誰かの話

亜月

彼女の話

「自分のせいだというのは思い上がりだわ」

食後のショートケーキを突きながら、彼女は言った。僕は何を言い出すのかと怪訝に思いながらコーヒーを啜る。「なに、急に」

「職場の後輩がね、言うのよ。上司にこっぴどく怒られてさ、凹んでいたから私が励ましの声をかけたら、仕方ないです自分のせいなので、って。この世の終わりみたいな顔で」

銀色のフォークを指で弄びながら、彼女は至極つまらなそうな顔をする。後輩とは、今年入ってきたばかりの青年のことだろう。話を聞く限り、真面目で大人しい青年のようだ。彼女から見れば弟のような年齢で、そんな青年が一人孤独に気を塞いでいたら、さぞ母性本能が刺激されることだろう。

「妬いてる?」

勝ち誇ったようなにやけ顏に僕は強がってみせる。「まさか」

彼女はピンクベージュの唇を尖らせ、最後に食べるらしい、一番大きな苺を皿の脇に避けた。

「別にいいじゃないか。他人のせいにする奴より、よっぽど成長を期待できる」

「あら、これくらいじゃ人の成長性は測れないと思うけれど。わかるのはせいぜい、こいつは人から良い子に見られたいんだなってことくらいじゃない?」

「捻くれ者」

「褒め言葉をありがとう」

この人は、清々しいほど憎たらしい人だ。

「で、君は自分のせいだと落ち込む彼にどんな優しい言葉をかけてやったのさ」

知らない青年の話を面白くないと思いながらも、小さい男と思われないためだけに話の先を促す。目の前のケーキがなくなるまでの時間をなんとか先延ばしせんとばかりにちまちま食べている彼女は、悪びれもせずに答える。

「あなたは傲慢ねって言ったわ」

「涙が出るほど慈愛に満ちた励ましだな。で、彼はどんな反応だった?」

「間抜けな顔で、すみませんって言ってた」

会ったことはないが、想像できる。哀れな彼は、泣きっ面に蜂と鳩に豆鉄砲を足して二で割ったような顔をしていたに違いない。同情を禁じえない。

「じゃあ聞くけれど、叱られて自分のせいだと反省する彼の、一体どこが思い上がっているっていうんだ?」

「全部よ全部よ。悪いことの原因は自分にある、の一言で何かを語った気になってる怠慢とか。腹の底では自分だけが悪いんじゃないと思ってる癖に、耳障りの良い言葉で受け流せばいいと信じ込んでる安直さとか。それで周りをコントロールしてるつもりなのよ、絶対。叱られて落ち込んでるけど健気に強がる良い子な自分を演出してるつもりなの」

彼女は知った風な口で、堂々と熱弁を振るう。長い睫毛の下で瞳が爛々としている。捻くれ者のこの人は、自分の偏見を隠すことなく溢れさせた他人分析を語る時が一番輝いているように思う。その分析は、恰も彼女の経験と知恵と観察の集大成であるかのように壮大だ。

残念なことに、僕がどんなに趣向を凝らしたロマンチックなデートをプレゼントしたとしても、今の半分も彼女の目を輝かせることはできないだろう。

「君は彼に何かを恨みでもあるのか」

「あるわけないわ。可愛い後輩よ」

僕なら君のような先輩は御免被りたいよ。そんなことは口に出せるわけもなく。

「入社して数ヶ月だろう。新しい環境に戸惑っている最中で、自信もなくて、君とだって旧知の仲ってわけでもないーーそれで本音なんて言えるわけがない。違うか?」

「正論ね」

「だったら」

彼女は僕の言葉を遮るために大袈裟にふんと鼻を鳴らし。「あなたはいつだってマニュアル本から引用してきたようなことばかり言うわよね」

そう悪意的なことを言われては、さすがの僕も遺憾の意を表明せざるを得ない。

「悪かったな」

「悪いとは言ってないわよ」付き合ってこの方、彼女の申し訳なさそうな顔は一度だって見たこともない。「バランスよ、バランス」

最後の苺を口に放り込み、味わい咀嚼して、ごくり。

「あなたはバランスの人だもの。私が黒といえば白というし、北に行くといえば南に行くというし、あいつを殺してやるといえば生かしておくことのメリットについて滔々と語るんでしょ」

「なんだそれは」

彼女は答えない。空になった皿を見つめ、ほうと切ない溜息をもらしたりしている。

僕は居心地が悪いような良いような、複雑な気分になった。

「つまり、あれだ。君は一応、自分がとんでもなく偏った意見を言っているという自覚があるわけだね」

「ねぇ、なんで美味しいものってこんなあっという間に消えて無くなってしまうものなのかしら」

「知らないよ、アインシュタインにでも聞け」

子供じみた拗ね顏はいまや見飽きている。はぁいと些か幼すぎる返事をして、彼女はごちそうさまでしたと手を合わせた。

最近、彼女がとんでも理論を語るのは、僕にエネルギーを浪費させる、それだけのためなんじゃないかとよく思う。

気付けばすっかり夜も更けている。

ふと思いついて僕は彼女に聞いた。

「ーーもし君が、ミスをして上司に叱られて落ち込んでいる時、先輩から励まされたら何て言うの」

「ん? そりゃあーー」

彼女は小首を傾げ、さも当然そうな顔で答える。

「仕方ないです自分のせいなので、って言うわ」

だって良い子に見られたいでしょ、と。

僕はそうだねと頷き、それからなんとなく、天井を仰いだ。

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