最期の夏ー2

 だめだ、このままでは広樹があの言葉を言ってしまう。公一郎は逃げようもない場面に落胆していた。

「時雨はな…。」

広樹はやはり顔を合わせようとしないが、声は震えていた。

「もう…。」

やめるんだ!それ以上聞きたくない。

「もう…時雨には会えなくなったんだよ…。」

もう何度となくこの場面を思い起こしてきたが、何度聞いても慣れるわけがない。一気に自分の身体が崩れていく感覚が伝わってくるが、あの時はじっと立っていた。一瞬にして頭が真っ白になり、その言葉の意味を都合の良いように捻じ曲げようと努力した。その結果なのか公一郎はその場に合わないはずなのに笑った。

「おい…なんだよ。なんだなんだ?いきなり地元にでも帰っちまったって言うのかよ。何だそれ、俺達も連れてけってんだ、なあ広樹。」

そんなわけない。ばかなことを言っているのは公一郎本人がよく分かっていた。しかし心が拒絶反応を起こしていたのだ。

 次の瞬間だった。空間中に大きな音が響いたのだ。公一郎はぎこちない笑いを浮かべたまま広樹の足元を見る。広樹はそこに並べてあった椅子を力の限り蹴飛ばしていたのだ。普段はそんなことなど全くしない広樹の姿に、公一郎は自分の不謹慎さを恥じた。

「お前…昔っからそうだよな。人が真剣な時に茶々入れたり、真面目に話を聞こうとしなかったりよ!」

今度は公一郎が黙って広樹から目線を逸らした。

「だったらお前にも分かるように教えてやるよ!」

逆に広樹は公一郎を真っ赤に腫らした目で見てくる。

「時雨は死んだんだよ!」

あの時はここで騒ぎを聞いた看護士が注意をしに来たのだったがよく覚えていない。

 気が付けば公一郎と広樹は霊安室の前に居た。どちらもその扉を開ける勇気がない。開けてしまえば現実と直面してしまう。しかし何かを決心して先に扉を開けたのは広樹だった。広樹は足早に中へ入って行く。公一郎もそれに続いて慌てて部屋に入る。部屋の中には線香の匂いが充満していて一瞬むせ返りそうになる。真ん中には恐らく時雨がいるのであろう台が置いてある。そしてその脇のパイプ椅子に、公一郎とは別の人影を捉えた。その人物は両手で顔を覆って俯き、泣いているようだった。公一郎はその人物の脇に立ち、台の上を見つめた。そこで座っていた人物はようやくそれに気が付いたのか顔を上げ、公一郎と広樹の顔をゆっくりと確認する。もちろん公一郎にはそれが誰なのかも分かっていた。

「ごめんなさい…私のせいで…。」

由里子は二人そう告げた。

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