兄と妹

 辺り一面に田んぼが広がる、田舎では当たり前の風景。

 しかし、そんな風景の中にある異物感。

 九鬼きゅう子の住む洋館、九鬼邸が、景色の調和を乱していた。

 館の前を通る田んぼ道に、これまた似つかわしくない黒塗りの外国車が停まっており、助手席の扉の前に立つどこか不気味な使用人が、これまた不気味な視線を玄関の扉に向け、微動だにする事なく見つめている。

 この館近辺に住む住人には、お化け屋敷などと兪やされる事もあるが、あながち間違ってはいない。

 九鬼邸に暮らす住人の中に誰一人として、人間など、いないのだから――



 不動で佇んでいた使用人が腕時計に目をやる。

 九時三十分……。

 水路を流れる水の音……。

 館の周囲を囲むように張り巡らした結界や魔術防壁。

 それをすり抜けるように、館の中から伝わる大気の振動。

 もうかれこれ二時間弱と言ったところか? 振動はさらに激しさを増す。

 外で主人たちを待つ使用人には、館の内部で何が行われているのかは想像がついているのだが、使用人は動かない。

 理由は只々、死にたくない。最もで十分な理由であった。


 廃墟と化したエントランスホールに、血だらけになりながらも、怒り狂ったように暴れまわる、少女の形をしたナニカ。

 そのナニカを捕らえようと、館の使用人数名が周囲から飛びかかるが、ナニカが薙ぐように振るった腕から生じた衝撃波に吹き飛ばされる。


「く……蔵人様……我々ではもう、これ以上……。」


 上半身だけになった使用人が、主、九鬼蔵人にすがるよに懇願する。

 ナニカの周囲には、使用人たちの身体の一部だったものが散らばっていた。


「今回ばかりは妹の甘さに助けられたか……下がって傷を癒せ……すまなかったな、俺もまだまだ甘いようだ。」


 使用人だったモノたちが、風化するように消えていく。


「動けるようになったモノから、結界、防壁の強化に回れ。邪魔が入られても困るのでな。」


 館内に一陣の風が吹き、廊下の奥に吸い込まれるように消える。

 それを見届けると、蔵人は階下の化け物を冷めた目で見降ろした。


「……いい加減にしろ、愚か者! 余計な手間をかけさせおって……。」


 呼吸を荒げ、ナニカ、九鬼きゅう子は仇敵を睨む。


「……フー! ……フー! 」

「何も、学校に行くなとは言っていない……むしろ人の世について学ぶ良い機会だと思っている。なにより、長きに亘って屋敷に閉じ込めておくような暮らしをさせた、罪滅ぼしにもなればと……。」


 兄は今まで語ることのなかった胸の内も交えて妹に語り掛ける。しかし……。


「だが、金輪際、誰にもかかわるな……そう言っているだけだ……! 」


 たとえ兄妹でも、相いれない思考。

 きゅう子は叫ぶ。


「絶対にイヤだ! きゅう子は今の学校が好き! この国が好き! 友達が大好き! だから転校なんてしない! 外国にだって行かない! きゅう子は一人ででもここにいる! もう邪魔しないで! 」


 この言葉を聞いて、蔵人は眉間を指で押さえると、その後、心底呆れたとでも言うように天井を仰いだ。

 今まで妹のために全てを捧げてきたつもりだった。

 しかし、結果はこのザマ……。

 蔵人の中で張りつめていたものが緩んでいく。


「……わかった……もう良い……俺が間違っていた……。」

「っ!? に、兄さん! 」


 きゅう子の目に宿る、わずかなわずかな希望の光。

 そのわずかな光は、もう兄には映らない。


「首だけにしてから連れていく……! 覚悟はいいか? 妹よ……! 」


 希望の光は摘み取られる。

 その瞬間、吹き飛ばされ、壁を突き破り、庭に放り出された。

 昨夜の比ではない衝撃が、きゅう子の全身に広がる。

 しかし、きゅう子は何事もなかったように地面に着地すると、悪鬼のような形相で壁に空いた大穴の奥に向かって吠える。


「覚悟するノは……覚悟スルのハ……! オマエダ九鬼蔵人ッ! 」


 禍々しい存在感を放ち現れる兄、九鬼蔵人。

 だが、きゅう子はそれ以上に禍々しく、粘性のある赤黒い影のような何かが身体を覆い、異形へと変わっていく。

 そして、お互いが飛びかかろうとしたその時。

 遠方から飛来した何かが、兄妹の激突を妨げた。

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