第三十三話 天賦の才

 駅構内で就寝していた乗客達は日の出とともに起こされた。といっても本日は生憎の曇天模様。薄暗がりのなか眠気眼をこすりながら列車へと乗り込んだ。


「おい、いつになったら出発するんだ」

「わからないけど。なんか駅周辺がざわついているね」

「こんな夜明けに何だっているんだろ」

「ん、誰か入ってきたな」


 警備隊とセイビーが客車に乗り込んで来た。警備隊の人が僕らを一人一人確認していく。どうやら街で殺人事件があったようだ。列車内に不審人物が紛れ込んでいないかのチェックだった。


「おいおい、どこも物騒だな」


 予定よりも遅れたが何とか州都に向けて出立できた。

 二時間ほどすると白銀の景色はすっかり消え失せた。薄茶色に枯れた草原の中を列車は突き進む。途中、廃墟と化した大きな街を通過した。

 崩れかけの灰色の高層ビルが建ち並ぶ。ハチの巣のように穴だらけの建物が印象的だった。 地面のアスファルトはボロボロ。ひび割れからは植物が生い茂る。街の地表面は既に草木や灌木で覆われていた。


「ほんとに数十年まで百万人以上の市民が生活していたのか」

「植物って逞しいね。でもさすがに異常な速さに思える」

「猿の楽園みたい」


 そう、かつての人間の都市。それが今や動物たちの街へと変わっていた。

 その後も大小異なるが廃墟の街が絶えまなく続く。秀人によるともうすぐ州都に着くとのことだった。

 州都まであと二十分という所で車内に僅かな異臭を感じた。


「おい、なんか煙くないか?」


 発生源を確かめようと窓際へ移動するために腰を浮かした。ちょうどそのタイミングで軍用列車が勢い良くブレーキをかけた。踏ん張りの効かない体勢だ。前につんのめり向かいの椅子へと頭からダイブする。

 運悪く僕の向かいの席には秀人が座っていた。結果として秀人の腹に勢いよく頭突きをかましてしまった。


「だ、大丈夫か、ヒデ!」


 頭を押さえつつ僕は秀人に声をかける。秀人は列車の椅子に横たわり腹を抱えて悶絶していた。相当痛そうだな。介抱しないと。そう思っていると前方車両と繋がる扉が乱暴に引き開けられた。


「急いで外に出て! シェイド、襲ってきた!」

 

 セイジ専用車両から飛び込んできたのはエリカだった。彼女は今日も朝から徹のところに押し掛けていたのだ。エリカがこんなに大声で叫ぶのは余程の緊急事態だ。

 急いで逃げないと。僕は秀人の肩を慌てて担ぎ、立ち上がった。あれ、床が傾いた気がする。立ち眩みではなく現実だった。列車の傾きが次第に大きくなっていく。乗客の子供たちが悲鳴をあげながら椅子にしがみつく。ある角度を超えたところでその勢いは加速し、激しい音を立てて客車が横転した。


「うおっ、い、痛っ!」


 体の左半身を窓に強かに打ち痛みに呻く。窓の外に地面が見えた。くそ、どうなっているんだ。秀人は再び体を強打したようだ。痛みに呻きながら床を転がっている。

 状況がまったくわからない。とにかく立ち上がろうとしたとき、頭上から悲鳴が聞こえた。聞き覚えのある声だった。凜花が上から落ちてきた。


「うわぁぁあ」

「きゃぁああ」


 凜花を胸に抱きとめる格好で押し潰された。


「ご、ごめん。翔、怪我ない?」


 目の前に凜花の顔があった。彼女の顔はうっすらと赤く染まっていた。彼女こそ自分にぶつかった衝撃でどこかを痛めたのかもしれない。


「凜花こそ大丈夫か? 顔が赤いぞ。そうだ、エリカは!」

「わたしは、ここ」


 頭上から何やら不機嫌そうな声が響く。エリカは車両乗車口の脇についていた手すりに、ぶら下がっていた。右手一本で体を支えるのはやはり辛いのか、その目は険しかった。


 エリカが乗車口へと左手を伸ばす。宙ぶらりんのまま片手でなんとか乗車口を開けようとしていた。なんて無謀な。しかし、エリカの手が届くよりも早く、乗車口が外から開かれた。


「みんな大丈夫か! おい、エリカ。お前はそこで何をしてるんだ?」

「あっ! 徹さん。これは、どうなっているの!」

「細かいことは後だ! 今から縄梯子を下ろすから、それを伝って外に出るんだ!」


 エリカは体を振り子のように揺らし、その勢いで乗車口から外へと飛び出た。


「ここは大丈夫。隣の車両をお願い」

「お、おう。お前、相変わらず凄い身体能力だな」


 徹さんはエリカに縄梯子を渡す。縄の片端を車両外の取っ手に縛りつけると逆側の端を掴む。そして僕に向かって勢いよく投げつけた。


「おい! 危ないだろ! こんな時に何やっているんだよ!」

「その言葉、そのまま、そっくり、翔に返す」


「あんたたち馬鹿なの! こんなときになに痴話喧嘩をしているのよ。早く皆を避難させるわよ!」

「俺はかんけーねーだろ」


 僕の文句を無視して凜花はてきぱきと周囲の子供達に指示する。幼い子から順に外へと避難させていった。全員が外に出たのを確認して僕も縄梯子を登った。車両の外へ這い出し立ち上がった。


 七両の車両全てが横倒しになっていた。電車の上で子供たちがしきりに咳き込んでいた。周囲を見渡し、その原因に気づいて唖然とした。


「おいおい、何でこんなことになってるんだよ」 


 左前方に広がる森が勢いよく燃えていた。その煙が列車付近にまで流れて来ているのだ。


「山火事なのか」


 咄嗟に呟いた言葉を秀人が冷静に正す。


「違う。あれはただの山火事なんかじゃないよ。白煙じゃなく真っ黒な煙だからね。あれは人為的だよ。おそらく石油だね」

「だれが、そんな馬鹿げたことを――」

「ちょっとそれどころじゃないわよ! あれ見なさいよ!」


 僕の言葉を遮って凜花が車両の周りを順に指していく。列車の前方、左手、そして後方。その全てから漆黒の巨大な獣が襲いかかっていた。そして、セイビー隊がそれを食い止めようと戦っていた。


「ま、まじか……。巨大なヒグマ型のシェイドが六体も。見た目の凶悪さはこれまでで一番だな。そもそもヒグマと言えば普通は雪国限定じゃないのかよ」


「体長、約九メートル。牙と爪が緑色。足は二本だけど手は四本と一部変異している。瞳の色は獰猛な赤。進行ステージは――」

「Ⅳか。危険レベルはレッドツーってところか」


 僕の見立てに秀人が黙って頷く。どうやら当たっていたようだ。車内で読み耽っていたシェイドの説明本。付け焼刃の知識も馬鹿にならないな。

 冷静に分析する僕らに凜花が割り込んできた。


「だから何を呑気に話してるのよ! そんなことより急いで電車から降りないと。この状態で更に倒されたら大変よ」

「確かに、皆で電車の下敷きだな」

「わかったら早く縄梯子を電車の外に下ろして!」


 縄梯子を伝って地面へと降り立ったセイジの子供達。しかし、その後はどうしていいのかわからず恐怖で蹲ってしまう。そんな子供達の背を押すように頭上から声が響く。


「向こうの森の中に逃げ込め! あそこならシェイドが近づいて来れないはずだ」


 列車の上空に徹さんが浮かんでいた。彼が指さす方向、列車から数百メートルほど先に大きな森が見える。線路を挟んだ逆側の森と違って火災も起きていないようだ。たしかにあそこなら逃げるにはいい場所だな。木が密集しているから体の大きなシェイドでは行動が制限されそうだ。

 それをきっかけにセイジの子供が森へと一斉に駆け出した。隣の一般乗客の車両からも人が次々と降り立っていた。皆が、その森を目指して必死に走る。


「そういえば爺ちゃんは!」


 森へ駆け出そうとした望夢が、大事な事を思い出して立ち止まる。


「わからない! でも一般車両から最後に出て来た人に聞いたわ。そしたら全員すでに外に避難したって。たぶん先に森へと向かったのよ。だから心配ないわ!」


 凛花が望夢の背中を押して早く逃げるように諭す。


「わかった。じゃあ急がないとね!」

 

 望夢はそう言うと凛花を胸に抱き抱える。所謂、お姫様だっこだ。


「だからそれは止めて!」


 凛花の怒鳴りもどこ吹く風で望夢は全力疾走で森を目指した。凛花は片目を失ってから、さほど時が経っていなかった。未だ平行感覚を完全に掴めていないため全力で走れない。それを知っているが故の望夢の行為なのだ。


 最後に縄梯子を降りた僕は周囲を見渡す。どうやらみんなここからは避難したようだな。僕も急がないとやばいな。皆の後を追って森へと走る。

 途中、幼子が地面に蹲って泣きじゃくっていた。瞳は黒いな。親と逸れてしまったのか。一般乗客の子供のようだ。後方ではヒグマの咆哮が空気を震わせていた。頭が危険だと警鐘を鳴らしている。自分の命が最優先だろ。その子に構っている時間的余裕などない。いますぐ森まで全力で走って逃げないと。そんな考えが頭を掠めた。


「おい大丈夫か! 転んだのか? ほら、兄ちゃんの肩に掴まれ」


 気づいた時には子供の前に背中を向けて屈み込んでいた。幼児を背負って必死に走る。背中で再び大きな咆哮が上がる。走りながらも恐る恐る後ろを振り返った。


 列車の前方では巨大なヒグマが地面に転がっていた。頭と胴が離れた状態だ。良かった撃退に成功したようだ。僕は少し安堵した。次に列車の後方へと目を向けた。

 両手を二本を失ったヒグマ。腕の根元から勢いよく緑の血を噴き出す。口からは何かが二本生えていた。人間の足だった。ヒグマの口が上下に動く。その度に血が滴り地面を赤く染まる。あまりのグロテクスさに胃液が喉をつき、危うく立ち止まりそうになった。


「なんだよ。あいつ」


 咀嚼するヒグマの視線が気になった。乗客たちが逃げ込んだ森を見ていた。その瞳が笑っているような気がして背筋に嫌な汗が流れた。

 突然、前方から複数の絶叫があがった。はっとして前を向く。どうやら森の中からだ。思わず立ち止まって目を凝らす。なんだあれは。森の中を複数の影が横切っていた。二メートルほどの大きさだ。それらが森に逃げ込んだ人々に牙を剥いて襲いかかっていた。


「うわぁぁああ」

「おい、見るな。お兄ちゃんの背中で目を瞑ってろ」


 衝撃的なシーンに、背中の子供が泣き叫ぶ。


「なんてこった。奴らにそんな知能があったのか」


 森で待ち受けていたのは子熊のシェイドの群れだ。気づかないうちに親熊に誘導されていた。子熊に効率的に餌を与えるために、あえて逃げ場所として森が残されていたに違いない。

 ふと故郷の街の出来事を思い出す。あの時のイソギンチャクも同じだったじゃないか。なぜそれに気づけなかったのか。僕は今更ながらに後悔した。

 森の中から次々と断末魔の悲鳴が上がる。どうする。どうすればいい。このままでは、さほど時を待たずして僕ら乗客達は全滅だ。幼子を背負ったまま、僕は森の前で呆然と立ち尽くした。


 前方の森から影が一つ飛び出した。森の外にいる僕という獲物に気づいたのだ。牙を剥き、四本足で突進して来た。逃げないと! か、体が動かない。

 恐怖で身動きできない僕の眼前まで来ると、急に停止した。ゆっくりと二本足で立ち上がる。そして右腕を振り上げた。親の真似で獲物を仕留めようとしているようだ。子熊といってもシェイドだ。その体長は二メートルを優に超し、十分に凶悪だった。振り上げた指の先端で長く鋭い漆黒の爪が光る。もうだめだ。僕は恐怖で目を瞑り体を硬直させた。


 なかなか衝撃が襲ってこなかった。どうしたんだ。僕は恐る恐る目を開けた。緑の体液が噴き出していた。頭を失った首だけの子熊がゆっくりと後方に崩れ落ちた。


「良かった。間に合った。翔、あとは私に、任せて」

「え!? お、おまえ、何で――」


 驚きでまともに声が出せなかった。目の前にエリカがいた。宙に浮いていた。漆黒のスカイムーブを装着していたのだ。そんな僕を見てエリカがクスリと笑った。そして、すぐに高度を上げる。


「お、おい!」


 止める間もなかった。すぐに森から飛び出してきた他のシェイドの方へと飛んで行った。シェイドの上空付近に達すると一気に降下する。子熊と交錯する瞬間、エリカの手から赤い光が迸る。子熊の頭と胴が一瞬で切り離された。空を滑るように駆け抜けるエリカの右手には漆黒のブラッドが握られていた。


「し、信じられない。スカイムーブを乗りこなすには訓練校での厳しい実技訓練が必須なんだよ」

「お前、いつのまに」

「身体能力の高いセイジP型でも最低二年はかかるはずなのに。エリカちゃんはなぜ――」

 隣に秀人が立っていた。息を弾ませながら眼鏡のブリッジに手を添えている。エリカの勇姿が信じられないようで目を見開いていた。




「エリカだったか。お前は自分が何を言っているのか理解しているのか。冗談は他所でやってくれ」


 時は昨日の午後に遡る。エリカが俺の下を訪れてある懇願をしてきた。その時の第一声がそれだ。それは俺に限った話ではない。セイビーの隊員であれば誰しもが似たような反応をするはずだ。


「冗談じゃない。それの乗り方、教えて」


 エリカが指さしたのは特殊飛行隊専用車両の中央の壁。そこには予備のスカイムーブが吊るされていた。


「無理に決まっているだろ。これは乗りたいからといって、ほいほいと気軽に乗れる代物じゃない」

「どうすればいいの」


「まずは特殊訓練校の予備実習でシビアな平行感覚を磨かなければならない。その試験に合格した後、約二年の実技訓練が必要だ。卒業試験をクリアして、やっとまともに飛ぶことができる。それだって乗りこなせるわけじゃない。入隊後も厳しい訓練が必要なんだ。そう易々と触れていいものじゃない」


「できるか、できないかじゃない。私は、それを、やらなければ、ならない」

「いくら翔の友人だからって、あんま舐めた口を利くなよ」


 物分かりの悪い嬢ちゃんだ。さすがの俺も口調が荒くなる。しかし、彼女はそれにも尻込みせず俺を睨んできやがった。


「中隊長、いいじゃないですか。やらせてみれば、すぐにわかりますよ」


 副長が横から口を挟んできた。おそらく少し痛い目をみないと彼女も収まらないと考えたのだろう。


「馬鹿いえ! 怪我でもしたらどうするんだ。ここは訓練校のような特殊設備があるわけじゃないんだぞ。墜落したらそれだけでも骨折は免れん」

「だから、ちょっとだけですよ。暴走しても大丈夫なように我々が周囲を囲みますよ」


 面白そうな見世物に隊員はみな乗り気であった。


「お前らは完全に楽しんでいるだろ。おい、エリカ。大怪我してもいい覚悟がほんとにあるんだな」


 真剣な表情で嬢ちゃんに問いかけた。強い眼差しで見返して来た。そして黙って頷いた。はあ、どうなっても知らんぞ。俺は額に手をかざして深くため息をつく。


「副長。こいつにスカイムーブの装着の仕方を教えてやれ。他の奴らは何かあってもすぐに飛び出せるように待機しろ」

「はっ」


 俺は一連の基本操作を丁寧に教える。自己責任だと口にはしたが実際に大怪我をさせるわけにはいかない。誰が見てもとびきりの美少女だ。傷でも負わせた日には翔に会わす顔がなかった。そういえば、こいつらどういう関係なんだ。


「いいか少しだけ浮上してみろ。繰り返すがバランスが崩れたと思ったら、すぐに全ての噴射を停止しろ」


 一通りの説明を簡単に終え、エリカから少し離れる。隊員たちが彼女を取り囲むように配置する。不測の事態に備え、いつでも飛び立てる準備をさせた。まあ飛ぶことすらできずに、すぐにこけるだろうがな。

 俺の掛け声とともに嬢ちゃんの両足から勢いよく空気が吹き出す。そして少しずつ空中へと浮かび上がった。


「まさかそんな! ありえない――」


 副長の声は全隊員の気持ちを代弁していた。エリカは二メートルほどの高さで目を瞑って静止していた。体のぶれることのない完全な静止だった。


 スカイムーブにはブーツの踵と底、そして手の甲にノズルがついている。計六つのノズルから噴射する気体を同時に操るのは極めて難しい。どこか一つの噴射が強いだけで体勢が崩れるからだ。それを両手足の微妙なノズル噴射でバランスを保つのだ。曲芸レベルといっても過言ではない。なので空中に浮いて姿勢が維持できるまでに相当な訓練を要す。予備実習修了後、一般的に数か月の猛特訓が必要なのだ。空中での静止ができれば一人前。そう言われるほどだ。


 隊員の皆が呆然としているなか、俺はパチパチと手を叩く。


「ははっ、おもしろい。おもしろいぞ!」


 エリカを見上げる。こんな面白い奴は見たことがない。


「おい、中隊長の目が輝いているぞ」

「あ、ああ。まるで新しい玩具を見つけた子供のようだ」

「やばいな」

「ああ、やばいな」


 なんか周りが煩いな。まあいいか。俺はポキポキと腕を鳴らす。



 そこから地獄のような個別指導が始まった。徹は次から次へとスカイムーブの応用操作についてエリカに叩きこむように教えていく。乾いたスポンジのように吸収していく彼女も、さすがに無傷というわけにはいかなかった。時には体勢を崩してあちこちに体を強打した。

 天賦の才を育てる喜びに嵌ってしまった徹はそんな些細なことは一向に気にしない。エリカに怪我をさせるわけにはいかない。そう気にかけていた徹は既にそこには存在しなかった。周囲の隊員はその鬼軍曹ぶりに震えあがった。しかし誰もそれを止めようとはしない。止めたら最後、自分に不幸が飛び火するのが確実だっただからだ。


 一日目が終わる頃には、体力自慢のエリカでも立っていることがやっとだった。食事さえまともに喉が通らなかった。ただ、猛特訓のかいはあった。

 たったの二日。半日ずつだったので、訓練時間から考えると実質たったの一日だ。この超短期間でスカイムーブの基本動作と武器であるブラッドの使用技術を身に着けたのだ。隊員たちは皆、ありえないと口を開いていた。スカイムーブの操作に限定されるが、それは訓練学校の卒業生の水準にまで達していた。

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