第8話 なぞの転校生パート2

「あら、おはよう恵ちゃん、エリカちゃん。隆ちゃんと登校の時間?」

 ななめ向かいの園田の奥様が玄関前の掃除の手を休めていつものように声をかけてくる。わたしの隣にいるエリカの姿を見て、瞬時に記憶を訂正し、毎朝挨拶をしていたのはわたしたち二人だったってことになったはず。

「おはようございます。毎朝ご精が出ますね」

 わたしは学生かばんを両手で持って、やや斜めにお辞儀し、優等生っぽく微笑む。

「おはようございま~す」

 わたしとおそろいのブレザー姿のエリカさんもそれに倣う。

 自宅である洋館の庭を囲う青銅の柵からあふれそうな薔薇の前を、園田の奥様の視線を意識しながら通り過ぎ、おとなりの家のインターホンを押す。

「おばさま、おはようございます。隆は起きてますか?」

 インターホンからは返事はなく、そのかわりにドアの向こうで隆を呼ぶおばさまの声がする。

「隆! 恵ちゃん達が来たわよ。早くしなさ~い」

 ドアが開いておばさまが顔を出す。

「恵ちゃん、エリカちゃん、おはよう。隆、すぐ降りてくるから」

 隆は階段をゆっくり下りてきて、靴を履くと、わたしとエリカさんを無視して歩き出す。左手にかばん、右手に分厚い本を持って、その洋書を読みながら歩いていく。

「それじゃあ、おばさま、いってまいります」

「いってきます、おばさま」

 わたしとエリカさんはにこやかにお辞儀をして、隆のあとを追う。

 この状況で、わたしたちを無視して平然と歩いていける隆を、なんだか尊敬しちゃう。

 わたしがいきなり現れた朝も、こうだったんだ。驚いていないわけはない。動じても、それをまわりに悟らせない徹底したポーカーフェイスは、隆の知性の成せる業だろうか。尊敬に値すると思う、と、同時に、申し訳ない気持ちになって、ちょっと駆け足して追いついて、横から小声で呼びかけた。

「ごめんね、隆。こういうことになっちゃって」

 隆は、本から顔を上げて、わたしをちらりと見た。

「で、今度はどういうことになったの?」

「ええとね、わたしたち『三』姉妹はあなたの幼なじみで、長女のわたしと次女のエリカさん……エリカは、歳は一歳違いなんだけど、生まれ月が四月と三月で同じ学年なの。で、あなたのクラスメイト……ってことになったんだけど、いい?」

 良くはないだろう、隆的には。

「へぇ。エリカさんまでいっしょになっちゃって、味方じゃなかったの?」

 あきれたのか、もう、こっちを見てもくれない。本を見てるまんまだ。

「味方よ~。ただね、わたしの家がだめになっちゃって、同じ苗字のよしみで恵さん、じゃないや、恵姉さんたちといっしょに住まわせてもらうことになったの。三人ともあなたの味方よ。心配しないで」

 エリカさんはノリノリだわ。

「じゃあ、昨日の話は反故になったのかな」

 あ、これはわたしに言ってる?

「検査は、必要なくなったの。エリカさんのおかげで理由がわかったから。でも、ちゃんと説明はするから! ……話したいの。隆の家に迎えに行くから、待ってて」

 やっとのことで、隊長に原稿のOKももらえたし。

 踏み切りで立ち止まった隆は、またわたしの方をちらりと見てくれた。

「ふうん」

 無表情にそれだけ言って、隆は本に目を戻した。

「タカちゃん、グミ、リカ、おはよう!」

 今朝も踏み切りで由梨香が合流する。エリカさんが、わたしに目配せする。エリカさんは由梨香と初対面だから、どういう相手か知らないわけよね。わたしと調子を合わせるように、と目で合図を送る。

「おはよう、由梨香」

とわたし。

「由梨香ちゃん、おはよう」

 エリカさんがつづく。順応がはやい。

「はぁぁ」

 隆のわざとらしいため息が続いた。またまた、ほんものの幼なじみの由梨香の記憶が変えられちゃってることを、良く思っていないみたい。そりゃあそうだよね。ごめんね、ほんとに。



 教室には、理数科以外の男子も集まってきていた。この風景は先週も見たことがある。彼らがむらがっているのはひとりの男子生徒の机のまわり。

「これとこれ、2Lサイズで」

「1200円です」

「おれは待ち受けにダウンロードさせてくれ、こっちの横顔」

「2000円。コピーや印刷はダメですよ」

 写真部の一年生が写真を売ってる。写っているのはわたし。

 被写体本人が教室に入ってきたと知ると、クモの子を散らすように机から離れ、よそのクラスの生徒や上級生は廊下に出て、クラスの男子は教室内で、わたしを遠巻きに囲んで見てる。

 ん? どうやら様子がちょっと違う。今回はわたしだけじゃなく、エリカさんも対象になってるらしい。

 彼らのあたらしい記憶の上では、わたしもエリカさんも入学以来ずっとこのクラスなんだけど、生写真は、わたしの分は二週間前から、エリカさんに至っては昨日のセーラー服姿のしかないはず。

 でも、彼らはそれにさえ理由をつけて記憶を構築してくれている。どういうストーリーになっているかは、コンピュータを検索すると確認できるようになっている。

 頭の中のチップを使って屋敷のコンピュータに遠隔アクセスして検索してみると……

 あらまあ、あのカメラ小僧くんは、とっても律儀なポリシーの持ち主で、被写体のOKを取らないかぎり盗み撮りをしないんですって(うそよね)。

 必死で頼み込んで、わたしがOKしたのが二週間前で、エリカさんはやっと昨日になってOK。昨日エリカさんがセーラー服だったのは、エリカさんが演劇部のお助け要員として劇の役の衣装合わせをしてたからってことになっているそう。

 ビレキア星の技術で、人間の記憶と電子的なデータは改ざんできるけれど、紙の写真はどうにもならない。エリカさんの魔法なら、そういうことまでつじつま合わせができちゃうのよね。で、まあ、クラスの座席表が紙媒体で残っていたりすると厄介なのだけど、幸いそういうものがないので、昨日の席替えもチャラになっている。

 わたしとエリカさんは隆をはさんで横一列。隆から見たら、左にわたし、右にエリカさん。昨日座っていた座席をまったく無視して、平然と自分の両側に座るわたしたちに、内心は怒っているであろう隆は、これまた、なにごとも感じないかのように普通に席につく。

待っていたように、クラスの男子生徒たちが、わたしたち姉妹の座席まわりにあつまってきた。

「さ、さ、催馬楽さん! 今度の日曜、ゆ、遊園地などいかがでしょうか?!」

 エリカさんに向かって、有名レジャーランドのプラチナチケットを差し出して、腰を九十度に曲げてお辞儀してるクラス委員さん。それって、昨日わたしにしてたことと同じじゃない?

「そこはもう飽きちゃったの。別のところを誘ってみてくださる?」

 エリカさん、にこやかに答えるけど、絶対に他のところを誘ってもOKなんかしないと思う。クラス委員さんは、永遠にもてあそばれて、あちこちのチケットを買い続けることになるのかしら。悪魔みたいな対応だわ。あ、人のこと言えないか。

 わたしのところへは、小さなリボンつきの包みを差し出す二年生。

「も、申し訳ありません! あなたの誕生日を間違えてしまうなんて、ぼくはとんでもない不届き者です。どんな罰でも受けます! ですが、せめて、このプレゼントだけはお受け取りください!」

 あ、そうか。エリカさんと一歳違いの同学年姉妹だっていう設定に変わったせいで、わたしの誕生日が、今日の時点で過ぎちゃった日に変わってしまったんだ。昨日までなら、わたしの誕生日はまだ来てなかった設定だったから、多分、わたしの誕生日が来たら、渡そうと思っていたプレゼントが用意してあったんだ。

 記憶の設定を変更しても、電子データ以外は改ざんできないし、プレゼントも消えない。そしておそらく彼の家の机にあるであろうカレンダーのしるしも訂正されない。一歳違いの妹のエリカさんと同じ学年だから、わたしは四月生まれ、っていう情報が脳に配信された瞬間に、カレンダーの印が誤りだという結論に行き着いてしまったのね。

 これは、かわいそうな被害者だわ。無理にエリカさんをクラスメートにしようとしたわたしのせい。

 なんだか気の毒に思えて、彼からのプレゼントを受け取ろうと、右手を伸ばした瞬間、周囲にいた十人ほどから、同じように、リボンつきのプレゼントが、いっせいに、さっ! と差し出されたの。

 そうよね、同じ状況に陥ったのは、彼ひとりじゃないはずなんだから、こうなってしまうのは当然。彼のプレゼントを受取るということは、ほかの人のも受け取らなきゃいけないっていうことになる。

 わたしは危うくプレゼントを受取ろうとした右手を垂直に立てて、プレゼントの箱をできるかぎりやさしくと心がけて手のひらで押しかえした。

「ごめんなさい。学校でこういうものは受けとれません。先日も先生に注意されてしまったの」

 彼はへなへなと座り込み、まわりの男達も、しゅんとうなだれてプレゼントをしまってしまった。

 うなだれた男子たちも、すぐに気を取り直し、またわれ先にわたしに話しかけようと位置取りをはじめる。

 隆の席をはさんで、向こう側のエリカさんの席でも、なにやら争いが起こっているようだ。

「なにを言うか。ぼくは、もう、中学三年の春模試のときから、エリカさんだけを見てきたのだぞ。入試のときになってはじめてみそめたなんてやつは、エリカさんのファンとしては、ず~っと後発組だ」

「おいおい、オレは中二の夏模試からだぞ、先輩面すんな」

 どうやら、いつからエリカさんに惚れているかっていうことを争っているようだけど、あなたたちの記憶にあるのは、あなたたち自身が作った妄想よ。エリカさんを見たのはみんな昨日が始めてなの。

 隆は両側の席に集まったとりまきにはさまれてもみくちゃにされ、背中で押されたり、机や椅子をずらされたりしているんだけれど、黙って本を読み続けている。


 ホームルームの時間になると、担任が学生服の男を連れている。まさか、また、転校生ってこと?

「お~い、静かに席に着け。今日から転入生だ。N市中央高の理数科から編入でこのクラスの仲間になる。さあ、自己紹介を」

「阿久根翼です。よろしく」

 クラスがざわつく。先生が静めようとする。エリカさんのときとは違った反応。彼がいかにも怪しい格好だったから。

「こらこら、静かに。阿久根くんは病気のせいで進級が遅れ、みんなより年上だ。頭に被っているモノも治療のための特殊な器具なんだ。笑ったりいじめたりするやつは、このクラスにはいないよな? 先生はみんなを信じてるぞ」

 先生は拳を机の上でぎゅっと握って、固く眼を閉じて天井を仰いだ。教育モノのドラマの主人公の気分に浸っているらしい。これはビレキアの催眠のせいじゃないわね。

 紹介された転校生は、謎の部隊を率いていた背の低い男だ!

 転校生!? どう見たって二十歳過ぎでしょ? それに、頭には、あのへんてこヘルメットをほんのすこし控えめにしたモノを被っている。改良型なのかしら。アメフトのヘルメットに画鋲を二十個ほど付けたような形状の灰色の機械のあちこちで、なにやらチカチカ光っている。

「ええと、席はそうだな、この列の最後尾に座りなさい」

 先生が指示したのは、わたしの列だ。

「彼もお仲間かな?」

 隆がささやく。わたしはエリカさんのときよりも激しく首を横に振った。

 エリカさんもこっちを見てる。そうか、エリカさんは彼を見てないんだ。隆の背中越しにエリカさんに向かって声を出さずに唇の形で伝える。

「(カ・レ・ハ・キ・ノ・ウ・ウ・チ・ニ・キ・タ・ヤ・ツ・ラ・ノ・り・い・だ・あ・ダ・ヨ)」

 エリカさんの表情が露骨に変わった。まるで、ガスバーナーにいきなり火がついたように怒りの炎に火が点いた。それまでなにごともないおだやかな雰囲気だったのが、いきなり触れることのできない危険な炎を吹き上げはじめた。

 男……阿久根が机の間を歩いてくる。こちらをチラチラと観察しながら。彼がわたしと隆の机の間を通り過ぎようとしたとき、エリカさんを中心に『魔界』と『現世』の境界を示すゆらぎが教室いっぱいに広がるのが見えた。エリカさんが椅子をガタンと鳴らして立ち上がって殺気のこもった声で言った。

「人の家を襲っておいて、挨拶もなく通り過ぎるつもり?!」

 いきなり教室でからむのはマズい、と思ってまわりの反応を気にして見回すと……みんな止まってる。先生も、ほかの生徒たちも固まってしまって微動だにしない。教室の外は動いているみたい。遠くで電車の音がするし、鳥も鳴いている。廊下の向こうでは、学内の雑多な音が聞えてくる。エリカさんが魔法でこの教室だけ止めてしまったのだ。

 エリカさんと阿久根とわたしと……隆も動いてる。

「む? これはおまえの仕業か?」

 男は、鞄から髭剃り機のような機械を出してエリカさんに向けた。なにかの銃?

「あ~ら、昨日のと同じ銃? あなたの仲間たちに聞かなかった? わたしには効かなかったって。あのひとたち、せっかく生かしておいてあげたのに。レディの家にいきなり踏み込んでわたしを見るなり撃ってきて。おかげでわたしのセーラー服は穴だらけになっちゃったのよ」

「エリカさん、教室の中でやりあうのはやめときましょうよ。阿久根さん、あなたも、ほかの生徒を巻き込まないで。誤解があるのよ。ちゃんと話しましょう」

「インベーダーめ、なにを言うか。学校を巻き込んでいるのはおまえたちだろう。わたしは地球を守るために戦っているんだ」

 阿久根は銃口を振りながら咆えるように言い返してきた。

「恵、めんどうよ。そのかぶりものを取っちゃえばいいんでしょ」

 エリカさんの提案に阿久根が身構える。

 阿久根のヘルメットを取ってしまったら、おそらく彼は、瞬時に記憶を修正して無害な存在になってしまう。わたしのことを『インベーダー』なんて言わなくなるし、そのために邪魔になるような記憶はすべて忘れてしまう。つまり、仲間や黒幕についての情報も、目的や組織についての情報も失われてしまうことになる。でも、それでは、まったく解決にならないんじゃないだろうか。

「待って、待って。話し合うには、あれが必要よ」

 ひょっとして、話してわかり合えるような相手なんだとしたら、ヘルメットを被ってくれていないと話ができないわ。

 ここで隆も本を閉じて立ち上がった。

「もう、やめてくれないか。授業の時間になるぞ」

「そうよ。あとでお話ししましょう。学校が終わってから……ってエリカさん、なんで隆も動いてるのよ! 彼を巻き込まないでよ!」

「何言ってるの! わたしごときの魔法が隆に効くわけないでしょう?!」

 え? そういうものなの? エリカさんが『ごとき』って、隆はいったいどれくらい? あ、地球を破壊できる魔王だっけ。

「魔法? 魔法って、そいう話なのか?」

 隆にとっては魔法って非科学的なオカルトよね。

「ゴメン隆。そういう話も混じっちゃったのよ。放課後ちゃんと話すから」

 わたしは両手を合わせて隆を拝み倒す。

「おまえたち、わたしを無視してるんじゃない! これは陽子銃なんだぞ」

 阿久根はますます興奮して髭剃り機もどきの銃を振り回す。

「だ・か・ら、そんなもの効かないの。服に穴開けるだけ。しまったら?」

 エリカさんは高飛車。

 チャイムが鳴り出した。一時間目が始まってしまう時間。いつまでもこの教室だけが止まっていていいはずがない。隆が強い口調でエリカさんに言った。

「もう授業だ! もとにもどすんだ!」

 そのとたん、教室いっぱいに広がっていた魔界の揺らぎがはじけたように見えた。

 まわりの生徒たちが動き出した。チャイムがまだ鳴っている。チャイムの音をドラマチックなBGMに、エリカさんはうっとりした目で隆の怒った目を見つめている。

「やっぱり。すごいパワーね。わたしの魔法なんて消し飛んじゃったわ」

 エリカがやめたんじゃなくて、隆の力で魔法の効果が消えたっていうの?

「とにかく、阿久根さん? お昼休みにお話ししましょう」

ってことで、この場は収まったんだけど、隆も巻き込んでしまった。阿久根『さん』は、多分、彼にとっての『インベーダー』であるわたしと、ひょっとするとエリカさんのことも情報をつかんでいて、見張るつもりでここに来たんだろうけど。さっきのことで隆も関係者だって思ったに違いない。

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