再会

最期の夏-1

 ある夏の日、あれだけ蝉が活発に鳴いているということは午前だったに違いない。秋本公一郎は必死で自転車を漕いでいた。世の中は丁度お盆休みに入る頃だったと思う。真夏とはいえ午前中の澄んだ空気の中を自転車で漕いで行くのは気持ちがいいはずだ。しかし今の公一郎にはそんな心地よい風など感じている余裕はなく、とにかくある場所を目指して必死でペダルを漕いでいる。とりあえず着てきたシャツも色が変わるほど汗でびっしょり濡れてしまい、目に汗が入ってきてしみる。いつもならだるく感じる上り坂も今は感じている余裕がない。坂道を登ると信号があるが、そこで引っかかってしまう。信号がとても長く感じる。ほんの数分なのだろうが、公一郎には何時間もそこで待っているように感じた。

やがて目的地に着くと、駐輪場へ自転車を止め、鍵を閉める心の余裕もなく無造作に停めると、ようやくそこで思い出す。

「行きたくない。これ以上先に進みたくない。」

そこで起こる出来事はすでに知っている。しかし身体は勝手に動き、建物の入口へと近づいて行く。

「やめてくれ…これ以上先に進まないでくれ。分かってるんだろう?これから何が起こるのか。分かっててどうしてそこへ行こうとするんだ。どうせ変えられないんだろう?ならわざわざそこへ行く必要ないじゃないか。なぁ、どうして行くんだよ。やめろよ。」

その思いとは裏腹に公一郎は自動ドアの前へ行く。すると自動ドアは公一郎を歓迎するようにゆっくりと左右にスライドしていく。ここで起こることも分かっている。風除室の次の自動ドアまで行くと、そこでマスクをした中年くらいの女性とぶつかりそうになる。

「すいません。」

公一郎は女性に謝る。

 あの瞬間はもう目の前まで来ている。自動ドアを抜けるとひんやりとした室内の空気が公一郎を迎え入れてくれる。目の前には大きな案内板があり、そこを右方向へ行くと紫色の椅子がずらりと並んでいる。その奥には大きなテレビがあり、テレビでは甲子園の中継をやっていてそのテレビの前の椅子に公一郎は広樹の姿を捉える。

「やめろ、広樹に近づくな!」

しかし公一郎は広樹の方へ一直線に走って行く。それに気付いたのか広樹も公一郎の姿を捉えると、目を細めて公一郎を見ている。

「おい…ここ大学じゃないんだぞ…走るなよ。」

広樹はいつもの会話をするように公一郎を咎めるが、その表情は明らかに絶望に満ちている。

「時雨は…時雨は!!」

公一郎はそう叫ぶ。

「だから落ち付けって!ここ病院なんだぞ!」

広樹は次に苛立ちを見せ、声を殺して怒鳴る。

「時雨は…どうなったんだよ!」

公一郎も声を殺して広樹に食って掛かるように言う。

「ダメだ。それを聞いてはいけない。それを聞けばあの言葉を聞かなければならないではないか。」

公一郎には恐怖しかなかった。この後広樹が言う言葉は分かっている。しかしその言葉はもう二度と聞きたくない言葉なのだ。なのに、公一郎は再びその答えを求めようとしている。公一郎にもこれは仕方のないことだと分かっていた。これは公一郎自身の記憶なのだから。

「時雨は…時雨は…。」

広樹はその次に言わなければならない言葉を何とか言わないでいい方法は無いものかと考えるように言葉を詰まらせた。しかしその後に続く言葉は一つしかないのだ。いくら大学でどんな困難な研究の答えを見つけだした優等生でも、その事実を曲げられる言葉は見つからない。

「時雨はな…。」

広樹は公一郎から顔を逸らしているが、幼馴染の公一郎には広樹が泣いていることくらいは分かっていた。そしてそれがもちろんその答えを見つけ出せなかったからではなく、曲げられない答えの事実に泣いているのだと理解しているのだ。

「聞きたくない…その次の言葉を聞きたくない!やめてくれ!!」

その時だった、これは建物のアナウンスから流れているのだろうか、軽快な音楽が耳に飛び込んでくる。そんな記憶、公一郎には無かった。

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