第11話
残された二人。静寂を破ったのはロイの言葉だった。
「おい、とりあえずその剣納めてくれよ」
ユイルは剣を鞘に戻した。ロイはそれを確認するとその場でへたり込んだ。
「もう、一体なんなんだよお前らは。さっぱり意味が分かんねーよ」
ユイルは一つしかない出口に足を向けた。
「おい。戻るのか?」
無視してユイルは歩き続ける。
「殺しなんてするもんじゃねーぞ。怨み買うだけだ。得なことなんて一つもねーからな」
ロイの言葉を背中に受けて、その空間から外に出た。梯子を登り、月光を頭皮に帯びる。
ユイルは戸惑っていた。
自分の中に生まれた感情というものの存在に。
なぜ彼を殺したくないと思ったのか、自分でも理解出来ていなかった。
そしてもう一つ。分からなかったことがあった。
「なんで、泣いてたんだろう」
空を仰ぎ、薄い雲の中に漂う月にそう呟いた。
なんとなく顔をあわせるのが気まずい。
ユイルは行く当てもなく歩いた。足を進める度に、頭の中で思考が巡る。
僕は玩具だ。ピスカの手によって確かに造られたはず。それ以上でもそれ以下でもない。けれど、僕はピスカの命令に逆らってしまった。従いたくないという気持ちを抱いてしまったのだ。自分の行動に、自分が納得できない。
俯き加減で歩いた。祭りも終りを迎え、人々は片付けに勤しんでいた。前から歩いてくる老人が目に入る。足元はふらつき、不安定だった。ユイルはあたらないようにと避けて通ろうとした。がしかし、すれ違う瞬間に老人の足がもつれ、ユイルに倒れ込んだ。慌てて抱え上げて支える。老人が片手を上げて言った。
「おう、すまねぇな」
吐く息は酒臭い。よろよろと立ち上がる老人はユイルの顔を見ると、眉間にしわを加えた。
「なんでぃ、しけたつらしてるなぁ。なんかあったんだろ? そうだろ?」
「いや、そんな」ユイルは早く立ち去りたくて言葉を濁した。
「おいおい、そんなまずい飯食ったみたいな顔して朝日を迎え入れちゃいけねぇよ」
老人はユイルの腕を掴んだ。
「ちょっと来い! せっかくの祭りなんだ。みんな笑顔で帰るべきだろうが」
「えっ? でも僕はちょっと」
「心配すんなって、金だろ? そんなん払ってやる、払ってやる」
強引に腕を引っ張る老人。ユイルは首を巡らせて助けを求めようとするが、そこにピスカの姿はなかった。引きずられるようにして連れていかれた場所は広場で片付けをしていた屋台の一つだった。
「おい。酒出してくれよ」
店主のしかめ面が返される。
「おいおい。もう日が落ちてから長いんだ。今日はもう終いだよ」
「そんなこと言うんじゃねぇよ。みろよこいつの顔。そこでばったり会ったんだがな、こんな良い日だっていうのに、母ちゃんに怒られたみてぇな顔してやがる。おれの役目はなぁ、こいつを笑顔にすることなんだよ」
呂律がまわらない口調で老人はそう言った。ユイルの背中をバシバシ叩く。老人は脇に横倒しで並べられていた椅子を起こし、一つをユイルに差し出した。座ったのを見て、老人は満足そうに腰を下ろす。
「ぶどう酒をくれ」
「だから今日はもう終りだって言ってるだろ。明日にしてくれよ」
店主は腰を屈めて店仕舞いを続ける。
「おいおい。頼むよ。一杯だけだ。一杯飲んでこいつの顔をまともにしたら帰るからよぉ」
店主は大きな溜息をついた。やれやれ、と頭を振る。
「一杯だけだぞ?」
「分かってる」
「それ飲んだらさっさと帰るんだな?」店主は念を押した。
「そりゃあ約束は守るさ」
と、老人は両手を広げてこたえた。店主は片付けていた机を一つ引きずりながら出した。その上に器を置き、小樽からぶどう酒を注ぎ出した。老人は瞳を輝かせてそれを見る。
「そっちのはなに飲むんだ?」店主が訊ねた。
「あっ、僕はそれじゃあミルクを」
怪訝そうな顔が二つユイルを見る。
「おいおい、せっかくの祭りだぞ? んなもん飲んでも気分晴れないだろうが」
ぶどう酒もう一杯な、と老人は勝手に注文し、また店主もそれを受けた。ユイルの前に紫色の液体が注がれる。甘味と酸味のいり混じった匂い。
「ほれ、飲め飲め」
そう言いながら老人はすでに口をつけていた。両手で器を持ち、ゆっくりと口許で倒した。喉を通った液体が、擦り合わせた木のように身体の中を熱くする。
「どうだい? うめぇだろ?」
ユイルは曖昧に頷いた。老人は頬を緩めて何度も首を下げ、あくびを口から吐き出しながら訊いた。
「んで? なにがあったんだ? 話てみろ」
ユイルは膝の上に両手で握りこぶしをつくった。
「大丈夫だって、今日は祭りなんだ。他のやつに言いふらすなんてぇ野暮なこたぁしねぇよ」
ユイルは視線を下に向けて、口を開いた。
「僕は自分のことが分からないんです」
誰かに聞いて欲しかったのだろうか。心にある言葉は淀むことなく喉から漏れた。
「僕は玩具なんです」
店主は屋台を崩した部材を綱で括っている。老人は微笑を顔に浮かべたままユイルを見ている。
「そうかい。お前はガングさんなんか。そいでどうしたんだ?」
「驚かないのですか?」
老人は笑顔を貼りつけたまま少し首を傾げた。
「なにをだい?」
「あっ、いえ……」
老人から観察されても玩具として認められているということは、僕はそれなりに役目は果たせていると言うことだろうか。
「僕は自分の身体のことも何も知りません。ピスカの手によって造られて、ピスカの指示に従うということだけが初めは頭の中にありました。けど、なんだかおかしいんです。言われた命令に対して疑問を抱くことがあるんです」
ユイルは唇を噛んだ。朧気な月明かりは、ユイルの白色の髪に曇を塗った。
「本当はそうあるべきでないのは分かるんです。けど、感情が邪魔して……。絶対服従、それに完璧な遂行こそが玩具として正しいあり方のはずなのに……。僕はどこか壊れてしまったのかもしれない」
ユイルは胸もとを握りしめた。老人は器を広げた口の上で振り、最後の一滴を舌で味わった。手の甲で口元を拭い。話し始める。
「ガングさんが言いたいことはよぉく分かった。つまりあれだろ? いいことをしてぇんだよな?」
そういうことなのだろうか。よく意味が分からずにユイルは複雑な顔を返した。それに構わず老人は言葉を続ける。
「いい事じゃねぇか。それが上手くいかなくて悩んでるたぁ。たまげた根性だなぁ」
老人はユイルの背を叩いた。
「まあ気にすんじゃねぇよ。ほら、俺だってなんとなくだが生きてんだろ?」老人は両腕を広げた。「なんで飯食って、んでぶどう酒飲んだだけで働けるようになるのかはさっぱり分からねぇけどな。しかも身体まででかくなるんだぞぉ? まあ最近は全部こっちにもってかれちまうけどな」老人は自分の腹を摘んだ。
「まあ良く分かんねぇ訳さ。感情がどうとか言ってたが、あれだ。お前にどうしようか決められる選択肢があるならぁ、喜ぶべきだなぁ。俺なんて母ちゃんの言う事ただ従ってるだけだしなぁ。お前の価値は自分で決めるんじゃねぇ、他の奴らが決めるんだ。分かるかぁ?」
ユイルはまた曖昧に頷いた。
「だからなぁ、自由ってのがあるならな。お前にきっと正しいことを選択してもれぇたかったんだよ。おめぇの意志ってやつをよぉ……示して欲しかったんだろうよ」
老人の言葉は徐々に聞き取れなくなっていった。
「だからよぉ、自分で正しいと思ったことすりゃあ、そんでな……いいんじゃねぇか……」
老人は口をもごもご動かしながら机に突っ伏した。店主が眉間にしわを寄せ、首を振りながら近づいた。
「こんなとこで寝ねえで自分とこに戻りな」
そう言って老人の肩を揺すった。
「うるせぇなぁ。俺は俺のやりたいようにやるんだよ」
老人の言葉が鼓膜を震わせ、頭の中でこだました。言葉の真意は分からなくても、なぜかその言の葉は体躯を巡り、身体の一部になったように染み込んだ。空に薄く掛かっていた雲が晴れ、月光が白色の髪を輝かせた。
ユイルは立ち上がった。店主と視線が交わる。
「おい。いいのかい? あんたの言ってたとおりいい顔になったぞこいつ」
と、店主は老人の頬を掌で打ちながら言った。
「母ちゃん……そんなに怒らないでくれよ」
顔をしかめながら老人は同じ譫言を繰り返した。
ユイルは深く頭を下げる。
「帰るのかい?」店主が訊ねた。
「はい」ユイルはこたえる。
「そうかい。まあこいつの後始末はやっとくから、そっちはそっちで頑張りな」
ユイルはもう一度お辞儀をした。
「そんなにかしこまるな。今日は祭りだ。気楽にいこうじゃないの」
店主はそう言って歯をみせて笑った。
今度は小さく頭を下げて、そこから立ち去った。足取りは重くはない。一歩一歩石畳を踏みしめながら、戻るべき場所に足を向けた。宿屋の門を通る。ユイルの気配を感じたのか、井戸の側で馬がいなないた。人影はもちろんなく、部屋から漏れる光もなかった。もうきっと寝床に入っているのだろう。
ユイルは足音を忍ばせながら戸口に近づいた。小さく手を丸めて扉の前に挙げるが、叩かずにそのまま降ろした。把手を握り、扉をゆっくりと開いた。蝶番が音をたてる。
差し込む窓からの光。ユイルは部屋の中に足を踏み入れた。
「遅かったじゃない」
体躯が跳ね上がった。声のした方に目を向ける。月光の届かない部屋の隅。そこにピスカは座っていた。肩をすぼめ、両膝を抱いて視線を落としている。背中に氷柱を差し込まれたような震えがはしった。
「なにをしていたの?」
ユイルはじっとピスカを眺めた。
「どうでもいいわね。玩具がどうしようかなんて」
と、ピスカは吐き捨てるように言った。ゆっくりと腰を上げる。視線を合わせずにユイルに近づいた。そして腰帯で支えられた鞘から剣を抜いた。
「ねえ、ユイル」
部屋に差す光が消えた。
「命令を聞けない玩具なんて存在する意味があるのかしら」
徐々に外から雨音が聞こえ出した。通り雨だろうか。
「いらないわよね。そんなもの」
剣の先端が緩慢な動きで持ち上がる。切っ先がユイルの鼻の前でとまった。
「ねえ、このまま――」
壊れちゃえば。
雷が轟いた。閃光が迸り、一瞬ピスカの表情を照らした。口元を不気味に歪め、眼は生気を失っていた。髪は乱れ、影をつくる。
ユイルは身動ぎもせず、静止していた。
「つまらないわ」
剣先が下がって地面を刺す。
「なによ。その目」
ピスカは戸口に足を向けた。
「玩具を壊したって、なんも得にならないわ」
ピスカはそう言うと、風で揺れる扉を押して外に出た。どこに行くのだろうか。背中を追いかける。いつの間にか厚い雲が月を隠し、王都が闇に覆われていた。降り注いだ雨が即座に衣服を重たくし、身体に張り付かせた。
「どこに行くの?」ユイルは訊ねた。
腕を垂らし、握った剣の先で地面を削りながらピスカはこたえた。
「殺しに行くのよ」
雨音に邪魔されながらも、その言葉はユイルに届いた。頭の中にロイから聞いた家の特徴が流れる。
「でも、祭りの日に人を殺してはいけないとロイが――」
ピスカは鋭い瞳でユイルを睨みつけた。歩みを止めずに呟く。
「なんなのよこの玩具は……わたしの言う事に従わないだけじゃなくて、わたしに意見する気なの? しかもあいつのこと名前で呼ぶなんて、本当に最高の裏切りだわ」
ピスカは足を動かし続ける。
「わたしが間違っていたわ。玩具なんかに頼ろうとしたのがだめだったのよ。そうね……きっと造り方を間違えたのよ……そうに決まってる。こんなのがユイルのわけないじゃない。ほんとにもう――」
玩具なんて造らなければよかった。
ユイルの足が止まった。言葉が、頭の中に渦を巻く。風雨が強まる。降り注ぐ雨が礫のように皮膚を打つ。目を開けていられない。視界が霞む。ピスカの背中が遠くなる。
刹那、ユイルは踵を返して戻ろうかと思った。あの背中を追う意味が果たして自分にあるのかと疑問を持った。ピスカは僕を必要としていないじゃないか。それなら僕だって自分の思った通りに――。
けれども消えていくピスカの姿を見て、自然と足は動いていた。踏み下ろす靴で水しぶきをあげながら、小さくなった背中を追った。
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