夢の話

夢は、大抵目が覚めて少しすると忘れてしまうものだ。

けれど、中には暫く経っても頭から離れない、酷く印象深い夢もある。

一つ目は、誰しも一度は見るのではないかというありふれたストーリーの夢。

例えば、朝起きて、いつも通りの手順で仕度をして、家を出たはずなのにふと目を開けたらまだベッドの中だったという夢とか。或いは、二度寝してしまった時の遅刻をする夢や、トイレに行きたい時のトイレに行く夢。この辺りは、多くの人が一度は見たことがあると思う。

二つ目は、繰り返し見る夢。

私にもある。私は高校時代、演劇部で役者をしていた頃から、幕開け直前の夢を見ていた。舞台本番の直前を夢見る時ーーこれがどんな意味を持っているのか本当に気になるのだけれどーー何故かいつもシチュエーションは共通していて、私はやたらと焦っている。何故なら、どうしてだか決まって、自分が演じる役の台詞をすべて記憶できていないからだ。

これは焦る。台詞を覚えずして、どうして役を演じられるのか。

台詞が不完全では、物語が成り立たない。焦った私は舞台袖で台本を覚えようと必死になっている。

印象深いのはここまでで、そこから先の展開を覚えていることはない。

ただ、高校を卒業して10年以上経っても、まだ時々この夢を見る。

夢を見る時のトリガーはまだ見つかっていない。

そして三つ目は、視覚以外の五感が伴う夢だ。

多く、夢は視覚的な映像で物語を展開していく。

ただ時折、視覚以外の感覚に訴えかけてくることがある。

この間は日本酒を飲み比べる夢を見た。私は普段、好んでお酒を飲まないし、強くもないので日本酒などに手を出すことはあまりしない。なので、夢の中でぐいぐいと杯を空けられるのがとても新鮮だった。

日本酒は甘くて香り高いものと、やけに辛いものがあった。飲み比べた私は、一番最初の甘い日本酒をひどく気に入っていた。

起きた後で、あの日本酒が現実で買えたならいいのにとがっかりした。

そもそも夢のメカニズムはまだ完璧には解明されていないが、脳内で電気ノイズが発生している点は確認されているらしい。

味覚以外でも、夢の中で音楽を聴くこともある。

懐かしい匂いを嗅ぐこともある。

これらすべてが電気ノイズにより作り出された記憶の追想、或いは偶然の結びつきで創造された仮想体験だと考えると、感覚とはそもそも何者なんだろう、と思う。自分の身体を常に駆け巡っている微弱な電気信号は、一体自分の何を刺激し、どう結びついて、現実感を生み出しているんだろう。

考え出すときりがなく、ただ普段無意識に自分の感覚はパーソナルで不可侵だと思い込んでいることが、とても浅慮に思えて空恐ろしくなってくる。

夢を見ている時、現実ではまず起こり得ない展開の中でさえ、きちんと精神は活動していて、感情が動いていて、思考が巡っている。

例えば見知らぬ泥地の村に訪れた私は、足を汚す泥濘の不快さに吐き気がしていた。

その後で見つけた、水晶みたいに輝く湖の中で、天高く潮を噴き上げる鯨を見つけた時は、そのあまりの美しさに目を奪われた。

真珠の光沢に似た水面の色や、黒く艶やかな鯨の背中のゆるい曲線は、現実では勿論、映画や絵画の中でも見た記憶がなかった。

目が覚めた後も、湖の情景を何度も繰り返し思い浮かべた。

書いている今も思い出している。

誰とも共有し得ない世界が夢の中にはある。

実は毎夜それらに少しずつ影響されているとしたら、やっぱり人間は基本的に孤立した生き物なんじゃないかと思う。

アンコールワットの荘厳な美しさならカンボジアに行けば誰もが分け隔てなく共有できるけど、私があの夜見た湖と鯨の情景は私の頭の中にしかない。

印象深い夢の四つ目は、自分の頭の中にしか存在していない世界の情景。

同じく他人の頭の中にも目を奪われるような世界があると思うと、何やら歯がゆい。

私は生涯、それを体験することはできないのだ。

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