羽化ー2
周りを機械やモニターに囲まれ、無菌に保たれたこの無機質な空間で広樹はあの頃のようにじっと目の前の彼女を見つめていた。あの時食い入るように見た羽化の瞬間。命の始まりの瞬間だ。あの時広樹はそれまでに無いほどワクワクしていた。恐らくどんなテレビゲームをクリアする時よりも、どんなに高価なプレゼントを貰う時よりも、あの時に勝るワクワク感は無かった。そう、これまでは。しかし今は目の前で始まる命の瞬間に、あの時以上のワクワクを感じていた。どのくらいの時間が過ぎたのだろうか、興奮が冷めないせいか全く眠くもならない。遂にこの時がやってきたのだというはやる気持ちを抑え、じっとじっと広樹は待っていた。
その時だった。目の前の保育器の中に居る彼女の口元がほんの少しだけ動いたのだ。そうだった、あの時初めに羽化の瞬間を捉えたのも広樹だった。やがて彼女の目がピクリと動いたかと思うと、ゆっくりと瞼を上げ始めたのだ。この時、広樹はあまりの感動に身体の奥底から何かが雪崩れて来るのが分かった。
彼女は目を開けると初めは眩しそうにどこか一点を見つめていた。やがてゆっくりと眼球を動かし、周囲の様子を探っているようだった。その中に広樹の姿を捉え、彼女は広樹のことをじっと見つめた。広樹は自分が泣いていることに気が付いた。これはあの時と同じように命の誕生の瞬間に立ち会えたからというだけのものではないことは広樹にも分かっていた。もう会うことが出来ないと思っていた大切な人に再び会うことが出来たという感動が大きかったのだ。広樹は保育器の蓋をゆっくりと横へスライドさせ、彼女をじっと見つめ続けた。彼女はじっと不思議そうな表情で広樹を見つめたままだ。広樹のことを恐れることもなければ、愛情を持っているというわけでもなさそうだ。だが広樹にとってはそれで十分だった。
「おかえり、時雨…。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます