検体第一号ー2

 公一郎はまた夢を見ていた。過去の記憶が蘇ったからだろうか、やけに鮮明な夢だった。車内は妙に暗くなっていて、いつの間にか夜になっていたらしい。どのくらい眠っていたのだろうか。横を見ると検体第一号はカーテンを開け、シートの上に座り外を眺めているようだった。起きていたのかと公一郎はふと検体第一号に手を伸ばそうとした。

「あ、秋本さん起きたんですね。」

「え?ああ、わりいわりい。寝てたんだな。」

公一郎は我に帰り拓真の方を見る。

「いえいえ、よく眠ってましたから。起こさないようにと思ってたんですけどね。」

「ほんとごめんな。お前はずっと運転してんのにな。疲れないか?眠たくならないか?」

そうだった。拓真はトイレには行ったもののそれ以外はずっと運転しっぱなしなのだ。ラジオも音楽も聞かないでひたすら前を見て運転している。もし自分なら確実に居眠りをしてしまっているなと公一郎は反省していた。

「自分は、訓練の時も三日三晩寝ないで訓練をしたこともありますし、これくらいならまだ平気ですよ。いかなる状況でも最前で動けるようにと厳しい訓練を受けましたから。自分のことは気にしないでください。これも自分の使命だと思ってやってますから。」

それにしても公一郎はなんだか申し訳なく思う。そうか、広樹も拓真のこういうところに入り込んで行ったのかもしれないと公一郎は思った。そうして公一郎は携帯電話を取り出して何気なく画面を見る。そこにはおびただしいほどのメールや着信の履歴が残っていた。なんとなくバイブレーションがずっと動いていたのは知っていたが、その内容はほとんどが広樹に関することだと知っていたのであえて無視をしていた。SNSの中には広樹の情報を拡散するものまで混じっていて、公一郎は複雑な気持ちになる。しかしその一つ一つを気にしている余裕は今の公一郎には無かった。公一郎が携帯電話を見たのはそういうのを確認する為ではない。今の時間が知りたかっただけなのだ。携帯電話の時間表示を見ると、二三時二十七分となっていた。

「結構寝ちゃってたな。」

「色々ありましたからね。疲れてたんですよ。今山口辺りなんで、もうすぐ関門海峡ですかね。」

その時だった、検体第一号が何やら唸り声を出している。それに気が付いて公一郎は検体第一号を見ると、何やら身体を揺らしている。その揺れが止まると続けて車内に異臭が漂ったのだ。

「あ…もしかして。」

公一郎は気が付いた。さっきあのバッグの中に大人用のおむつがあったことを思い出したのだ。

「ああ、この匂い…窓開けましょうか。確か関門海峡の手前にサービスエリアがありました。そこに入りますね。」

拓真も状況を把握したようだった。

 それからすぐに関門橋の足元、壇ノ浦のサービスエリアへと三人を乗せたバンは入って行った。

「着きました。」

拓真は公一郎に言う。

「ああ………っておい!もしかして俺が!?」

拓真は一瞬困った顔をしてきょろきょろとし始める。

「あ…えっと…その…はい…一応…。」

公一郎は自分がやるということを考えていなかった。しかし考えればこの検体第一号の世話を任されたのは公一郎である。

「ああ…わかったよ。やるよ。お前はここで待ってるのか?」

すると拓真の表情は戻り、公一郎をまっすぐ見る。

「はい、お願いします。」

公一郎は気が進まなかったがバッグを持つとバンから降りる。

「おい…えっと…。」

公一郎はまだ検体第一号の呼び方に困っている。

「秋本さん、呼びやすい呼び方でいいんですよ。」

公一郎は「第一号」とか「一号」と呼ぼうともしたのだが、それも拒否反応を示してしまう。公一郎は意を決してまだ向こう側の窓の外を見ている検体第一号に声をかける。

「おい…し…時雨!時雨!行くぞ!」

しかし検体第一号はやはり自分のことだとは思っていないのか振り向こうとしない。公一郎は仕方なく検体第一号の腕を掴む。するとようやく検体第一号は公一郎の方を振り向き、不思議そうな表情を向ける。

「時雨、行くぞ。」

検体第一号は公一郎の顔を見つめているが、公一郎は検体第一号を強引に引っ張って車から降ろす。

「ああ!!ああ!!」

検体第一号は驚いたのか声を上げる。その時だった、公一郎は検体第一号が裸足なのに気が付き、もう一度車内を見るとサンダルが検体第一号のいた辺りに転がっている。公一郎はそのサンダルを掴んで、裸足で立っている検体第一号の前に置く。しかし、検体第一号はそれさえも不思議な表情で見ている。検体第一号にとっては何もかもが未知の世界なのだ。公一郎は先が思いやられると肩を落とし、検体第一号の前にしゃがむと検体第一号の左足を少し持ち上げてサンダルを履かせてやる。検体第一号はその様子を興味深げな表情で見ていた。そして公一郎がもう片方のサンダルを履かせてやろうと右足に手をかけようとした時だった。検体第一号は自ら足を上げ、置いてあるサンダルに足をゆっくりと通したのだ。検体第一号はその動作に満足げな表情を浮かべる。公一郎はその様子をじっと見つめていた。

「もしかして…時雨…学習したのか?」

そう言うと検体第一号は満足げな表情のまま公一郎を見る。恐らく知能自体は年齢相応にあるのだ。つまりは教えれば教えるほど吸収していく。公一郎は検体第一号を連れて電気の消えた建物の方へ歩いて行く。

 トイレのある場所はさすがに電気が明々と付いていて、公一郎は男子と女子トイレの真ん中にある個室トイレへと入る。公一郎はなにをやらなければならないか大体は分かっている。その時にこの個室を使った方がいいと思ったのだ。検体第一号を中に入れると、思った通り赤ん坊を乗せる台がある、が、さすがにそこに検体第一号を乗せる訳にはいかない。とりあえずその台の端に検体第一号を座らせ、公一郎は個室の鍵をかける。すると、公一郎は悪いことをしているわけではないのになんとなくだが身体の奥底から湧きあがる興奮を感じる。それは全身を一瞬しびれさせるようなそんな気分になる。更には鍵を閉める手に力が入る。

「おい…どうしたんだよ。」

その間隔はまるで世情の頂点にある快楽を求める時のような、それによく似ているなと公一郎は本能で感じる。

「おいおい、何考えてんだよ俺。」

そうは言うもののやはりそれは何か抑えきれないあの感情に変化しつつあるのだ。しかしそれはあの「後悔」の時の感覚にもよく似ている。公一郎はそれを抑えるのにその場で固まってしまった。

「おいおい、マジかよ。やめろよ。これ以上俺が求めるものなんてないはずだ。どうして。」

公一郎は葛藤していた。

「ないない。そんなこと絶対にない。」

「公ちゃん…公ちゃん…。」

その時だった。明らかに公一郎を呼ぶ声がする。驚いて振り向くと、そこには検体第一号がじっと公一郎を見つめたまま座っていた。

「じゃーちゃー…ああーちゃー。」

そうか、この声が公一郎に幻覚のようなものを聞かせたのだ。しかし公一郎はもう耐え難いところまで来ていた。

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