第24話

 父上の家に戻った。背負われたまま梯子を降りる。大空間に入ると父上の背中が見えた。

「おお、やっと来たか」

 振り返る。手には工具が握られていた。それを机に置き近づいてくる。

「誰かに連れていかれたのか?」ユイルの背中でうずくまったように小さくなっていたピスカに視線を投げた。「家の近くまで来たと思ったら、お前が遠ざかるのを感じたからな。それでユイルに迎えに行かせたのさ。まったく、私の所有物を勝手に使用するとはとんでもない奴らだな」

 父上はユイルを見て、言葉を続けた。

「それを下に降ろしてくれ」

 言われて通りにピスカを背中から降ろした。不吉な感覚を覚えて、ピスカは反射的にユイルの衣を掴んだ。恐怖が脳内で蘇る。

 父上が接近する。へたり込んだピスカの腕を持ち、確かめるように握ったり撫でたりした。思い出したように痛みが迸り、ピスカは呻き声を漏らした。

「ふむ。とりあえずこれじゃあ使えないな。直しておくか」

 父上は瞳を閉じ、何かを持つように掌を広げた。口から紡ぎだされた言葉。手に懐かしい光が宿った。傷を癒す魔術。レイビ族の誇りにして、かつ他の人も求めてやまない力。

 大きな手がピスカの体躯に触れた。身体の中に熱いなにかが巡っていく。全身に鳥肌がたち、燃えるような感覚のあと包まれたような快さだけが残される。白髪の髪がふわりとなびいたのを終りの合図にして、ピスカの傷は完治した。

「さあ、立ち上がりなさい」

 わずかな痺れのみが残る四肢を動かして身体を起こした。

 父上は机に足を向けた。見るとその上にはピスカが市で買い集めた材料が置かれていた。ユイルが、持ってきてくれたんだ。そう確信した。

 父上は工具を手に取り、それをピスカに渡した。初めて見る形だった。鋭い刃が二つ重なっていた。支点が一つあり、形状から推測すると何かに刺してその穴を広げるために形作られたようだ。短い刃先が鈍い光を帯びた。

「それでユイルを解体しなさい」

 ピスカは両手で工具を持ち、顔を上げた。

 言葉の意味が理解できない。

「さあ、早くしなさい。やらなければいけないことはまだ沢山あるのだから」

 有無を言わさない物言い。ピスカは呆然と自分の掌に収められている物体を眺めた。

「聞いてるのか? さっさと解体しろと言ってるのだ」

 口調が荒くなる。ピスカは首を回してユイルを見た。これで、なにをどうすると言うのだろう。

「どういう、ことですか?」

 頬を打たれた。

「実験が進まないだろ」

「なにを、する気なのですか?」声が震える。

「玩具に人間の魂を定着させるのさ。お前もそうしたんだろう?」

 全身に身の毛がよだった。

「使える部品は再利用すべきだ」

「ユイルは……部品なんかじゃありません」ピスカは視線を落としてそう言った。

 父上の笑い声が鼓膜を振動させる。

「なにを言っているんだ? そこにいるのは、お前が、お前の弟の魂を定着させた魔具じゃないか」

 心臓が大きく波打った。

「さすが私の玩具(ムスメ)だよ。私ですら成功させることは未だ出来ていないのだよ。どうも時間の経過と共に精神と玩具に拒絶反応が出来てしまうようでね。だがお前は成功させた。あれはすごいぞ」

 興奮した口調。

「感情を持っている。これこそ私が望んでいたものだ。何故こいつをお前が造れたのか分からない。もしかしたら知らず知らずのうちに残していた書物に答えがあったのかもしれないとも思ったが、今やそんなことはどうでもいい。もう少しなんだ。長年研究し続けたレイビ族の儀式の意味。それがユイルを解体すれば分かるはずなんだ」

 ピスカの肩が震えた。

「いいじゃないか。ユイルはもう死んだんだ。そこにいるのはただの実験魔具さ。栄光に至るためのやむを得ない犠牲だと知ればそいつも喜ぶさ」

 不気味な笑みを張り付かせた父上。やめて……もう言わないで。頭の中で、家族四人で笑い合った記憶が蘇る。その映像が消えていく、黒い炎をつけられたかのように闇におちていく。

「早くしなさい。エロンもそれを望んでいるだろう」

 なぜ、いま母上の名前を。

「迷いなど必要ない。あれはお前の弟の皮を被った化物なのだから」

 刹那の静寂。ピスカは涙を流しながら、それでも瞳には強い力を宿して父上を見た。この人は、もう、わたしの知っている大好きだった父上じゃないんだ。

「やりません」ピスカは強い口調で言い放った。「ユイルは実験魔具なんかではありません。命を持った、心を持った人間です」

 あの時。背負われたときに感じた温もりは優しくて、暖かくて、わたしの知っているユイルのものだった。父上の拳が振り下ろされる。体躯と共に工具が宙を舞い、刃が白い肌を撫でた。地面を小さな体が転がった。

「自分が、なにを言っているのか分かっているのか?」

 荒々しい口調。

 ピスカは掌で頬を撫でた。腕を流れる赤い筋。掌に付着した唾液と混ざった血。

「父上たちがいなくなったあと、わたしとユイルは二人だけで生きてきました」

 だからこそ分かる。

「魔具じゃない。ユイルは、わたしのたった一人の弟です」

 殺させない。わたしが、守らなきゃいけないんだ。ピスカは傷ついた体を起こして、二つの刃が付いた工具を拾った。

「私に、主人に逆らおうと言うのか? なんと愚かな行為だろう」父上は片手で頭を抱え、首を振った。「この世に生を受けさせてもらった感謝を忘れたのか」

「あなたは!」ピスカは叫んだ。「わたしの知っている父上じゃない!」

 もっと前に気づくべきだった。ロイから大型玩具を買い取ったのが父上だと分かった時に理解するべきだった。でも、わたしには出来無かった。会いたかったのだ父上に、頼れる人が、自分が甘えられる人が欲しかったのだ。

 でも、もう間違えない。

「お訊きしたいことがあります」ピスカは両手で工具を持ち、刃先を父上に向けた。「本当に、父上が、街に、都市エリツヘレムに大型玩具を送ったのですか?」

 当たり前のことのように父上はこたえる。

「そうさ。他に誰が造れるというのだ? あれは私にしか造ることが出来無いものだ。そんなことも分からなかったのか?」

 父上は眉間にしわをよせた。

 聞きたくなかった。知りたくなかった。残酷な事実。変えようがないもの。

 父上が、父上が街に送った玩具が、ユイルを――。

 殺したんだ。

「なぜですか?」刃を揺らしながら訊ねる。「玩具は、魔具は平和のために、真の平安のために存在すると、父上は言ってらしたではないですか」

 なのに、どうして――。

「あいつらが悪いのさ!」怒声が響く。「私の研究の価値を理解できない愚民どもがな! 儀式の本当の理由を知らずに、知ろうともしないくせに、やつらは私の研究を認めようとはしなかった。それどころか、奴は、私がなるはずだった大祭司の役目までも奪い、街から追放しやがったんだ!」

 顔にしわと共に血管が浮かびあがる。怒気をみなぎらせて父上は続けた。

「奴らは私の高等な調べを理解できなかったのさ。だから、思い知らせてやった。身を持って認めさせてやったのさ!」

 そんな、そんなことのためにユイルは――。でも、でも――。ピスカはその場に崩れ落ちた。工具が地面を転がる。わたしも同じだ。両手で顔を覆う。わたしも、ユイルを復讐の道具としか見ていなかったんだ。

 わたしに父上をとがめる権利なんてないじゃないか。儚げな白い髪が震える。

 父上は工具を手に取った。息を荒らげ、ピスカに近づく。

「失敗作だ。お前は、私の期待を裏切った。もう、必要ない」

 刃が持ち上がる。

 ピスカはそれを見た。

 振り下ろされる、鈍い銀白色の軌道を。

 目の前が闇に包まれた。

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