第10話

 賑わう人ごみの中ピスカたちは足を進める。一周りしたら宿屋に戻ろう。さすがにあの宿主でも最後まで参加しろとは言わないだろう。広場では様々な屋台が出ていた。肉、パン、野菜などの食べ物や、大麦で作られた何かを象ったもの。ピスカは表情を曇らせながら歩いた。あの人たちは何を信じているのだろう。豊穣の神がいるとしても、このような催しをはたして喜ぶことがあるのだろうか。

「神への敬意も奉仕の心も、犠牲の品すらないじゃない」

 ピスカが嘆いていたら一人の店主から声を掛けられた。

「そこの方々、ちょっとやってみないかい?」

 差し出されたのは弓矢。見ると屋台には大樽が横向きに置かれ、底には的と思われる円形の模様が波紋のように描かれていた。

 祭りというより、ただ浮かれ騒いでるだけじゃない。とピスカは心のなかで言った。

「おやおや、なにやら難しい顔をしているね。でも大丈夫。矢を見事当てたら気分をすっきりするさ」

 ほら、と言って弓をピスカに渡した。そして空いた手をひらひらと振る。

「銀一シェケルでいいよ」

 店主の笑顔にピスカは嘆息した。腰帯から袋を取り出し、銀貨を渡す。

「はいどうも。じゃあこれが弓弦と矢ね」

 ピスカは受け取ったそれをそのままユイルに渡した。

「弓の扱いなんてわたしにはできないわ。さっさと当てて戻りましょう」

 ユイルは頷く。弓の片側に弦を取り付け、その端を地面に足で押さえながら他方の端を曲げて弓を取り付けた。ピスカはそれを見て違和感を感じた。いま当たり前のようにわたしは弓を渡した。けれど今のユイルは玩具だ。わたしが与えられた情報のみを知り、わたしが備えた行動の型だけをすることが出来るのではないか。なら、なぜわたしが知り得ない弦の張り方をこのユイルは知っているのだろうか。

「大当たりー!」

 はっと我に返る。ユイルが射った矢が大樽の底に深く刺さっていた。店主が目を見張りながら、賞賛の言葉を与える。

「いやー、すごいよ。矢ってここまで強く刺さるもんなんだね」

 感心したように首をよじらせて矢を観察する。

「それで?」ピスカが訊いた。「これ当てたらなにかあるの?」

 店主は顔に微笑みを張り付けながら質問を返す。

「なにが?」

「いや、だって矢が刺さったでしょ? 大麦やら金貨やら貰えたりは――」

「祭りですよ?」店主の強い口調が被さる。「あなたの銀貨はきっと神に捧げられました」

 作られたにこやかな顔。形式上の言葉。ピスカは言葉を失った。侮蔑の視線を突き刺しながらその場を離れた。ユイルは弓を返し後ろを歩く。

 怒りを通り越してピスカは呆れていた。神に感謝をするどころか、嘲笑しているだけじゃないか。込み上げてくる怒りを押さえながら、宿屋へと足を向けた。人々の耳障りな声が神経を掻きむしる。喧騒がピスカの心を濁していく。

 自分が何に対し苛立を覚えているのか分からない。そのことがさらに感情を刺激する。

 静かな場所に戻りたい。そう思い祭りから背を向けて宿屋の門を通ろうとした。

 とその時、突然背後から歓声が沸き起こった。それとともに何かが軋む音。その音にピスカは、聞き覚えがあった。

 心臓が高鳴る。

 村を襲った大型玩具の肢体が蠢く音。

 皮膚の上を何かがはしった。

 ピスカは振り返った。そして、見た。

 祭りの、広場の中心となっていたやしろ。それが形を変えてゆくのを。

 骨組みとなっていた柱。接合部分が関節のように動く。掛けられていた模様の描かれた布は巻き起こされた風により吹き飛び、人々は腕で顔を覆った。ピスカは目を細め、驚愕する。

 無数の脚が生まれ、木の先端が地面を掻く。蜘蛛のように複雑な蠢動をする肢。飛ばされた大麦。その隙間から見える胴体部分。そこには人が乗っていた。結合部が動作する度に揺れる。

 ピスカは目を剥いた。

 周りの大声も耳には届かない。やしろから産まれた大型玩具は、踊るかのように脚を動かし人々の注目を集めた。その一挙一動に拍手が飛ばされる。

 頭の中で思い出されるのは、都市を破壊し祭壇を粉砕した――あの大型玩具。相違点はあれど二つはとてもよく似ていた。小さな体の奥底から燃え上がる憤怒と憎悪。

 そして頭を過ぎったのは、青年ロイの姿。

「そうだ、このやしろを、玩具をつくったのは――」

 強く握りしめた手。その白い甲には青い筋が浮かび上がっていた。

 足が動く。首をめぐらしロイを探す。両手を上に挙げ騒いでいる人々を掻き分け、ピスカは進む。瞳に宿った殺意を四方に撒き散らしながら、ピスカは駆ける。乱れた呼吸。心臓が体躯に四散したかのような感覚。

「どこだ……どこにいる」

 振りかかる怪訝そうな顔。周りの何もかもを意識の外に弾き出し、ピスカの瞳孔は視界に入ったロイを、捉えた。身を屈め、足に力を込め、肺にあるすべての空気を吐き出して言葉にしようとした。

「おま――」

 突然言葉が遮られる。覆いかぶさったユイルの手によって。ピスカは首をよじろうとしたが、身体を引きずられ路地裏に連れていかれた。

 この手をどけなさい。声にならず、振動は口内だけに響く。視線でユイルに訴える。がユイルはかぶりを振った。ピスカの刺すような眼光。けれど、もがいても口と腕を掴むユイルの力からは逃げることが出来無かった。

 ――どこまでわたしの邪魔をする気なの? 誰のためにやってると思ってるの?

 眼差しでユイルに訊ねる。

 ――どうして? なんで?

 けれどもユイルはこたえずに、顎で向こう側を示した。ピスカは眉をひそめながらも視線を移した。ロイを見、また感情が高まるのを自覚する。

「誰かいるよ」

 と、ユイルが言った。狭くなった視野を少し広げてみると、その言葉の意味をようやく理解した。ロイは話している。そしてその会話の相手には見覚えがあった。王都の外でも会い、広場の争いをとめた人物。王都護衛団の隊長と呼ばれていた男だった。思考が冷静に働き始める。首の動きでもう大丈夫だということをユイルに伝えた。拘束していた掌がなくなる。ピスカは詰まっていた息を吐き出し、もう一度ロイと隊長を観察した。

「何を話してるのかしら?」

 表情から和やかな雰囲気を感じ取れるが、ここからだと内容は聞き取れない。ピスカは辺りを見回した。もう少し近くにどこか身を隠せる場所はないかと。すると先刻ユイルが的当てをした店の店主が大樽を積み上げていた。どうやら祭りの終盤が近づいたのか片付けをしているようだ。ピスカは小さく頷き、そこを目がけて疾走した。大樽の影に隠れる。手招きをしユイルを誘導する。

 背中を大樽に預け、身を捩ってピスカは見た。声が聞こえる。耳を済ませて二人の会話を聴いた。

「先日賊が王都を襲ったこともあって、我々も警戒心を募らせていたのだが、こうして無事に終りも迎えそうだと、やっと安心できる」隊長が言った。

「そういやあ、そんなこともあったな。まあ色んな所を攻めて征服してきたからなこの国も、恨まれて当然っていやあ当然か」ロイが言った。

「それは仕様がないことであろう。戦いは王都カエサリウムの事業であり、我々の生活だって少なからず征服を行って得た分捕物で支えられているのだからな。おお、それにしてもすごいな君が造った玩具は、素人目でも凄さが分かるよ」

「そうかい? そう言ってもらえりゃあ嬉しいけどな」ロイは照れたように鼻下を指で掻いた。ピスカの拳がきつく握られる。「それよりもどうしたんだ? なにか用があって俺んとこに来たんだろ?」

「ああ」隊長は咳払いをし、言葉を続けた。「実はなその賊が襲ってきた際に柵が燃えてしまったのだよ。連中の火矢によってね。それで修復作業に入っているんだが、どうせならもっと大きな障壁を造ろうかと考えているのだよ。いっその事石を積み上げた外壁を造ってもいいかなとね。二重の頑丈な壁だ。流石に侵入しようとしてくる輩も減るだろう」

 隊長は少し興奮気味にそう言った。ロイは顎に手をあて考えるように頷く。

「なるほどね。それで俺が造った玩具が欲しいと?」

「そうだ。あれなら簡単に大きな石やレンガを運ぶことも出来る。効率もあがることだろう」

「そういうことならいいけど、あの祭りでつかったやつは耐久力が弱いからちっと時間かかるぞ? それでもいいか?」

「ん? 以前造ったやつはどうしたんだ? あいつはいい。繊細な動きも力強い動きも出来るからな」隊長が訊いた。

「あれは売っちまったよ」ロイは即答した。「元々依頼品だったし、高い値がついたからな」

 そうか、と隊長は肩を落とし嘆息した。

「では出来るだけ早く重いものを運べ、細かい動きも可能な大型玩具を製作してくれ」

 隊長はそう言うとロイの肩を叩き去っていった。ロイは腕を組み、肩越しに振り返った。慌ててピスカは顔を引き、身を隠した。

「あいつをどうにか組み替えればいけるかな? ああ、こんなことなら最初から祭り用じゃなくて機能を増やしておくんだったぜ」

 言葉の後に足音が続く。ピスカが顔を覗かせると、ロイが頭を掻きながらどこかに向かっているのが見えた。気配を消してあとをつける。広場の熱狂から遠ざかり暗い静寂の中にロイは進んで行く。

「どこにいくのかしら」

 路地にある建物は調べた。だとするならやはり王宮へと向かうのだろうか。そうだとするなら、本当に自分はロイを討つことが出来るのだろうか。ピスカはかぶりを振った。違う、そうじゃない。可能かどうかじゃなくて、わたしはやらなくちゃ、果たさなくちゃいけないんだ。力を込め握った拳は震えていた。ユイルはその拳をじっと見ていた。

 ロイの影を追う。しかしピスカの推測とは異なって、その歩みは路地の方へ進んでいる。

 しかもピスカが探索を済ませてある場所。いったいなぜ――。

 ロイの足がとまった。首をめぐらせて辺りを警戒している。ピスカは息を潜めてそれを監視した。と、ロイが扉に手を掛け、建物の中に入った。音を立てずに後をつける。

 戸口の前に立ちピスカは気づいた。

「ここって無人の家かと思って調べたところじゃない」

 今にも崩れそうなレンガ造りの壁。傾いた扉。そのどちらも記憶に新しいものだった。戸に耳を寄せ、中の様子を窺った。人が動く音、それに何かが移動した音がした。何かを引きずっているのかしら。

 しばらく経つと静かになり、いつの間にか人の気配も無くなっていた。寝たのだろうか。ピスカは体の向きを変え、壁沿いに歩いた。大きめの隙間を見つけ覗き込む。

「あれ? どうして――」

 一部屋しかない建物。けれどもどこにもロイの姿はなかった。身をよじって視線をめぐらせる。しかし人の姿を捉えることは出来無かった。出入口は一つ。窓から出た様子もなかった。ロイの姿は忽然と消えてしまった。

 ピスカは戸口にまわった。扉に手を掛ける。が、開けることに対して躊躇した。

「もし、罠とかだったら、どうしよう」

 左手を胸もとにあてる。心音が高まっているのを認識する。瞳を閉じ、深い呼吸をした。瞼を上げ、辺りを見回す。

「あっ、やっぱり」

 壁に立て掛けてある梯子を見つけた。周りに人がいないことを確認し、梯子に手を掛けた。登ろうと足を掛けると、衣服を引かれた。首をよじらせる。

「どうしたの?」

 ユイルがピスカの外套を握っていた。ユイルはゆっくりと口を動かし、

「僕が先にいく」

 と言った。ピスカは目を剥いた。戸惑い、唇を動かす。が、ピスカが言葉を発する前にユイルは梯子を奪い、登り始めた。慌ててあとに続く。足を一歩進ませる度に軋んだ音が静寂の中響く。屋根に足を踏み下ろす。ユイルは中央に進む。ピスカは欄干に手をやりながら、下を覗いた。粘土が所々剥がれ、むき出しの枝木や葦が見えた。

「やっぱり、いない」

 月光が差し込み、室内に斑模様が出来ていた。そこに生物の気配はない。

 当然上からだと死角は存在しない。

「消えた……?」

 そんなまさか。人がそう簡単に消えるはずない。ピスカは頭を振った。ユイルに視線を移す。ユイルは下を向き、何かを注視していた。

「なにかあるの?」

 ピスカが手摺りから手を離し近づく。ユイルが顔を上げた。手をかざし、口を開く。

「待って。こっちは――」

 言葉が途中で途切れた。押し殺した悲鳴が出る。

 劣化していた天井が、二人分の体重に耐えきれなくなり――

 音を立てて崩れた。

 刹那、重力が消える。

 なんでもいいからと手を伸ばすが、触れるのは割れた木材だけだった。

 声を宙に残し、体躯が落下した。起こされた風で髪や衣服が舞い乱れる。

 たてに流れる視界の中、ユイルがこちらに手を伸ばした。ピスカは目を瞑り、衝撃を耐えようとした。が予感していた痛みが走らない。ゆっくりと瞳を開く。何かが下にある感触。首を回し、それを見た。

「ユイル!」

 下敷きになったユイルの腰の下に手を入れ、体を起こす。

「大丈夫? どこか、痛むとこない?」

 悲愴な眼差しを向ける。ユイルはゆっくりとかぶりを振った。

「どこも痛くない。僕は玩具だから」

 いつものように抑揚のない声。けれどその中に寂しそうな色が混ざったように聞こえたのは、ピスカの気のせいだろうか。

 とその時、瓦礫が崩れ、地面を覆っていた木の板が目に入った。降りかかった材により砕け、その下にある黒い闇を顕にさせた。立ち上がり近づく。そしてピスカは気づいた。

「これ、穴じゃない」

 地面に出来たへこみを覆うために置かれた木材かと思っていた。けれども違った。

 上下に伸びる通路とも言うべき空間。人が使っている証拠として内壁には梯子が設えられていた。崩れた材を除けると月の光が届き、内部の輪郭が朧気ながら分かった。高さはだいたいピスカの背丈の三倍ほどだろうか。うっすらと底が見えている。それに底の脇からは光が漏れていた。

「なにかありそうね」

 ピスカより先にユイルが足を掛けた。手摺りに捕まり、ゆっくりと下降していく。一段下がる度に軋んだ音が静寂の中、吐息とともに空気を震わせる。

 ユイルの足が地面についた。少し遅れてピスカも降りる。

 見ると、木製の扉があり、その隙間から光が漏れていた。足音を忍ばせて近づく。耳を戸に近づけると中から声がした。

「ああ、けど間に合うか分かんねーな。とりあえず祭り用のやつの部材をもうちょっとでかくしてみるか」

 ロイの声だ。ピスカは確信した。ピスカはいきり立つ心を抑えることが出来無かった。

 扉に手を掛け、勢いよく開いた。そのまま扉は壁まで回り、ぶつかって大きな音をたてた。ロイが驚いたように身を返した。見開いた目がピスカを捉える。

「なんだ、お前か」ロイは胸を撫で下ろした。「ってなんでこんなところ入ってきてんだ?」

 ロイは気づいたようにそう言った。ピスカは肩を震わせ、殺意を滲ませた眼光をむける。

「おいおいなんなんだよ。だいたいどうやって入ってきたんだ? 上手く隠してあったはずだし、だいたい暗かっただろうが」

 ロイは視線で近くの机の上にあった小型の燭台を指した。

 ピスカは一歩近づく。

「それよりも訊きたいことがあるの」

 その声は、人の発したものとは思えないほど冷たく、ロイの背筋を凍らせた。

「な、なんだよ」

 ロイは距離を取るように後ろに一足下がった。広い空間。ピスカの背丈の二倍以上あり、広さも宿屋の中庭ほどもある。その中にピスカの声が反響する。

「あのやしろを造ったのはあなた?」

「あ、ああ。そうだ」

 ロイの声は震えていた。

「この街に他にやしろを、玩具を造れる人は何人いるのかしら」

 俯き加減で、前髪で顔に影をつくりピスカは歩み寄る。

「なんでそんなこと言わなきゃ――」

「こたえなさい!」

 耳をつんざくような声。ロイはたじろぎ、その拍子に手で机の上にあった紙を落とした。図面と思われる線画が書かれた書物が辺りに撒き散る。

「そ、そりゃあこの国は玩具と共に発展してきたんだ。大工やら職人は何人かいる」

「あのやしろのようなものを造れる人は他にもいるの?」

 ピスカとロイの距離が縮まる。

「いや、そりゃあ無理だな。あそこまでのもん造れるのは俺だけだ」

 腰を引き、出来るだけ後ろに下がろうとするロイ。

「そう。それは良かったわ」

 ピスカは足を止めた。

 四方をレンガ造りの壁で囲まれた空間。両側にあるのは造りかけと思われる玩具。ピスカの身の丈の何倍もあるそれは、制止したまま二人を、そしてユイルを見下ろす。壁には等間隔で燭台が取り付けられている。その炎か戸口からの風によりゆらめき、ピスカの影を歪に揺らした。

「なんなんだよお前。ちょっとおかしいぞ。勝手に入ってきて勝手に質問してきやがって、だいたいここはお前みたいな奴が入って――」

「黙りなさい!」

 ピスカが叫んだ。

「これに見覚えはある?」

 ピスカは腰帯から木材を出し、放り投げた。大型玩具の部品が地面に転がりロイの足元で止まった。それを拾い上げる。

「ああ、やっぱりこいつか」

 予想通りと言わんばかりの物言いだ。

「それを造ったのは、あなた?」

 ピスカは詰め寄った。

「ああ、そうだ。だがな、お前の言いたいことも分かるが、こっちとしてもそれはしょうがないことなんだよ」

「しょうがないこと?」ピスカは同じ言葉を返した。あの出来事を、そんな一言で片付ける気なの。頭に蘇るのは、街を破壊し人々を傷つけた大型玩具。それを――。

 ピスカは顔を上げ、ロイの瞳を見据えた。

「わたしは祭司ピスカ」風が吹き、衣服を揺らし髪が流れる。「神に復讐の誓いを立てたもの。そして、あなたの命を――」

 奪います。

 背後にいたユイルの鞘から剣を抜いた。両手でそれを持ち、身を低くしロイに斬りかかった。ロイは身をよじって躱す。剣先が肩口をかすめ、切断された衣服が舞う。

「お、おいおい。そこまで怒ることはねーだろ」

 距離を取るようにピスカに手をかざし、じりじりと後退する。

「黙れ! その喉切り裂いてやる!」

 ピスカは滅茶苦茶に剣を振り回す。ロイはピスカに背を向けるが、決して視線は外さないで逃げた。

「なんなんだよ。なんなんだよお前は!」

 ロイは壁際に追い込まれる。

「わ、分かった。新しいの造ってやるからさ。ほ、ほら、それならいいだろ? な?」

「もう口を動かさなくていい――」

 死ね。

 冷酷な一言。ピスカは剣を振り下ろした。ロイは目を瞑り、両腕が体を守った。

 鋭く高い音が空間に反響する。剣は壁を打ち、弾かれて宙を舞った。

 ロイはゆっくりと目を開けた。

「殺して」ピスカが言った。

 ユイルが地面に落ちた剣を手に取った。

「ユイル! こいつを殺しなさい!」

 ピスカは肩で息をしていた。これで全部終わるんだ。わたしは果たすことが出来たんだ。ユイル、わたしは――。

「殺さない」ユイルの口から出た言葉は、予想もしなかった台詞だった。「僕にはこの人が悪人には見えない」

 ピスカは千切れるほどの勢いで首を回しユイルを見た。

「あなた、突然何を――。いったいどうしちゃったの? 自分がなにを言ってるか分かってるの? こいつは街を壊して、いろんな人を傷つけて、それに、あなたを――」

 そこまで言うとピスカは口をつぐんだ。

「な、なんか良くわかんねーけど」ロイは体重を預けていた壁から身を離し、姿勢をなおした。「俺は別に殺されるようなことをした覚えはねーぞ」

「黙りなさい」ピスカは眼光で刺す。そして黙ったロイを捨て、優しく哀しい眼差しをユイルに向けた。「ユイル、さっきの祭りでのことを言っているの? あなたは知らないのよ。こいつがなにをしたのか。こいつは決して許されないことをした」

「ま、待ってくれ。祭りか? 祭りのことを怒ってるのか? 確かにあれは苦情対策の一つだ。悪気がなかったかと言えば嘘になる」

「なにを言っているの?」ピスカの質問にはこたえずにロイは続けた。

「だけどな。考えたのは俺じゃない。文句を言ってきそうな奴には事前に親しくなっておけっていうのは、大工の仲間たちが考え出したんだ。恨むならそいつらを恨んでくれよ」

「だからなんのことを言ってるのか訊いてるのよ!」

 刹那の沈黙が降りそそぐ。そして、お互いがお互いの思考に違和感を感じた。

 ロイは戸惑ったような面持ちで、それでも懸命に口を動かした。

「なにをって、だってあんたらはその大型玩具のことに対していらついてんだろ?」

「そうよ!」ピスカの言葉が瞬時に被さる。

「俺が造った大型玩具に不備があったってことだろ? それに対して文句を言いに来たってことだろ? だいたいさ、あんたらに元々売ったわけじゃないんだ。それなのに又売りで俺のとこに苦情がくるのは納得が――」

 ロイの言葉を止めたのは、思考の齟齬を確信させる交わった視線だった。

「違うのか?」

 確認するかのような問い掛け。

 精神が混乱する。何が間違っていて、何が正しいのかも分からなくなる。脳内で感情が蠢きあう。しかしその巡る思考の残滓は目的地を失ったかのようにただ頭の中を旋回していた。

「私の村を襲わせたのはあなたで――」

「おいおい。俺はただこの王都で玩具を造って売ってるだけの大工だぞ? あんたの村のことなんて知らないし、それについて恨まれる覚えもない」

 ピスカはわけも分からず頭を押さえ首を振った。

「殺して」

 自分がいま抱いている感情さえも理解できない。

「殺して」

 自分がなぜここに存在しているのかも理解できない。

「殺して」

 それでもピスカの震えた唇は同じ言葉を漏らし続ける。まるでその言葉にすがっているかのように。虚ろな瞳でロイを見る。わたしはこいつを殺せばいいのよね。そうすればすべてが終わる。悪夢から覚めることが出来るんだ。そうよね。わたし、間違ってないよね――。

 ユイルがゆっくりと近づく。視界に端にその姿を捉え、ピスカは叫んだ。

「お願い、こいつを、殺して……」

 その言葉に、もはや力はなく、ロイを指す指は震えていた。ユイルはゆっくりと近づく。ピスカと目を合わせる。その瞳は、戸惑いと哀しさ、ピスカと同じようで全く異なる感情が宿っていた。そして口から残酷な一言を吐いた。

「僕は殺さない。そんなにこの人の存在が許せないなら――」

 自分で殺せばいい。

 そう言ってユイルはピスカに剣を差し出した。炎の光のみが揺らめく空間。その中で刃は不気味な輝きを纏っていた。

「意味がわからない。なんにもわからない。だってわたしは、わたしが誰のためにこんなことしてると思ってるの? わたしはユイル、あなたのために――」

「僕は」その時ユイルの虚ろだった瞳が生気を取り戻したかのように光を宿した。「僕は、頼んでない。そんなこと、望んでない」

 明瞭な口調。

 はっきりとした物言い。

 それは。

 その一言は。

 ピスカの心を砕くのには十分すぎるほどの意味を持っていた。

「わかんない。わかんないよ。なにもかもがわからない」

 頭を抱え、ひたすらに首を振り続ける。白い髪が乱れ、頬を打つ。

 いつの間にか掌が濡れていた。

 わたしは泣いているのだろうか。

 どうして、なんで――。

 わからないよ。

「おいおい。よくわかんねーけど、とりあえず俺は殺されないってことでいいんだよな?」

 と、両の手を降参したように顔の横にあげてロイは訊ねた。

「とりあえずお前らがなんについて話してるのかは意味分かんねーよ。これ以上その大型玩具とやらについて気になることがあるなら本人に訊きにいきな」

 ロイはよれた衣服を整えた。呆然と同じ台詞を口から紡ぎ出しているピスカ。その耳にロイの言葉は届かなかった。代わりにユイルが質問する。

「本人って誰?」

「ん? ああ売った奴のことか? それは俺も職人だからな。一応客の情報は――」

 ユイルは剣先を少し持ち上げた。

「いや、そうだな。そっちも非常事態のようだし。うん、まあいいだろう。その番号の玩具を売ったのはあんたと同じ外套を羽織った祭司さ。何年か前に移り住んで来てな。いや、それが妙な注文つけてくるやつでさ」命の無事を確認して安堵したのか、ロイは饒舌に話し始めた。

「それが出来るだけ精巧な動きが出来る様に人間のように細かく造ってくれって言うんだぜ? しかも頑丈にだ。いや、確かにそれだけじゃ異様ってわけじゃないんだが。ただな、その部材の中に金属もまぜろときたもんだ。もう何に使うか意味不明だぜ。大型玩具は小型玩具と違って強さ、力が特徴なんだけどな。それにそんな複雑に造ったって扱える奴がいるはずねーからな」

「その人はいまどこにいる?」ユイルは訊いた。

「ん? ああ場所か。教えるけど今日は変な気起こすんじゃねーぞ? さっき自分のこと殺そうとしたやつに忠告するのも変な話だが、今日は祭りだ。明日の朝日より前に騒ぎ起こしたら、確実にお前ら反逆の罪で殺されるぞ? めんどくせーことは勘弁だからな」

 ロイは念を押して説明しだした。

「確か路地沿いの建物だったはずだ。中庭があって、えっとそうだな」ロイは腕組をして顔を斜めに傾けた。「確か戸口には飾りつけがあったぞ。なんて言うのかはしんねーけど、大切なもんだって言ってたな」

 その言葉がピスカの思考を呼び起こした。頭の中を映像が駆け巡る。大祭司の玄関口に設えられているものと同じもの。それを確かにピスカは見、懐かしさを感じていた。

 あの場所に、今度こそ。

 空洞になっていた心を、湧き上がった憎悪と殺意が埋め尽くした。

 歩き出す。目的地に向かって。

「ユイル、そいつを殺してさっさと次にいくよ」

 ピスカの言葉にロイは後ずさった。

「そいつを生かしておく意味はない」

 足音は一つ。動いているのはピスカのみ。

「僕は殺さない」ユイルの拒絶。「ピスカの命令には従えないよ」

 振り返る。様々な感情が身体の中で蠢き溢れている。どうにか言葉を吐き出そうとするが、口から出てくるのは吐息だけだった。拳をつくり、強く握り締める。

 入り乱れた心が、表情を歪ませる。

「わからない」

 そう言い残してピスカは駆け出した。

 逃げたかった。

 なにもかもから。

 分からなかった。

 ユイルの気持ちが。

 わたしはなんでここにいるの。なんのために走っているの。なぜ逃げているの。

 なぜ涙を流しているの。

 宵闇の中、がむしゃらに手足を動かした。

 唇を噛み締め、自分の影が闇と同化するのを恐れるかのように、ピスカは走り続けた。

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