第25話

 ピスカは僕が助けることを望んでいなかった。僕が玩具なのに感情を持ってしまったこと。命令を聞かなかったこと。勝手に助けにいったこと。ぜんぶピスカは喜んでいなかった。

 父上がピスカを殴った。良い気味だ。

 父上がピスカに言った言葉。それはピスカがユイルに浴びせた言葉と同じだった。

 所有物と烙印を押される気持ち。ピスカもそれを分かればいいんだ。

 ユイルはじっと眺めていた。

 湧き上がる感情に気づかない振りをしようとした。無意識のうちに剣を握り締め、それを抜こうとしている事実から、目を背けようとした。僕がなにをしてもピスカの迷惑になるだけだ。これがきっと正しいことなんだ。

 樹木が腐っていくかのように、身体の中に軋みを感じた。吐き出す息は細く、胸が苦しい。僕は助けるべきじゃないんだ。

 父上が工具を持ってピスカに近づく。

 暴力を振るうことでなにが解決するっていうんだ。相手を黙らせて自分の主張を通すことでピスカが喜ぶというのだろうか。

 父上が刃を持ち上げた。

 自業自得だ。ピスカが悪かったのだ。これはその、報いだ。剣柄を握る力が強まる。

 ――ほんとうにいいの?

 心の中で誰かが呼びかけた。

 ――ピスカがさっき言った言葉。それを聞いてなかったの?

 聞いてたさ。けど、僕には分からないんだ。

 ――それは嘘だよ。君は知っているはずだ。だって僕が知っているんだから。

 ……君は誰なの?

 ――僕は僕さ。

 ……僕は、どうすればいいのかな。

 ――自分の気持ちに正直になりなよ。いまを逃したら、もうその機会はないかもしれないよ。

 ユイルは、目を開けた。眼前で催される殺戮の瞬間。それを、ただ眺めていることが僕のしたかったことなのだろうか。僕が感情を持って選びたかったことなのだろうか。

 ピスカが報いを受けて、苦しんでいるのを、僕は望んでいたのか。

「違う」言葉が出た。「僕がしたかったことなんて、最初から一つじゃないか」

 刃がピスカに迫る。

 僕が望んでいたのは――。

 鋭い金属音が室内に響いた。ピスカの前に立ち、刃を剣で受け止める。

 僕は、ピスカを助けたい。ピスカに笑ってもらいたいんだ。

 腕に力を加え、工具を弾いた。父上が目を剥いて見る。

「ほら、見てみろ! 命令していないのにお前を助けたぞ!」

 興奮し、唾を撒き散らしながらユイルを指差した。

「すばらしいよユイル。その力、構造の仕組みが早く知りたい」

 そう言うと父上は壁際に向かって歩いていった。

「素晴らしい。ほんとうに素晴らしい魔具だ」肩越しに振り返る。「ピスカよ。どうやって造ったんだ? 言葉を操り、人の形をし、そして思考をする。お前はユイルの魂を引き剥がすときになにかしたのか?」

 ピスカは足元をふらつかせながら立ち上がった。

「わたしがそんなことするはずないじゃないですか!」

「なにをいきり立っている?」

 父上は立ち止まり、振り返って眉間にしわを寄せた。

「ユイルは……死んだんですよ?」

 震える声でピスカはそう言った。

「そうなのか? ではどうやったのだ?」

「そういうことを言っているんじゃありません!」ピスカは肩を揺らし、声を張り上げた。「殺されたんですよ。街を襲った魔具によって」

「そうか」父上の目が見開いた。「そうか、そうか! ちゃんと私の造った魔具は街へと辿り着いたのだな? ああ、良かった。自信はあったが確信はなかったのだ。ああ、でもやっぱり精神は生まれ育った場所へと戻りたがるのだな」

 父上の声は明るかった。それを聞いたピスカは力なく崩れ落ち、へたり込んだ。

「なんで……どうして?」ピスカは言った。

 ユイルと顔をあわせる。

「ユイル……ごめんね」ピスカが震える声で言った。

 ユイルは首を振った。

「僕の方こそ、ごめん」

 ピスカは唇を噛み締め、瞳に涙を溜めた。そして、何度も何度も首を振った。

 分かっていたんだ。ピスカの気持ちは。なぜ十年来に会った人を即座に父上と断言出来たのか。それこそがピスカの心を表していた。ずっと会いたかったのだろう。父親という存在に、自分が無条件で頼れる人物に。

「さあ! 早く実験を再開しよう!」

 父上は壁の一つの燭台に火を灯した。油の染み込んだ糸で繋がれているかのように、壁一面に炎の揺らぎが広がる。薄暗かった大空間が、霧が晴れたかのように明るくなった。

「ああ」ピスカは口許を掌で隠した。「そんな、なんで……」

 暗がりに隠れて今までは視認出来無かったもの。いくつもの玩具。大きいものや小さいもの。それに加えてあったのは、壁に立て掛けられた大量の人間の姿だった。死んでいるのだろうか。両手を縄で縛られて吊るされている姿は寝ているようにも見える。

 嘔吐く音が背後から聞こえた。見ると口を覆っているピスカの掌から白い液体が零れ落ちていた。

「ああ、駄目だ。もう我慢出来ないよ。早くユイルこっちに来てくれ」

 恍惚な笑みを浮かべて父上はそう言った。

「ピスカ、あの人たちはまだ生きてる?」

 ピスカはかぶりを振った。何度かむせたあと、言葉を発する。

「魔術で腐らせないようにしてるけど、全部、死んでる」

「そうか」ユイルは剣を構えた。

 殺意を抱いたわけではない。けれど他にこの問題を解決する方法が見つけられなかった。父上を、殺すしかない。決意を瞳に宿す。

 後ろから衣服を引かれる感触。見るとピスカが切実な瞳で見上げていた。

「だめだよ、ユイル」

 まるで心の中を読んだかのような言葉。

「でも、他にどうしろっていうの? このままここから逃げる?」

 ピスカは大きく首を振った。乱れた髪が頬を打つ。

「分からない」視線が下を向く。「けど、だめだよ」

 ユイルは歯をかみしめた。父上が大声で言った

「そうか、そうだったな! ユイル、お前は命令を聞かないんだったな。忘れていたよ」

 耳障りな笑い声。父上が身体をまわし、玩具の一つに言葉を投げた。

「おい、ちょっとあそこの少年を連れてきてくれ」

 魔具が軋みをあげながら動き出した。

「ああ、すまないね」父上は謝った。「もう、ここにはこれしか動けるのが残っていないのだよ。仲間がいなくて寂しいとは思うが、我慢してくれ。つい先日出来たばかりの魔具なんだ」

「まさか……それも」誰かの精神を引き剥がして定着させたものだというのか。

「ああ、ちょうど都合よく死にぞこないの娘を連れてきた老婆がいてね。なかなか元気がいい魂だったよ」

「もしかして――」

 思い出す。王都に来た時ピスカに娘を治して欲しいと懇願した老婆。ピスカを恨んだ原因は帰ってこない娘だった。それを――。

「殺したのか?」ユイルは訊いた。

「なんだ、気になることでもあるのか? でも心配するな。私がいまからお前の頭の中を理解してやろう」

 虫酸が走る。この人間の思考を理解することは不可能だ。それに、この人に自分の頭の中を弄られるつもりもない。ユイルは両手で剣を握った。目を瞑り呼吸を整える。精神を落ち着かせて魔具を見た。

 初めて対峙する物体。けれど確かにそこに既視感があった。胴となる塊に、そこから伸びる部材。脚部であろうそれは木材や金属材が使われていた。父上の背丈よりもやや大きいが、それほど脅威には思えず、また動きも素早そうには見えなかった。

 蜘蛛のように蠢く脚。数にして八本。その動きが止まった。

 一瞬緩んだ警戒心。その一刹那の間に魔具はユイルの懐に移動した。脚の先端が刃のように鋭くなっていた。振り下ろされたそれを、間一髪のところで身を捩って躱した。石畳が傷つき、欠片が飛んだ。

 ユイルはピスカを抱え込み、外へと続く扉まで後退した。

「ちょっと待ってて」

「どうする気?」

「彼女を元に戻す事はできる?」

 ピスカは首の動きでそれを否定した。

 地面を削る音。獲物を探す野獣のように魔具は接合部を軋ませながら蠢動している。

 ユイルは眺めた。元は少女であったであろうその姿を。人ならざる者の歪な形。言葉をなくし動くことでした意思表示することが出来ない構造。自分の仲間だと言われたその姿をしっかりと瞳に焼き付けた。

 はりつめた空気。先に動いたのは魔具だった。一直線にユイルに突進する。振りかぶった脚を剣でいなしながら避ける。剣先から伝わる痺れが力の強さを教えた。

 左に飛ぶ。剣を振り上げた。が、方向転換すると予想した玩具がそのまま別の脚を横薙ぎにした。すんでのところで上半身を後ろに反らして躱す。がその瞬間に既に魔具は次の攻撃を開始していた。反対側の足元から地面を削るかのような斬撃。歪んだ音で大気が震えた。後ろにかかった体重を利用して、そのまま地面を蹴った。上下に流れる視界の中、地面を這うように進んだ脚を、切っ先に体重を込めて突き刺した。

 粉砕した感触。その音が耳に届く前に瞳を貫く攻撃が見えた。身体はまだ地面に落ちていない。躱せない。そう判断し、伸びる脚を蹴り上げた。髪先を鋭い先端が掠める。

 片手をついて後方回転した。焦点を外さず、次の攻撃に備える。残る脚部は七つ。

 どちらが前でどちらが後ろか分からない形状。しかしその攻撃はあまりに単調で、ただ脚を振り回しているだけだった。それはまるで、自らの身体に違和感を覚えているかのようだった。

 地面を蹴る。斜め上から振り下ろされる脚。跳躍でそれを避け、地面に刺さった脚に片足をのせ、さらに跳躍。予想通りに反対側から繰り出される攻撃を躱し、それを根元から切り離す。残りは六本。

 繰り返される攻防。生命に与えられた動作という領域を軽々と凌駕した能力。一見ユイルの有利に進んでいると思えた争い。けれど二つの物体の間には明確な違いが存在した。

その絶対的な相違こそが戦いに決着をつけた。

 それは感情。

 ユイルは自分でも無意識のうちに刃に恐怖を感じていた。避ける。というユイルを優勢にした行為こそが、魔具には持ち得ない弱点だった。

 四本の脚を地面に捨てた魔具。そしてユイルに迫った。予期している攻撃、同じようにいなそうとしたユイル。が、足がなにかに取られた。視線を瞬時に動かす。それは魔具が地面につくった小さな穴だった。

 一瞬の隙。眼前に迫る刃のような脚。もし、ユイルが体躯に傷を負うことを恐れずに踏み込んでいたなら、自身が痛手を受けたとしても決定的な攻撃を加えることが出来たかもしれない。

 けれどユイルは、目の前の斬撃を躱すために、背中から地面に倒れる。最初の一撃目を剣で受けたが、二撃目に対処出来る時間は存在しなかった。

 顔面を穿つことを許された脚。その硬質で尖った先端が振り降りるのを認識した。

 僕は、死ぬんだ。

 そう思ったとき、突如として頭の中で映像が迸った。

 


 二人の人が遠ざかっていく。僕は誰かに強く手を握られていた。その腕の先にあったのは年端のいかないピスカの顔だった。唇を噛み締め、去りゆく影を見つめている。

 


 誰かが僕に悪口を言った。石を投げつけてくる。誰かが現れた。先程より少し大きくなったピスカが、僕を身を呈して守っていた。



 僕が泣いていた。誰かの胸の中で。ピスカの声が聞こえる。優しく温かい声だ。僕の頭を撫でて、背中をさすってくれている。



 これは記憶だ。幾つもの記憶の欠片が映像となって再生される。その中で、僕はいつも怯えたり泣いたりしていた。そして、いつも、ピスカが僕を守っていた。その強い背中に庇われて、包み込む腕に抱かれて、僕は、あの街で育っていたのだ。

 突然、鋭く尖った先端が目の前に迫ってきた。ああ、元の状況に戻ったんだ。さっきのは死ぬ直前に記憶が流れたのだろうか。皮膚に脚の先が触れた。もう逃げられない。

 玩具の脚が、皮膚を貫き、頭蓋骨を粉砕し、そして脳味噌を、穿った。

「姉……さん」

 視界が闇に覆われた。

 圧倒的な悲しみが頭の中に溢れる。けれどこれは僕の心じゃない。これは、この感情は、魔具から伝わってきたものだ。



 僕は死んだんだ。そう、悟った。漆黒の中でユイルは考える。僕はまた、ピスカを独りにしてしまうんだ。ずっと守ってもらってたのに、僕はなにも出来なかったな。ごめんね、姉さん。黒に染まった世界で、ユイルは考える事をやめようとした。

 とその時、どこからか声が聞こえた。懐かしく。ユイルが好きな声が、叫ぶように呼んでいた。

「……ユ……イル」

 飛び飛びに聞こえたその言葉が、徐々に明瞭になってくる。

「ユイル!」

 目を開いた。眉間から拳一個分離れたところで玩具の脚はとまっていた。思考が活動を再開する。僕は、生きていた。遠くで叫ぶピスカの声。間違いない。これは現実だ。

 ならさっきの映像はなんだったのだろう。確かに頭を穿たれた感触があった。あれも現実に起こったことのはずだ。それなのに――。

「逃げてよ! ユイル!」

 我に返った。自分がまだ生命の危機にさらされていることは間違いない。ユイルは剣で脚を弾き、踏みつけるように胴体部を蹴り飛ばした。わずかな距離が開く。体勢を立て直し、剣を構えた。

 けれど目の前の魔具は、先程と同じ存在とは思えないほど動きが鈍かった。剣を持つ手を下ろした。

「もう拒絶反応が出てしまったのか」

 首をまわして声を発した人物を見る。父上は肩を落として嘆息した。

「生前に弱っていたのが悪かったのか。それとも玩具の質が悪かったのか」

 と、父上は眉根を寄せて言った。腕を組み、首を傾げながらなにかを呟いている。

 魔具が動いた。緩慢な動作で、残る四本の脚を軋ませながら父上に近づいていく。

「おお、もしかして主人の元に戻るという知能が出来たのか」

 目を見開いて父上はそれを観察した。静寂の中、魔具の脚音だけが空気を震わせた。

 父上が抱きしめるように両腕を広げ、笑顔で言った。

「さあ、解体して部品に戻すとしよう」

 魔具の脚がゆっくりと持ち上がる。そして一刹那の間、その動きは速くなった。父上が自覚するよりも早く、鋭い矛と化した脚部が腹部を貫いた。

「えっ?」父上は声を漏らした。身体が前に倒れ、自然と魔具に覆い被さるようになる。

 口から血を吐いた。自分の腹に手をあてて、致命傷を与えられていることを認識する。

「私を、殺したというのか……命令していないのに……私はやり遂げていたのか……それとも――」視線がユイルを向いた。

「父上!」

 ピスカが叫び声をあげながら駆け寄った。動かなくなった魔具から身体を抜く。腹部にできた大きな穴から溢れるように血が流れた。

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