第三十二話 本土上陸

「うわぁあああ!?」


 僕だけじゃない。乗客のほぼ全員が一斉に叫んだ。

 軍用列車が陸から海に向かって落下したのだから。衝撃に身構え体を硬直させる。おかしいな。いつまでたっても窓は水中に沈みこまなかった。そもそも海面に衝突する衝撃にさえ感じなかったぞ。


「嘘だろ……」


 信じられないことに列車は海面を滑るように走っていた。


「い、痛っ!」


 秀人は悲鳴をあげた。僕が頭を殴ったのだ。なぜならただ一人、何食わぬ顔で本を読んでいたからだ。


「お前! これを知っていただろ」

「し、知らなかったの。有名なのに」


「こんなことを普通の子供が知っている訳ないだろ。皆がヒデみたいな知識オタクだと思われても困る」


 頭を押さえて涙目の秀人が他の三人に助けを求める。しかし、みんな僕の言葉に頷いていた。さすがにこの件については誰も秀人の味方をしないようだ。


「そ、そんなぁ……。こ、これは、マグネティックラインだよ。超高密度の磁力ビームと言えばわかるかな」

「わからねーよ」


「海上の中継装置を介して、海峡間を複数本の磁力線で繋いでいるんだよ。磁力線さえあれば陸上の線路と同じだよ。あとは軍用列車側の磁極反転現象で一定の高さで浮上を維持、ジェットエンジンの推進力で進むんだ」


「よくわからん。俺はトンネルにでも潜るのかと思ってたよ」

「ああ、昔はそうだったみたいだけどね」


 シェイド襲来前には、この海峡には長大で有名な海峡トンネルがあったそうだ。その中を高速鉄道が一時間の間に何往復もしていた。

 当時の北部域は本土と比較して酷暑日の日数が明らかに少なかった。冬もほとんど雪が降らなくなっていたらしい。このため北部域へと移住する国民が急増した。

 これに伴い北国の都市と首都とを結ぶ交通システムは、陸空ともに非常に盛んになった。第二海峡トンネルの工事に着工していたほどだ。無人高速シールド覆工マシンによる突貫工事により数年で開通するとされていた。


「そうだったのか。なら何で今はトンネルを使わないんだ?」

「シェイド襲来により状況が一変したんだよ」


 海峡トンネルは崩壊し海底に水没した。制空権もシェイドに奪われ北部域は完全に本土から孤立した。この危機的な状況を救ったのがマグネティクラインだった。これも、セイジI型研究者の発明の賜物だ。


「ほんと海の上に浮かんでいるみたい! わあ! あれ見てよ!」


 三百六十度を青に囲まれた世界。凜花は外の光景にずっと興奮しっぱなしだ。列車に平行するイルカの群れ。海面から空に向かって優雅に跳ねていた。そこかしこで飛び交う海鳥。海岸線とは比べほどにならないほどの数だった。


「この海峡は魚の餌となるプランクトンが多いから、魚介類資源の宝庫なんだよ」

「まさに海に棲む動物たちの楽園だな」


 海上をひた走ること三十分。陸地が見えてきた。


「えー。もう本土に着くわけ」


 凜花はあからさまに残念そうな表情を浮かべていた。海上の水族館鑑賞を、もっと堪能していたかったのだろう。

 僕は違った。本土上陸のその瞬間に心が躍った。どんな新しい世界が待っているのだろうと。でもその期待が裏切られた。辺り一面が銀世界に戻っただけだった。恥ずかしかったので、それを顔には出さなかった。



「おう、翔。一緒に飯食おうぜ」


 振り向くと徹さんが食事のトレーを抱えて立っていた。僕の返事も待たずに向かいの席にどかっと腰を下ろす。急に隣に座られた望夢は驚き窓際に身を寄せていた。


 本土上陸の二時間後、軍用列車はドーム型の要塞に入って停車した。本土最北端の前線基地だった。軍用列車の貨物車両から補給物資が次々と積み下ろされる。その停車時間を利用して乗客に昼食が配給されたのだ。


「うーん。正直がっかりだな。前回のようなご馳走が食べられると期待したんだけどな」


 配膳されたトレーには握り飯が二つと豚汁。そして温かいお茶だけだった。


「は? なに贅沢いってんの。私達が故郷の街から出る時に乗った列車は軍専用だったからもっと酷かったわよ。温かい物を食べれるだけ、ありがたいと思いなさいよ」


 僕らの前回の食事メニューを聞いた凜花が呆れていた。


「徹さん。怪我なかった? 北都は大丈夫だったの?」


「ああ、俺は大丈夫だ……。だが、二人の仲間を失い、一人に怪我を負わせてしまった。あ、北都は無事だぞ。軍専用ネットワークの情報ではシェイド全ての撃退に成功したとのことだ。住民にも多くの犠牲が出てしまったがな」

「山縣さんは無事なの?」


 崩壊していくセントラルタワーが頭を過った。


「ああ、あの爺はそう簡単にはくたばらないさ。スカイムーブで飛び降りたってよ」

「そうか、良かったぁ」 


「ま、お前らが余り心配しても仕方ない。いつ何が起きるかわからない旅だ。食える時にしっかりと食っとけよ」


 徹さんはそう言って握り飯にかぶりつく。豚汁をすすって顔を顰めた。


「味が薄いな」

「ほんとだ。ぜんぜん味がしないよ」


 薄味にしてもほどがあるだろ。


 これには理由があった。最北端の前線基地に十分な物資が供給されていないのだ。人の生命維持を司る貴重な塩も同様だ。このため食事は最低限の量にまで抑えられていたのだ。


 徹さんは瞬く間に食事を胃に詰め込んだ。一息つくと今度は僕の父親、いまや伝説になりつつある撃墜王の武勇伝を身振り手振りで一方的に話しだした。

 僕は身を乗り出してそれを聞く。徹さんのような一流のセイビーにも尊敬される父親が誇らしかった。


「おう、んじゃまたな、翔。俺は州都に三日間ほど滞在する予定だ。向こうで美味い物でもたらふく食わせてやるよ。お前に紹介したい奴もいるしな」

「え?」


 そう言うだけ言って徹さんは去っていった。


「まったく、嵐のような人だな」


 ん? エリカはどうしたんだ。隣の車両へと戻っていく徹さんの背中を強い眼差しで見ていた。


 列車が州都へ向かって再び動き出すと直ぐにエリカが立ち上がった。


「私、ちょっと徹さんのところ、行ってくる」


 そう言い残してエリカは隣の車両へと消えた。凛花が僕らのボックス席に移動してきた。


「ねえねえ、エリカってもしかして、あーいうのがタイプなの? 確かにイケメンだけど、わたしの好みとはちょっと違うわね」

「まー、凜花の場合は徹さんとなんかタイプが被るからな」


「翔。それどういう意味よ。そんな余裕かましていていいのかなー」

「どういう意味だよ」


「乙女の恋は移ろい易いのよ」


 凛花はにやにやと僕を見つめる。話し相手がいなくなって暇なんだな。


「何が言いたいのかよくわからないけど、さすがに歳が離れすぎているだろ。俺ら五歳だぞ。徹さんは見たところ十一、二歳じゃないか」


「ばかね、恋に年齢なんて関係ないわよ。むしろ盛り上がるんじゃない」

「まったく意味がわからん」


「エリカはとびっきりの美少女よ。今から手をつけておけば、あと二、三年もしたら誰もがうらやむ絶世の美人になるってわけ」


 そう言い張る凜花に僕は気のない返事を返す。物心ついたときから一緒なのだ。性格を全て知り尽くしていると言っても過言ではない。それ以上コメントする事を避けた。


 他の男二人は凜花の会話に全くの無反応。当然だろう。僕もそうだが、二人も恋愛のレの字とは、ほど遠い世界の住人だろう。

 僕らの反応が薄くて面白くなかったのか、凛花は鼻を鳴らすと自分の席へと戻っていった。まったく何しに来たんだか。


 

 面白味のない男ね。凛花はつまらないので、リュックの中から北都で買った本を取りだした。が、あまり読む気が起きなかった。本を膝の上に置いたまま外の景色を眺めて時間を潰す。ふと窓ガラスに自分の顔が映った。無意識に眼帯に手を翳す。片目のない私はこれから恋などできるのかしら。こんな姿の私を好きになってくれる男性はいるのかしら。いったい誰が私をこうしたのだ。母親をそこまで追い込んだのは誰だ。

 窓の外を見やる彼女の残された瞳には、いつのまにか怨嗟の念が渦巻いていた。



「なかなか風情があるよな、この店構え。しかも初めて食べるけど案外これ美味いよな」

「ほんとだね。小麦から作られているっぽいけど、うどんとは違うね。スープも透き通った見た目に反して濃厚だし。それが麺と絶妙なバランスで絡まって、ほんと美味しいね」

「癖になりそうな食べ物だよな」

「ここって、ほんとに色々なお店があるよね。お店を選ぶのも一苦労だったね」


 僕らは屋台で麺をすする。軍用列車は日が暮れたところで小さな街に入った。夜間は見通しも悪く危険なためだ。緊急時以外の軍用列車での移動は原則昼間のみと決められているようだ。


 この小さな街の駅前には数多くの屋台が立ち並んでいた。乗客は皆、好きな場所で思い思いの食事をしていた。長時間車内に閉じ込められていたので良い気晴らしにもなっていた。


「望夢たちもここで食べれば良かったのに。絶対当たりだったと思うけどな」

「ここは彼の琴線には触れなかったみたいだからね」


 凜花と望夢は保護者の爺さんと一緒に別の店で食事をしている。望夢の我儘だった。食後に美味しいデザートを出す店という条件。それを決して譲らなかったのだ。


「ところでエリカ。徹さんのところで何をしていたんだ?」

「内緒……」

「ふーん。そっか」


 エリカは少し憔悴したような顔をしていた。人一倍食欲旺盛なはずの彼女が途中で箸を置いたのが気になった。深く追求できなかった。計らずも凜花の言葉が脳裏をよぎったのだ。



 そんな僕たちの隣に数人の客が荒々しく腰を掛けた。横柄な口調で麺を注文する。 どうやら、この街の住人のようだ。この街は都市の管理圏からは外れているようで、住人はビニックを被っていなかった。


「なんなんだ奴は」

「北都から来た成金だろ」

「ふざけんな。金で好き勝手しやがって」

「俺なんてちょうど食べ始めたところだったんだぞ。それをあの野郎」


 彼らはとにかく憤っていた。どうやら、軍用列車に乗っていた一般乗客の一人が原因のようだ。そいつが金にものをいわせて、店一軒、貸し切ったらしい。その時、店内にいた客は問答無用で追い出されたようだ。


「おい、出ようぜ」


 鬱憤が僕らに飛び火するのだけは避けたかった。僕らは急いで食事を終わらせ店を後にした。



 今日は良く眠れそうだな。お湯を顔から浴びながら、そう思った。今回は車内ではなく駅構内の仮眠室での就寝だった。しかも布団付き。さらに駅構内には簡易シャワーが設置されていた。誰でも自由に使用できたのだ。至れり尽くせりだ。


「あ、徹さん」

「おお、翔か」


 シャワー室を出たところで、偶然にも徹と出会った。


「これから入るの?」

「おう、そうだ。今日もたくさん汗をかいたからな」

「徹さん、なんかご機嫌だね」

「そうか? ま、翔には内緒だ」


 大層ご機嫌な様子にその理由を訊くが、笑ってシャワー室へと消えていった。汗を流してさっぱりしたはずの僕の心は何故か晴れなかった。



     ◆◆◆


 大いなる意思は訝しんでいた。肌上に僅かに病巣部分が残っていた。その駆除が、なぜか遅々として進まないのだ。注意深くそこへと意識を集中する。あろうことか病巣に到達する直前で抗生剤が分解していた。理由は不明だ。

 これでは、いつまでたっても病巣はなくならないではないか。大いなる意思は強い苛立ちを覚える。抗生剤が急に効かなくなったこの状況を何としても改善しなければならない。我は思案した。

 まずは病巣付近で起きている現象を明確にする必要がある。原因がわからなかければ対処のしようがない。それには自らが病巣の近くに赴くのが一番だ。

 我は己の意思の欠片を抗生剤に混ぜ込み現場に運ばせることにした。

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