第6話 食べちゃだめだ!


 ほんとに砕けちゃうわけにはいかないけど、隆に真っ向から真相を尋ねるために、隣の剣崎家の玄関へ。家の周りを見回しても、おかしな黒服とかの姿は見当たらない。

 制服のままじゃおかしいから、ラフな私服に着替えて、幼なじみがちょっと勉強を教わりに来たってことにする。

 デニムのホットパンツにTシャツ姿。

 モデル体型のおかげで、どんな格好も無難に着こなせるけど、ちょっとお色気過剰かな?とか後悔しかけていたのに、先に指がインターホンのボタンを押していた。

「は~い」

 中からおばさまの声がして、パタパタとスリッパの音が近づいてくる。

「どなたぁ?」

「あ、恵です。あの……隆に物理で教えてほしいとこがあって」

 ガチャリとドアが開く。おばさまは、わたしの格好を上から下まで見回して、いたずらっぽくにっこりと笑う。

 え~、やっぱりこの格好はまずいのかな。

 おばさまは、どうやらわたしたちを幼なじみ以上にしたがっているようで、この二週間の間に『恵ちゃんみたいな子が娘になってくれたら』とかいう意味深なセリフを隆とわたしの前で十回くらい言っている。 そのおばさまが、この笑みを浮かべるくらいだから、この格好は結構刺激的なんだ。

「どうぞ~♪」

「失礼します……」

 隆の家は玄関を上がってすぐのところに階段がある。二階が隆の部屋。隆はひとりっ子だ。実はまだ、この家に入るのははじめて。

 もちろん、おばさまはそうは思っていない。この二週間は来てないって思っているだろうけど、それ以前には来たことがあるっていう記憶があるはず。

「今日は部活は休みだったのね。隆だけ帰ってきちゃったのかと心配してたのよ。隆は上よ」

「あ、はい」

 おばさまは目を細めて、わたしの顔に顔を近づけ、にっこり笑ってささやいた。

「ひさしぶりに、上がってみる? 隆の部屋。フフフ」

「は、はい」

 そのつもりで来たのだけど、こうもすんなりと事が運ぶと、逆に戸惑ってしまう。階段を上るわたしを、下からおばさまが見てる。振り返って目が合うと、にっこりされてしまった。

 ドアの前に立っても、下のおばさまから見えている。恐る恐るノックする。

「隆? あ、あの、わたし。恵です。物理で教えてほしいとこがあって……」

 反応がない。いないのかしら?

 おばさまを振り返ると、おばさまがジェスチャーしてる。両耳を手のひらで覆うようにして……ヘッドホン?! それから手でドアノブをひっぱる動きをしてる。隆はヘッドホンをしてて、ノックが聞えないから入っちゃえってことね。

「は、入るわよ!」

 わたしがドアを引いてあけて入るとき、階下のおばさまが声を殺して笑い転げているのがちらりと見えた。なにがそんなに楽しいのか……って、なにこれ!?

 六畳ほどのスペースの部屋には、ベッドと机。ベッドに向こう向きにあぐらをかいて座ってる隆はヘッドホンをしてて、ヘビメタロックが漏れて聞える。そして部屋の壁や、天井にまで、ベタベタとポスターや雑誌のピンナップの切り抜きが貼ってある。


 全部わたし!? ――じゃない『柴田カナ』だ!


 ざっと見回しても大小百枚以上。いずれも顔のアップかバストアップの構図で、部屋の中のどこにいても柴田カナちゃんに微笑みかけられてる感じになる。

 これって、つまり、隆は柴田カナちゃんのファンってこと?! しかも、かなりディープなファン?

 隆は、アイドル柴田カナの顔をコピーしてるわたしに対して、怒ってるんだ! ひょっとして、柴田カナへの思いの強さが集団催眠を妨害したのかしら?! この部屋の状態があって、尚かつ隣の幼なじみが柴田カナちゃんそっくりっていう状況は、たしかに催眠でつじつま合わせするのに非常に困難なケースになりそうだし。

 隆は何をしているのかしら? ベッドの上に白いボードを広げて、刑事ものドラマの会議のようにメモを貼ったり書き込みをしたりしてる。

 ……わたしに関する情報を整理してるんだ。

 正体を推理しようとしてるの? 対策を練ってるのかしら?

 あ、そうか、自分が万が一催眠にかかってしまったときのために記録として残すつもりかも。それは有効な手段。わたしたちの集団催眠やデータ改ざんは、こういう物理的な記録には効力が及ばないから。そういう書き物とか、日記とか、この部屋中の柴田カナちゃんの写真とかは、残ってしまう。

 わたしが呆然としていたら、隆が聞いてる曲のシャカシャカが唐突に終わった。あ、気配に気がついて、隆が振り返る! やばい、この状況はまずい! この部屋をわたしに見られちゃったって隆が知るのは、まずすぎる! 逃げ出さなきゃ! ……う、動かない! 身体が動かない!

 目が合ってしまった。

 一秒ほど、お互い固まってしまっていた。先に隆の顔が真っ赤になる。

「ば、ば、ば、ばかっ!! 何、入ってきてるんだよ!」

 彼はすばやくボードに布団を掛けて隠した。

「ごめんなさい、わたし、ノックしたし。おばさまが入れって。物理のわからないところを教わりに、じゃなくて、ちゃんとお話ししようと思って。こういうこととは知らず、ゴメンなさい!」

 自分でもびっくりするくらい早口でいいわけしてた。

 隆が机を見て、はっ、として、すばやく立ち上がって机の前に立って何かを隠した。

「とにかく出てけよ! 話なら、外でするから! 下りてろよ」

 隆があわてて隠したのは、フォトスタンドだったと思う。柴田カナちゃんの横顔の、生写真かなにかだった。その写真は特別なものなのかもしれない。なんとなくわたしも見たことがあるような構図だった。柴田カナちゃんの有名な写真なんだろうか。よっぽど思い入れがある一枚なのか。

 出て行けと言われたけど、話はしてくれるようだから、この居心地の悪い部屋から退散することにした。

「う、うん! 外で待ってる!」

 階段を駆け下りるとおばさまがにやにや見てる。わたしまで顔が真っ赤になってしまった。玄関を飛び出て、扉を背中で閉めて、息を整えた。

 もたれかかっていた扉が開いて、背中を押された。隆だ。

「あ、ごめん」

 彼は扉がぶつかったことを詫びた。

「い、いえ」

 家の奥では、おばさまがワクワク顔でこっちを見てる。

「公園、行こうか」

 隆に言われて、こくりと頷いた。登校のときのように、前を歩く隆のうしろをついていく。隆の部屋を知ってしまって、なぜかこっちが恥ずかしくなって、まだ熱い顔をうつむき加減に、隆のかかとを見ながら歩いていくと、隆が左に曲がった。ここは家から百メートル先の公園だ。

 ブランコとシーソー、滑り台つきの小さな複合遊具だけの、小ぢんまりとした公園。夕方の公園に人影はない。隆はブランコの支柱に手をふれながら眺め、やがてブランコに立って乗った。わたしは隣のブランコに腰掛けて、隆を見上げた。話をしに彼を訪ねたのはわたしの方だけど、わたしは彼がなにかを話してくれるのを待っていた。ゆったりと時間は過ぎていった。お互い、落ち着いてきて、頬の火照りも消えたころ、隆が夕日を見ながら話しはじめた。

「この公園で遊んだことはないんだ。いつも、うちのとなりの公園で遊んでいたから」

 彼にとっての思い出の公園は、わたしの家に変わってしまった。わたしたちは彼の思い出の場所を奪ってしまったのよね。

「ぼくは、小さいころはこのへんのガキ大将みたいな子供だった。わんぱくで、他所の子を泣かしたりしてたし。かあさんは、ご近所に何度もあやまりに行っていた。小二のとき、となりの公園の遊具から落ちて頭を打って。翌日、病院のベッドで目覚めたぼくを抱きしめて、かあさんはわんわん泣いてた」

 わたしはだまって聞いていた。彼が催眠にかかっていない理由のヒントがあるかもしれない、とか思ってじゃない。それは、幼なじみになりすました者として、聞いておかなきゃいけないことだと思ったから。

「それからぼくは、かあさんに心配掛けないように勉強ばっかする子供になった。でも、親からすると、つまんない子供になっちゃったのかもね。かあさんも、あきらめちゃったのかあんまりぼくに構わなくなって、物足りなさそうだった。……それが、この二週間は、かあさんが見違えるように生き生きしてからんでくるんだ」

 二週間って、わたしが来てから?

「ありもしない、きみとぼくとの昔話をなつかしそうに話して。多分、それは、自分の子供にそういう子供時代をすごしてほしかったという、かあさんの願望が生んだエピソードなんだろうね、きみたちが植え付けた記憶とかっていうのじゃなくて」

 隆は、わたしたちの集団催眠のシステムを、よく理解してるようだ。

「笑えるんだよ。小さなきみを、野良犬から守って怪我をした、だの、きみにいいとこを見せたくて、ひそかに水泳教室に通って、小学校の水泳大会で優勝した、だの。あげくは、きみといっしょの学校に行きたくてガリ勉になったことになってる。ほんとうのぼくの思い出よりも、ずっと楽しそうな話ばかりさ。自分は、きみにつりあう男になろうとするぼくを、ずっとサポートし続けてきたけなげな母親ってことになってる」

 なんだか夕日を見る隆の目がやさしそうに笑っているように思えた。

「……もしも、ぼくもみんなと同じように、きみたちの力の影響を受けるようになったら、ほんとうにあったことは忘れて、かあさんの、あの楽しそうな思い出の中に浸かれるのかな?」

 隆がこっちを振り向いた。夕日に照らされた眼鏡が光る。ひやぁ! わたしの胸がドキンと鳴った。

 や、やばい! 彼を食べちゃいたい! だめだ! 食べちゃダメだ、食べちゃダメだ、食べちゃだ・め・だ!

 よだれが出そうなのをのみこんだら、彼の言葉が質問の形だったのに気がついた。

「ええ、そうよ。互いに連携して、つじつまが合うような記憶を形成していくしくみなの。おばさまが作った思い出話は、ほかの人にとっても本物になってるわ。でも、あなたが、なぜ催眠にかかってないかわからないの」

「……きみたちが、何者で、何をするつもりかわからないけど、このまま自分だけまわりと違う記憶を持ってるよりも、あの思い出の中に取り込まれたほうが楽なのかもな。そしたら、ぼくが落ちて頭を打ったときの遊具は、この公園のあの滑り台ってことになるのかな?」

「そうね。そして、病院で泣いてるおばさまの横では、小さなわたしがいっしょになって泣いているんだわ」

「……だったら、協力してもいいよ。ぼくが掛かってない理由を調べるの」

 え? そういう話になっちゃうの? 怒ってるんじゃないんだ。

「いいの?」

「ただし、約束してほしい。ぼくの家族や友人に危害を加えないって。侵略者だったりすると、この約束は無理かな?」

 目的は侵略ではないけれど、支配しようとしているのにはかわりない。しかも食べようとしてるし・・・・・・たぶん。

「うん。……うん! 約束する」

 嘘だ。わたしは隆に嘘をついた。

 隆の目をまっすぐ見ることができないので、うつむいて。あ、でもこれじゃあ、嘘ついていますって言ってるようなものだ。

 あわてて取り繕うためにブランコから立ち上がろうとしたら、バランスをくずして前につんのめってしまった。

「きゃっ!」

 ブランコの前を囲う鉄枠に顔から突っ込んでしまう! 目の前に鉄棒が迫ったとき、視界が陽炎のようにゆらりとゆらいだ。

「だいじょうぶ?!」

 ぶつかった、と思った瞬間、わたしは隆の腕に抱きかかえられていて、ぶつかりそうだった鉄枠は、一メートルほど離れたところにあった。

 え? どういうこと? 何が起きたの? 隆を振り返ったが、隆は心配顔でわたしを見つめていて、不思議顔はしていない。っていうか、ドアップだし。かーっと顔が熱くなった。この体制から逃れることで頭がいっぱいになってしまう。

「あの、え、だいじょうぶだから……えと……離して……」

「あ、ごめん」

 隆も照れ顔になってわたしを立たせると、一歩下がって距離をとった。

「あ、ありがと」

 恥ずかしいのがすこしおさまると、またさっきのことが不思議に思えてきた。隆は隣のブランコで立ちこぎしてたんだ。どうやったら、わたしを抱きとめられたわけ?

 まてまて、それよりあの事故の前に、大事な話をしていたような……! そうだ、隆が協力してくれるって話。

「あ、あの、明日の放課後、時間取れるかな? わたしの家で、検査させてくれます? そのとき、話せることは説明するから……わたしたちのこと」

「ああ、いいよ」

 隆は、ゆっくりと家に向かって歩きはじめた。わたしがやや遅れてあとに続く。夕闇が迫っていた。

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