前が必要なんだ。」

その言葉に拓真は更に恐怖を顔に浮かべた。

「まさか…。」

「いいんだ。リスクは大きい。もしこの話を聞いてやりたくなくなれば、俺は一人でなんとかする。」

少しの間沈黙が続く。しばらくして拓真は決心した表情を見せ、広樹をまっすぐに見る。

「広樹さん…自分さっきもやると言いました。一度言ったからには必ずやります!」

「そうか。だったら、頼む。後は細かい打ち合わせと検体第一号の資料はまた話そう。今日はバイトも疲れただろう。」

「はい、分かりました。」

そう言うと拓真は席を立ち、再びエナメルのバッグを肩に担いでリビングを出ようとする。その時だった。広樹の目に拓真と真一が被って見えた。

「おい…。」

拓真はその声に俊敏に反応し、広樹の方を見る。

「あ…いや…お休み。」

すると拓真は無邪気な笑顔を広樹に向ける。

「はい、お休みなさい。」

それから拓真は風呂に向かったようだった。

 こうして、検体第一号を連れ出す計画と、研究の抹消計画は着々と進んで行ったのだった。

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