第16話 迷い

 そう思った瞬間、油断があった。

『まだだ。おまえたちをすべて殺して、また新しい地球人を手なずけることで、やり直すことができる』

 旧式ヘルメットの人たちが、いきなり直立不動の姿勢をとった。プルプルと小刻みに頭を振りだす。

「気をつけて! 恵! 様子がおかしい」

 エリカさんが臨戦態勢にはいった。彼女の黒髪が静電気に引かれるように逆立ちはじめ、彼女をつつむ魔界と現世の境界のゆらぎが、直径三メートルくらいに広がった。

『地球の魔族か。どれほどのものかな』

 スピーカーからヤツの声がして、エリカさんのまわりの揺らぎが、なにかの力につかまれた。隊長がやったのとおなじだ。科学の力で魔界を封じ込めようとしている。

 やつはいったいどこから、この劇場に力を及ぼしているの? 話をしていたのはどこから? どうやってここの様子を見ているの?

 宇宙からの通信じゃない。話をするだけならまだしも、この場所をモニターしたり、地球人のヘルメットを操ったり、エリカさんのことを分析したり、魔界に力を及ぼすシステムを遠隔操作したり。宇宙から、こんなにも一度に行なったら、地球への干渉が観測されてしまうはず。

 地球上のどこかとここを結んでいるのなら、逆探知できるわ。

 居場所をつきとめて、本体をつかまえてやる。……ただし、ビレキア星人の力を地球外部から観測されないように、だけど。

 痙攣していた地球人が動き出した。武器を構えようとしている。

 完全に洗脳されてしまったんだわ。

 阿久根さんはその場に倒れて立ち上がれないみたい。地球人三人を倒すことは簡単だけれど、やりかたによったら、ビレキア星人とばれてしまう。その様子を記録されて、ヤツが操っている地球人の仕業に見せかけてネットかなにかに流されたら、ビレキア星が地球に関与していると疑われる。

 明確な証拠がなければ、連盟からペナルティを課せられることはないかもしれないけれど、ビレキア星を中傷するようなところが現れたら、名誉のために戦うことになるかもしれない。

 連盟では、民間人を巻き込んだ戦闘は禁じられている。それでも星同士が、武力によって甲乙付けたがる場面は存在する。そういうとき行なわれるのが『決闘戦』だ。

 互いの星を代表する1,048,576人の兵士が乗る1024隻の船同士が戦うことになる。

 もしも、また、ビレキアが決闘戦を行なうことになったら、勝っても八十万人以上の犠牲が出る。それが、ビレキア星人の戦い方だから。

 軍人である以上、決闘戦への参加は当然の義務で、もし、今また参加しろと言われたら、わたしも喜んで参加する。しかし、自分の任務の不手際のせいで、自分以外の八十万の兵士が決闘戦で死んでしまうことには耐えられない。

 わたしが躊躇していると、エリカさんが押されはじめてしまった。どうやら隊長が使ったものよりも、ヤツの機械は出力が上のようだ。魔界の境界を示すゆらぎの球体が、どんどんつぶされて小さくなっていく。やがて、それはエリカさんの身体よりも小さくなってしまった。

 エリカさんの胴体に直径五十センチほどで残るだけになってしまい、頭と脚がはみ出してしまった。

「うわぁぁ!」

 エリカさんは苦しそうに両手で顔を覆う。顔を覆った両手が、みるみる皺だらけになっていく。

 地球人たちが陽子銃をエリカさんに向けた。まずい! 魔界からはみ出した部分は無防備だ。撃たれたらエリカさんが死んでしまう!

 思わずビレキアの力を使おうとしたとき、先に飛び出してくれたのは、カナンさんだった。まるでテレポートするように、瞬間移動で男達の前に現れ、構えている銃を、握りつぶした。

カナンさんはわたしがあげた力を使いこなしている。フィールド発生装置の握力は、数トンにまで上げられるから、あんな精密機械は簡単につぶせる。握りつぶされた陽子銃は、ショートして爆発し、三人の男達は、感電して気絶してしまった。

『今度はCGか』

 ヤツの低い声とともに、カナンさんが、なにかの力に捕まった。多分電磁場だ。カナンさんの姿がゆらぐ。

「きゃああっ! 何?」

 持ち上げられて、空中で、カナンさんのお腹の部分が完全に消されてしまった。エネルギーが逆流している。カナンさんの頭脳であるAIは世界中のパソコンに分散していて無事だけれど、このままではCG投影機が壊れて、カナンさんがCGとして出てこれなくなってしまう。

 ヤツの居所が逆探知できない。

 ビレキアのセンサーが、ヤツに妨害されるほど劣っているのでなければ、導かれる結論はひとつ。

 ヤツはここに居る。

 遠隔操作などしていないんだわ。


 まだ、ひとつ、疑問が残っている。ここにいるヤツは、生身の宇宙人か、それとも、コンピュータに宿ったAIなのか。

 もしも、倒してみたら、どこ製とも言えるようなコンピュータのプログラムだった、なんてことになれば、相手の正体を暴いたことにはならない。

 でも、AIかどうかを確かめる手はあるわ。

「すぐに二人を放しなさい。じゃないと、あなたがどこに居ようとつきとめて、わたしがかならず殺してやるわ。星が罰を受けようと知ったことじゃないわ。わたしはあなたを絶対に許さない!」

『……おどしてるつもりか? 訓練された軍人にそんなことができるわけがない。自分の国家を危険に晒す行為なんだぞ』


 確信したわ。ヤツは生身だ。AIじゃない。


 AIと生身の宇宙人との絶対的な違いは、死を恐れるかどうか。AIは、ハードを壊されるだけじゃ、自分が滅びないということを知っているから、殺すと言われてもまったくおびえることはない。しかしヤツは動揺していた。生身でここに居るんだ。

 もちろんAIが偽装して、わたしにそう思わせているという可能性は、ゼロじゃあないわ。

 ヤツがもしAIだとしたら、自分が生身だと見せかけた理由は何かしら。わたしは、感情的になって攻撃するという意図を示したのだ。それが、ヤツの所在を見破った上で生身かAIかを見極めるための手だと悟ったのだとしたら? 偽装することで、わたしに生身だと思わせようとしたのなら、ヤツはわたしに攻撃してもらいたいのだということになってしまう。

 つまり、ワナを張っていて、勝つ自信があるケースならそうだ。そうでなければ、自分の正体を暴かれる可能性を増やす行為となり合理的ではない。自分がAIであることを匂わせて、わたしの戦意を削ぐほうが、ヤツの任務にとっては得策となるはず。

 隊長がいてくれたら、こんなに悩まず即座に決断してくれるんだろうけど。わたしは悩みすぎだわ。

 ビレキア星人であることの証拠を与えてしまう危険性の存在が、わたしを優柔不断にしてしまう。

 いまは自分の推理と勘を信じるのよ!

『次はおまえの番だ。地球人の手でおまえを倒して、解剖写真をネットで公開してやる。おまえが何星人なのか楽しみだ』

 複数の人間の足音が両側の通路から近づいてくる。

 劇場の横のドアが同時に開いた。陽子銃を構えて入ってきたのはあわせて七人。


 そのとき、突然、頭の中でアラームが鳴った。

『アラーム。剣崎隆が危険領域に侵入』

 ここへ来るときに設定した後方センサーのアラームだ。隆が、映画館の中に入ってきちゃったんだわ。

 劇場への正面入り口を開けて、隆が入ってきた。

「恵! あぶない!」

 あぶないのはあなたよ! こんなとこにあなたが来て、何かあったら、わたしの任務もなにもすべておしまいだわ!

 陽子銃を持ったやつらが、隆を撃った。

細い光線が七本、隆を襲う。少なくとも三本が命中した!

 一瞬、隆が殺されたと思ったわたしは、胸が張り裂けるような苦しみを味わった。息が止まり、心臓が破裂したのかと思った。

 しかし、服に穴が開いただけで、隆は何ともない。彼はエリカさんと同じように魔界をまとっているからだ。それを知って、氷のように冷めていたわたしの体中を、暖かい血がめぐり、思わず安堵のため息が漏れた。

『そいつも魔族か!』

 隆自身、何が起きているか理解できていないらしい。服に穴が開いただけの自分の身体と、自分のまわりに着弾した光線で破壊された椅子や壁を見比べている。そんな隆を、ヤツの力がつかんだ。エリカさんがやられているように、魔界のを押さえ込んで無力化するつもりだ。

 そんなことをしたら、年齢を維持できずに皺ができてしまったエリカさんのように、隆も身体を魔力で維持できなくなってしまう。隆の身体は死んでいるのよ。魔力で維持しなければ死体になってしまうわ!

 でも、そんなわたしの心配は意味がなかった。ヤツの科学力による魔界の封じ込めに、反射的に抵抗しようとした隆の魔力は、桁外れだった。

『ぬぬ! なんだ! この力は!』

 隆のまわりの魔界と現世の境界のゆらぎは、爆発的に劇場全体にまで広がった。エリカさんを締め付けていた力も消し飛ぶ。

 隆の目が! エリカさんの炎のように紫色に燃えている。魔王が覚醒しようとしているんだわ。

 いけない! 今魔王が目覚めてしまったら、地球は惑星破壊兵器を所持したことになってしまって、連盟に加盟できずに、どこかの星に占領統治されることになってしまう。

「だめよ、隆! わたしの声を聞いて! 今はまだ抑えて!」

『そいつは何者だ!』

 ヤツも隆の尋常じゃない力に気付きかけている。

 わたしが必死になっていることに、若返って力を取り戻したエリカさんが気付いてくれた。彼女にしたら、魔王の覚醒は喜ばしいことのはずだし、地球占領のことも知らないはずだけど、何かを察してくれたらしい。

 エリカさんは隆のところに瞬間移動し、隆の肩を抱こうとする。

「落ち着いて、隆さん……あっ!!」

 エリカさんの手が、隆の身体を覆う力に弾かれた。エリカさんの両手のひらは焼けただれ、白い煙が出ている。

 でも、エリカさんは、もういちど、手を伸ばした。

「落ち着くの。小さいときのことを思い出して。あなたは、まだ、人間として生ききっていないわ」

 隆の両肩をやさしく抱くエリカさんの手からは、白い煙が上がり、ジュージューという音とともに肉が焼けるにおいが立ち込めていた。

 隆の目から光が消えて、彼の身体は緊張を失ってひざをついた。彼の魔界が急速にしぼんで身体の周囲に戻っていく。

 エリカさんのおかげで、隆の中の魔王が覚醒する心配は、とりあえずなくなった。

『なるほど。そのパワーをマークしていたんだな』

 ヤツに隆の力を知られてしまった。この上は、ヤツをこの場で葬り去って、秘密をまもらなきゃいけない。

 隆に駆け寄ろうとして伸ばした右手を、ぎゅっと握ってこぶしをつくり、ヤツの偽のシルエットが映っているスクリーンを睨みつける。

「ライトニングフィスト起動」

 キーワードを唱えると、右腕の骨と筋肉が強化され、拳のまわりを青白い光がつつみ、パチパチと小さな稲妻がまとわりつくように弾ける。

 ライトニングフィストは隊長の許可なく起動できるものとしては、わたしの体内に仕組まれたうちの最強の武器。これで殴れば、地球の戦車の装甲も貫ける。

 わたしの身体には、隊長の承認さえあれば、もっと強力な兵器が起動できるチップも埋め込まれているが、今は使用できない。しかし、自分の判断で使用できるこの武器でも十分戦えるはず。

 隆と隆の星を守るためだ。

 この武器を使う戦い方は、とてもビレキア星人らしく見えるだろうから、もし、録画されて公開されたら、ビレキア星人が地球に居ると宇宙からは見えるかもしれない。だけど、今は、もう、それよりもヤツを倒すことが重要。

 隊長、ごめんなさい。

 そう念じてファイティングポーズを取ったわたしの脳内に、いきなり通信が入った。

『何をしている。そんなチンケな武器はしまって戦闘用兵器の準備体勢を取れ』

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