第22話

 王都の外れにある、影が空気を覆っている場所。

 暴虐を受けていた。抵抗する気力など初めから存在せず、ただなされるがままになっていた。瞳にすでに力はなく。口の周りに血反吐が溜る。内臓が潰れる音。骨が軋む音。ピスカの弱々しい力では、逆らうことが出来無かった。

「声も上げなくなったな」

 金髪の男が腹部を蹴り上げながらそう言った。

「そうみたいだな」

 靴先で身体を返し、踏みつけられた。呻き声が漏れる。

「おい、もう落としちまおうぜ」

「そうだな」

 ピスカは地面の上を足で動かされた。

 丘の上にある王都カエサリウム。そこには死体置き場と呼ばれるものが存在した。ヒンノムと呼ばれたその谷は、大量の死体が毎日放り投げられていた。汚れたものや死骸の骨を燃やすために絶えず火が燃やされている場所。その場所にピスカは落とされようとしていた。

 身体を動かす力はもうどこにも存在していなかった。混濁した意識の中でピスカは考える。今頃父上は怒っているだろうか。せっかく頂いた仕事すらわたしは満足にこなすことが出来無かった。ユイルは心配しているだろうか。それとも、わたしがいなくなって喜んでいるのだろうか。まだ、ちゃんと謝れてなかったな。

「ユイル……」半身が縁から落ちる。「ごめんね……」

 体躯が落ちる。視界が流れる。

 わたしは強くなれなかったんだ。

 強くなれたら父上を喜ばせられると思った。

 強くなれたらユイルを守れると思った。

 ごめんねユイル。ごめんね。

 意識が闇に包まれそうになる。

 とその時、何者かに手を掴まれた。身体が揺れる。泥の塊が落下して、炎を揺らした。火の届かない場所でわいた蛆が衣服に付着する。

 誰だろう。必死に焦点を合わせる。空を背景にして、姿が見えた。

「ユ、イル」

 腕を引かれる。地上に戻された体躯。ユイルは腰の下に手をいれてピスカの上体を起こした。来てくれたんだ。謝ろうと思った。けれど先に口を開いたのはユイルだった。

「ごめんね」

 なんで謝るの。なんで悲しそうな顔をするの。

 ピスカはかぶりを振った。謝らなきゃいけないのはわたしの方だ。

 わたしが何もかも悪かったんだ。

「また、お前かよ」たじろぎながら男が言った。

「私は、か、関係ないわ。ただここで見ていただけよ」老婆が衣服で顔を隠しながら言った。広場でのユイルの動きを知っている三人に戦う意志など毛頭なく、少しずつ後ろに下がりながら目の端で逃げる道を確認していた。

 ユイルはゆっくりと剣を抜く。太陽の光が反射して剣身が輝く。

 三人の顔が引きつる。

「おいおいやめろよ。お前とやる気なんてねえんだからよ」金髪の男が言った。

 ユイルは剣を握り締め、歩く。

「そういうことじゃないよね。いま言うべきことはさ」

 力なく垂れ下がった腕。地面に向く剣先。揺れる足取り。

 歩幅三つ分の距離。

 三人は逃げ出した。

「はは、なんだこの感情は」ユイルは掌で顔を押さえて笑った。「あいつらを殺したいや」

 指の間から覗く殺意。脱力したかのように上体を屈め、ユイルは地面を蹴った。

 閃光のような疾走。三人の身体に切り傷を与え、逃走の道を塞ぐ。剣を振り下ろし刃についた血を払う。肢体から血を流しながら三人は逃げる。背後にはヒンノムの谷。

 ユイルは詰め寄る。怯えた顔が三つ。

 剣を振り上げる。金髪の男を見下ろす。

「やめてくれ……俺らが悪かったから」

 逆光で全身が影となる。それはまるで闇を纏っているかのようだった。

 歪む視界の中ピスカは考えた。

 これがわたしの望んでいた光景なのだろうか。わたしのために剣を振るい、わたしのために咎を背負う。こんなことをわたしは望んでいたのだろうか。そんなの、そんなことをわたしがユイルに望むはずがないじゃないか。目の前の存在はもう玩具には見えなかった。

「死ね」

 ユイルは二の腕に力を込めた。刃が振り下ろされるまさにその瞬間。小さな白い手が衣服を掴んだ。あまりにも弱々しい力。けれどその小さな働きがユイルをとめた。

 体躯に残るすべての力をか細い腕に込めて、ピスカは握りしめた。怖かった。ユイルの行動が。このままだとユイルが堕ちてしまう。そう感じた。とめなきゃ、わたしがとめなきゃだめなんだ。

 ユイルが振り返る。地面にはピスカが身体を引きずらせた跡ができていた。

 ピスカは唇を噛み締め、両手で衣を掴み、首を振った。頬についた泥の上を涙が流れた。

 何度も、何度も首を振る。言葉を吐き出す力はない。

 ユイルは腕を下ろした。よかった。視界の中にうつる姿はピスカの知るユイルだった。安心して力が抜ける。意識が薄れていく。握りしめた手が力なく地面に落ちた。

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